マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

銅御殿(あかがねごてん その1)

2011年11月14日 | 東京散歩

 その建物、大正元年の完成当初から、”あかがねごてん”と呼ばれていたそうです。あかがねごてん(銅御殿)は、旧磯野家住宅とも呼ばれ、重要文化財の日本家屋にして、文京区茗荷谷にあります。建物の屋根を銅板で葺き、外壁にも銅板を張りめぐらしています。銅は当初は赤みを帯びているが故に銅御殿(あかがねごてん)。因みに鉄は”くろがね”と呼ばれます。一度見学した家人から凄い建物だったと聞いてはいました。その側を自転車で何度も通り、立派な門構えを毎回見ていましたが、庭園が素晴らしく、銅が施された建物、くらいの認識しかありませんでした。(写真:銅御殿写真集よりの鳥瞰図)



      (銅御殿写真集よりの鳥瞰図)

 2ヵ月前に、この建造物を管理する「大谷美術館」に、庭園見学の応募葉書を出しておいたところ、見学可の返信が来て、11月11日(金)に出掛て来ました。何度もここの前を通ったことはありますが、門内に入るのは初めてで、期待を込めての見学ですが生憎の雨。それも見学開始時刻13時の少し前から雨足が激しくなり、傘をさしての撮影はしずらいなの思いが過ります。
 定刻13時までに集いし人は20名。こちらの案内人の方の自己紹介から案内開始です、冒頭「私からは、門や建物や庭の説明をさせて頂きますが、庭は歩き辛く造られていまして、雨の日に歩くのは大変危険ですので、本日は建物内部の見学とさせていただき、中では館長が説明いたします」と。誰も”やった!”とは叫びませんでしたが、心の中では”ラッキー”と思ったことでしょう。庭園見学はあっても建物内部の見学は家屋の保存上から、年に1度あるかなきかのことだからです。私は身の幸運を喜びました。


 案内はまず門の説明から始まりました。表門は大正2年に竣工し、尾州檜の太い丸太材で作られた四柱門だそうで、軒先に並んだ小丸太が作る緩やかな曲線が印象的な門です。(写真:表から見た大門)







       (裏から見た大門)



 門からは建物が直接見えないようにするため、玄関への道は曲がって造られいる事を知ります。(写真:大門から玄関に至る曲がった道)










 玄関正面に至り建物の前面が見えて来ました。屋根と建物の側面は青銅です。建築当初の赤銅の面影は既にありません。それもそのはずこの母屋の竣工は大正元年(1912年)、今からほぼ100年も前の建築だからです。(写真:建物2階と3階。雨の為青銅が霞んでいます)







          (正面外観)
 施主の山林王の磯野敬は、予算と工期に制限を設けないという破格の条件で、腕を見込んだ北見米造(当時21歳)に設計・施行を担当させました。木曽の檜や屋久島の杉、御蔵島の桑、ベルギーからのガラスなどの贅を尽くした材料と名工の力作により7年の歳月を掛けて、大正元年に完成したこの建物、関東大震災にも、3・11の大地震にもびくともしなかったそうです。その建物の内部へ、好奇心に満ちた思いで、入って行きました。(この項、次回に続く)
 

 

  


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