マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

玉川上水を歩く(その5)

2022年01月07日 | 江戸の川・東京の川

  12月20日(月)、3回目となる玉川上水沿い散策をしてきた。9時20分三鷹駅をスタートし、14時丁度多摩都市モノレール「玉川上水駅」着。4時間20分間の散策で、距離にして14.5km、歩数にして約3万歩。(写真は玉川上水と千川上水の分水地点に建てられた碑)









 この日は快晴で、中央線高架区間からは富士山がはっきりと見えた。朝の気温は低かったが、歩くにつれてやや汗ばんでくるような陽気に。上流に向かうにつれて上水は地上よりかなり低きを流れるようになり、武蔵野の雰囲気は増してきた。江戸時代開削の玉川上水を歩くと、明治時代や大正時代の遺跡や歴史に触れる事になるのが面白かった。今回は小金井橋までの、印象に残った8カ所を綴る。(写真:水澄むところには鯉も泳ぐ)






 ①境浄水場
 三鷹駅から上流の玉川上水は三鷹市と武蔵野市の市境を流れている。歩くこと800m先の、上水右手に境浄水場があった。広大な敷地を有する浄水所。1924年の通水で、原水は村山貯水池と山口貯水池から引き入れている。緩速濾過方式とかいう方式の浄水場で日本最大規模だそうな。千代田区・渋谷区・港区・目黒区の一部に給水している。玉川上水に平行する様に造られ、かつては上水の水を引水しているかと思ったが、上水との関係は分からなかった。

 ②桜橋
 説明版には
 「明治22年に甲武鉄道(現JR中央線)が開通して境(現武蔵境)駅が出来ると、駅前から田無に至る道が開かれ、玉川上水に架けられたのが桜橋である。明治31年に国木田独歩が書いた『武蔵野』にこの橋は登場する。・・・」と書かれている。
 現在、JR武蔵境駅と西武池袋線田無駅を結ぶ道路は「独歩道」と呼ばれている。


 ③国木田独歩の木碑
 桜橋の傍らに「国木田独歩」の碑が立っていた。代表作『武蔵野』の6章に桜橋が登場する。
 「・・・自分は或友と市中の寓居を出て三崎町の停車場から境まで乗り、此処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある。それを渡ると一軒の掛茶屋がある、・・・」とあり、
 更には「・・・茶屋を出て、自分等は、そろそろ小金井の堤を、水上の方へとのぼり始めた。あゝ其日がどんなに楽しかったろう。成程小金井は桜の名所、・・・」と続く。
 独歩にとってこの散策が実に楽しかったのだ。



 
 ④千川上水との分水点
 かつて、巣鴨を起点として千川上水を遡り、玉川上水の分水点まで歩いたことがあったからここは見覚えのある景色だった。ただその時は分水の様子を見た記憶がない。今回はその風景をばっちり撮影したのが右と下の写真。(右の写真は玉川上水。下の写真が千川上水への流水部分)。  
 



 五日市街道
 桜橋を更に進むと上水は五日市街道とT字路交差し、その後はこの街道に沿う様に一橋大学小平キャンパスまで続く。
 


 





 ⑥小金井公園手前
 この付近の散歩道と上水。
 前回見られた紅葉はあらかた散っていて、落ち葉の上を歩くことが多かった。
 
 




 ⑦小金井公園
 ここは小金井公園の入口のひとつ。まだ訪れたことのない都立公園。面積を知って驚いた。何と80.2ha(=802000平方メートル)で、東京ドーム17倍の広さ。(写真:公園入口はこの奥)
 







 

 ⑧小金井桜
 上水沿いに立てられた案内版には以下の様に書かれていた。
 小金井堤の桜は、元文二(1717)年頃、八代将軍徳川吉宗の時代、幕府の命により川崎平右衛門が吉野などの桜の名所から種苗を取り寄せ、小金井橋を中心に玉川上水両岸の六キロメートルにわたり植えたもの。
 戦後、小金井桜は年々衰えていったが、平成十五年八月玉川上水が史跡に指定されたことを契機に山桜の苗が補植され、名勝小金井の桜並木の再生・復活が図られている、と。
 小金井市の前に“花”が付けられ花小金井市となった理由が分かる気がしている。思えば、飛鳥山の桜も隅田川沿いの桜も吉宗の時代に植えられたのだった。
(写真は案内板から)

 





















 


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