マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

雨降る野川(その1 「滄浪泉園」)

2014年11月02日 | 江戸の川・東京の川

 奮闘するのは猿之助だけではない。マーちゃんも、9月の囲碁大会(退職者会)・10月初旬の澤地講演(退職者会)・先週土曜日の浅草散策(源氏の会)・クラス会(目黒3中)、今週は昨日の野川散策(退職者会)、月末には箱根の外輪山登山(山仲間)と、いずれも主催者とし、あるいはご案内役で、この秋は奮闘を余儀なくされている。
 11月に入った昨日、都高教退職者会の「東京歴史散歩 野川」が行われた。雨が危ぶまれるなか、参加者は9名(平均年齢71歳)。野川の良さを十二分に味わえたとは思えないが、皆さんの感想の多くは、「東京にこんな清流の川があるとは知らなかった。又訪れたい」とあり、担当幹事としての面目を施した。

 出発地点の武蔵小金井駅付近は、9時半の出発時刻には薄日が差し、これはと思える天候だったが、多くの予報は9時~12時のみ「雨降らず」で、心急ぐ出発となった。まず向かったのは「滄浪泉園(そうろうせんえん)」。歩くこと20分弱で到着。野川散策に先立ち、まずもってここを訪れるのは大きな意味があると再認識した。
 この庭園、明治・大正期に衆議院議員だった波多野承五郎(雅号・古渓)により整備され、武蔵野の特徴的地形の「はけ」とその湧水を持つ別荘として利用されてきたそうな。(写真:パンフレットより)



       (参加の皆さん:正門前で)


 階段を下ると、鬱蒼と茂る樹木の間から濃緑色の池が見え始める。池の周りでは、崖下の瓦礫層からの豊富な地下水がこんこんと沸き出し、湧水を目の当たりに見ることが出来、この池の源と知る。鯉も泳ぐ、その池から流れ出す大量の清流。ここは野川源流の”一つ”なのだ。この”一つ”が大きな意味を持つ。野川には、国分寺崖線と呼ばれ
、立川市から世田谷区の野毛まで続く崖下からの湧水が、間断なく流れ込み、清き流れを生み出しているのだ。
 この庭園の階段を歩き、池の周囲を一周することによって、直接、湧水に触れ、崖線の標高差を知ることともなる。この庭園無名に近い。人影も疎らで、物思いに耽るに相応しい苑とも言える。(写真:はけからの湧水)
 
正門前で記念撮影後、いよいよ野川へと下った。



     (庭園は緑濃きところでもある)

   
(紅葉の頃の園内)     (庭園内の掲示版より)


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