初めて銅御殿の建物の中に入ったこの日は、2011年11月11日(金)、1が6つも連続する記憶しやすい日でもありました。
内玄関から入り、長い畳廊下を進むと、左手にはガラス越しに奥庭を望み、右手には客間が見えてきました。その十二畳の客間と畳廊下の間に立って家屋の説明をして下さったのは大谷利勝さん。
この銅御殿の当主は磯野敬→中野貫一→大谷哲平と移り変って、利勝さんは故大谷鉄平の御子息にして、かつ旧古河庭園内にある財団法人「大谷美術館」の理事長でもあります。平成17年、この銅御殿が重要文化財の指定を受けたと同時に、御殿をその大谷美術館に寄付してしまいましたので、銅御殿は現在は個人のものではなく、財団法人の財産となっています。
話は、まずこの建物の建築主磯野敬と、その依頼を受け建築にあたった北見米造の話から始まりました。興味深い、こちらの話は次回のブログに回すとして、次いで話はこの建物に及びました。
建物は3階建です。一階には和室11室に、洋室が一つ。二階が十二畳の客間で、三階に十四畳の富士見の間があります。お出で頂いたお客様を二階で御もてなしした後、その上の階に昇って頂いて、富士山をご覧頂こうという趣向だそうです。ここは小石川台の高地、富士山がはっきりと観覧出来た事でしょう。
建物の最大の特徴が、耐震・耐火に優れていること。屋根を銅板葺とし、重量を軽減し耐震的とするとともに耐火的とし、建物外側も銅板張りとして耐火的に仕上げています。大正以降現代に至るまで、東京を襲った幾たびかの震災・大火に耐え、現存している事が、そのことを如実に示しています。 大谷さんは説明の途中で畳廊下に出て、ギヤマン戸を開け閉めします。戸が滑らかにスムースに移動し、戸と戸がきっちりと隙間なく閉まることを実演して、100年を経た現在、建物の細かい部分に至るまで”狂い”が生じていないことを語りました。(大谷邸写真集より:畳廊下と縁側を隔てるギヤマン戸)
写真は隙間なく閉められた戸。
(大谷邸写真集より) 更には、客間の明り障子の細工を示して、その難しいとされる三角組が狂いなく仕上げられていることも語られました。(大谷邸写真集より:12畳客間)
長い説明が終わり、質問を受ける段になって、かなり高齢の、職人らしき方が、この建物の素晴らしさを絶賛し始めました。「日本の家屋を沢山見て来たけれどもこんな素晴らしい建物はなかったです」と語る御老人に、大谷さん「建築専門の方ですか」と問います。「そうです」との返答に、この方も大工の棟梁であったかのと、私は想像したのでした。(この項 銅御殿その3に続く)
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