2月8日のブログでは、2月6日に歌舞伎座へ出掛け、そこで観て来た「一谷嫩軍記」の感想を綴った。その後半は次のように記した。
『・・・イヤホンガイドの説明では、「直実は後日、その首が一子直家のものと知る」と解説されていた様に思う。だから劇中での直実は、相手を当然敦盛と思い行動しているのである(ガイド説と呼ぶ)。一方、松竹から配られたパンフレットには「直実は源義経に頼まれ、我が子直家と敦盛を入れ替え、我が子と知りつつ首を打った」となる(松竹説と呼ぶ)。妻の解釈は松竹説で私の解釈はガイド説、と解釈が分れた。ガイド説の方がストーリーが美しいと思うのだが・・・』
2月20日の東京新聞「伝統芸能を楽しむ」欄に、”一谷嫩軍記 組打の場”が登場し、松竹説(妻説)が正解であることが記されていた。以下長いが、私の拙い文よりも、正鵠を射た記事の全文を転記すると、
『設定を知っておくとがらりと見方が変わる芝居ーー、一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)・組打の場はその典型です。
源氏方の武将・熊谷直実が、よんどころない事情で小次郎を、VIP・敦盛の身代わりにするという内容。
舞台は戦いの最中で、身代わりがばれると一大事。熊谷親子は納得の上で、味方もあざむく演技をしているという設定。
わが子を手にかければならない熊谷の内心の苦渋は、いかばかりか。しかしあくまでも、うら若い貴公子・敦盛を手にかけることをあわれむように演じます。特に以下の場面に注目。
海に馬を乗り入れる敦盛(実は小次郎)を呼び止める熊谷。「おおい、おおい」という呼びかけは、これでもう後には引けないという悲壮感も。
敦盛を組み敷いた後、「ひとまずはここを落ちたまえ」と逃亡を進める熊谷。その後、やむなく敦盛の首を打ち、あげる勝どきの声は悲痛です。
単に身代わりを暗示する演技を見せるのではなく、戦で若い命が翻弄されることに対する熊谷の無念さが、二重写しに見えれば理想的。題名の”嫩"も、二名の若者という意味です』
熊谷直実の見事な演技に源平両軍がだまされ、それを見事に演じた吉右衛門の演技に、初めてこの芝居を観た私がだまされたという二重構造でした。
蛇足ながら、歌舞伎通の山川静夫は2月の歌舞伎座公演に触れ、「熊谷の黒馬と敦盛の白馬が海に乗り入れ、沖合で戦う場面は”遠見”といって、子役を遠く小さく見せる。私の好きな場面だ。」と記した。
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