マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

玉川上水を歩く(その6)

2022年01月14日 | 江戸の川・東京の川

 12月20日(月)に第3回目となる玉川上水散策をしてきた。今回は小金井堤より上流の多摩都市モノレール「玉川上水駅」までを綴る。
 ⑪八左衛門橋
 この橋の説明文には玉川上水に輸送船が運航されたと記されていた。
 「小平市喜平町(旧小川新田)の旧家で、組頭をつとめた滝島八左衛門が架けたので、この名がつけられました。滝島家は、明治初年(3年~5年)に玉川上水に通船されたとき、小平の船持5軒のうちの1軒で、物資の輸送に当たるとともに、「八左衛門橋」のたもとに茶店を設け、上水舟行の船頭たちの休息場所を提供していました。架設年度は不明ですが、上水通船の開始の時期に近いころと言われています。」とあった。


 ⑫西武国分寺線
 私はこの辺りの鉄道に不案内である。帰宅後調べると、この線は西武線東村山駅と国分寺駅を結ぶ、5駅路線距離7.8kmという、非常に短い路線で、上水は鷹の台駅付近で路線と交差していた。開業は1894年とあるから、開通後既に100年以上経過していた(西武線最も歴史の古い路線)。そういえば中央線国分寺駅で黄色この鉄道を何度も見たことはあった。








 ⑬新堀用水
 小平橋を過ぎた辺りから、進行方向右手に玉川上水に平行する様に流れる細い水路に気が付いた。私達は上水と細い水路の間を進んだ。その水路は多分玉川上水の分流と思われたが、立川通りに架かる小川橋近辺まで続いていた。5kmほど長さだろうか。分水点は見つけられなかったが、この流れは「新堀上水」と知った。白鷺が泳ぐほどの清流であった。







 ⑭清流の復活
 実は私達が見て来た上水は羽村から流れて来た源水流ではない。昭和年代に上水は通水を停止し、多分流れに沿った付近は荒れていたことだろう。そこで清流を復活させようとの試みがなされていた。案内版には
 「ここの水は昭島市にある「多摩川上流水再生センター」(最下段に地図を載せた)からの再生水です。これによって水の無くなった「玉川上水」に水がよみがえりました。わが国の清流復活の先駆けとして全国の「蘇る水100選」に選ばれました。」と書かれていた。
 散歩道から上水が流れる地点まで下りることが出来て、ここで初めて「玉川上水」の水に直に触ることが出来た。


 ⑮多摩都市モノレール
 このモノレールに一度は乗ってみたかった。今回旅の終点に「玉川上水駅」を選んで良かった。中央高速道路で蓼科方面へ向かうときは、何度もこの下を通過したが、開業が1998年とのことで、既に23年が経過していた。ここから「立川北駅」まで乗車。遥か遠く富士山も眺められた。




 ⑯付け足し・・・陣屋橋 
 前回書き忘れてしまった橋があった。小金井公園手前にあった「陣屋橋」がそれで、橋の由来に玉川上水が新田開発にも活用されたと書かれていた。
 玉川上水完成後武蔵野の原野の開発が急速に進み、享保年間には82か村の新田村が誕生した。この新田開発には玉川上水からの分水が大きな役割を果たしたと書かれている。
 南武蔵野の開発を推進した幕府の陣屋が置かれていたことから上水に架かる橋は「陣屋橋」と呼ばれたとも。

 この日は休息するようなベンチに巡り合えずほとんど歩きっぱなしでへとへとに疲れた。帰りは立川駅の一角にあるお寿司やさんで昼食。何年ぶりかで見る立川駅付近はすっかり様変わりしていた。




 


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