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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

ミクロからマクロへ

2023-10-11 12:55:44 | Weblog
経済学でありません。疾病の間質性肺炎症状が愈々明らかに変化したことです。
1年以上も前の晩秋の頃には、外へ出て散策する元気もありました。半年前に妻が逝き、その翌月にはHOTのために予備?入院となり、以後は坂道を転がるように呼吸能が低下しております。昨年の夏ごろなら、坂道の傾斜を苦痛に思い始めて自身を傾斜度計とふざけておりました。それが、自宅の長手方向の距離20mほど を歩くのも苦痛に思うこの頃です。例えば洗濯物を外の干し場=小屋軒先 に干すことをわずかな仕”事”にしておるのですが、酸素ボンベを背負っていてもしんどく思い始めております。
 1,2年前の肺は、組織の細胞壁を酸素(空気というべき?)が通り難くなった状態と思います。ミクロ的病変と。最近の肺ではミクロ的な働きが衰え始め、補填するために肺臓周りの臓器や筋までがイロイロと働きだしたようです。マクロですな。
 酸素過給でこの状況ですから、先々が不安です。この病の終末を溺れ死ぬように との記載も眼にします。来週、息子と一緒に主治医さんに今後の事を相談します。横着者短慮な私ですから、4,5年前には最後はしっかり者の妻に観てもらえば とそればかりでした。天はよくしたものです。そんな私の人生を反省させようと、ちゃんと独りにしてくれました。

お蚕さん (またしてもTV録画から)

2023-10-09 09:30:01 | Weblog
父によると祖母は養蚕が巧かった。そのおかげで貧農の家には十分な副収入となったらしい。私が小学校にあがるか上がらない頃まで、祖母と一緒に寝る(お婆さんっ子だった)仏間の隣の南の間には蚕が居た。棚のお蚕さんが桑の葉を巡る(あるいは食する)にザザザッと低い音を立てたのを覚えている。ただし、布団の中で耳にしたのか昼間のことか定かでない。保温に焚く練炭の匂い・ホルマリン消毒の匂いは脳裏に残っている。練炭の一酸化中毒にならんほどに隙間があったのかしら・・・蚕棚、蚕さんが育つ丸く平らな笊?や桑の葉を入れたブリキ底の木枠 などなどがあったが、とおぉの昔に全てをうっちゃた。今も残るのは、60年以上も前に桑の葉を摘んだ畑の耕作を繰り返しても、丈夫なゆえに残る黄土色の根から桑の若木が生えだすこと。
 ここで父の言葉を想い出した。笊から落ちる蚕さんの生育は駄目だったらしく、愛らしい燕の雛と似ておるなぁ と。

 BS放送で養蚕の歴史が紹介されたのを観、以上の記憶を書いた。以下、放送内容を含めほぼコピペ。かいつまんでいえば二つの戦役に勝利するほどの明治日本の近代化に養蚕の発達は大きく寄与した。
 シルクロードが示すとおり、中国では古くから生糸の生産が行われた。日本産の品質は中国産に遠く及ばず、江戸期中期?頃まで高級絹製品は中国からの輸入に頼るしかなく、八代将軍吉宗は貿易収支改善のために国内での生糸生産を推奨した。そのころ兵庫・養父郡で育った上垣守国が養蚕発展の志を立て、各地を巡り福島に優れた蚕種(蚕さんの卵・・・扱い店は種屋と呼ばれた)を見つけ、各地の優れた養蚕法を調べ上げ、のちにシーボルトが持ち帰り例えば仏語訳本にまでなった「養蚕秘録」を公開した。図解が豊富でたちまち広まったとのことである。広めたのが養父郡だけでないのがエライ。

 ただ、養蚕室の温度管理はお蚕の生育に極大切で、蚕室を適温に保つ必要があった。福島・伊達郡の中村善右衛門 が江戸末期、寒暖計の原形を菜種油を使って造り上げた。風邪で臥した中村に医者が用いた体温計からヒントを得たと放映された。拝借写真は明治初年頃に蚕当計(さんとうけい)と呼ばれた寒暖計。このようにし養蚕技術が着々と発展し、ついには明治5年の渋沢栄一による富岡製糸工場へと繋がり、1909年には生産高世界一を達成するにまでなった。ただ、第二次大戦以前から我が国の養蚕業は衰退し始めたようで、私の記憶の蚕さんは末期だったのですなぁ~おばあさん、ありがとう。
 (付記)我が市内には元製糸工場が残っており、幼い私も連れられて湯の中に泳ぐ繭玉を見せられた記憶がある。工場を興し財を成したT氏は、市中に数多くの道標石碑を建てられた。里山散策でも思いもかけず見かけることがあった。彼の孫は県議、市長に就いた。ここまで書いてまた思い出した。父が自分の祖父を語るに、繭を入れた籠を担いで四日市西部の八王子地区にあった製糸工場まで歩いたとのことである。20kmは越えるであろう。ありがたし、ご先祖様。





地方鉄道 大糸線のことなど

2023-10-08 16:41:20 | Weblog
朝刊で地方鉄道の再編計画「再構築協議会」を知る。

その1.大糸線のこと。懐かしく想い出したのは、現職時代に職場同輩のM井君と新潟出張の帰りに悪戯心で利用したこと。車窓からの姫川両岸の荒々しさが気に入り、是非にドライブしたいものだと言い合った。リンク先を見つけるのに難儀する整理されないブログ。2005年のことで、先にジープで走ってきた彼に負けじと出かけたものの、平凡なドライブとなったようだ。
 当たり前である。姫川河岸の河辺にそう大糸線の車窓の眺めをドライブに求めようとするのは虫が良すぎる。河岸上部の平坦部を走る道路から、河岸の壁を望めようもない。二人で笑い合った秋である。今でも職場に現役な彼とはイロイロ不断に連絡を取り合って、最近は呼吸の苦しさまで聞いてもらっておる。ところでリンク記事にも記したとおり、学生時代の合宿で夏場のスキー民宿に泊まりこんだ。35年も経ち大糸線・南小谷駅のイメージが残るわけでなく、射撃場のあったゲレンデを探し出すのに苦労した。
  (10/9に追記;10/8朝刊で知ったことに大糸線がJR西日本線であること。日本地図で観るとJR東海か東日本と思う。黒四ダムを造ったのが関西電力だったこととも繋がるのかしらん)

その2.残念ながら再編にも追い付かず廃線の三江線である。畑にも出られない暇マを潰すTV、番組欄で見つけると再放送であろうがなかろうが録画するのは六角精児「呑み鉄本線」。2018年に挙げられた三江線の風景はよろしかった。とある下車駅のホームから見る夕暮れの静かに水を湛えた江の川、暗黒色の(?)墨絵風なのが佳い。かわった駅名だったかな とぼんやりした記憶を基に検索して、とりあえず、潮駅としておきます。脱線、番組中必ず流れる六角の「ジーゼル」、呑みタイムの「お父さんが嘘をついた」はもとより、彼が謳う島倉千代子「愛のさざ波」に大変と癒されております。

その3.2.同様にTV番組。プロ撮り鉄・中井精也さんによる我ら三重県北部のあすなろ鉄道、三岐鉄道北勢線が再放送された。3路線しかない国内のナロー軌道の2つが三重県にあって現役なのだ。ブログ色添えに北勢線のレトロな車両と珍しい”捻じり橋”の写真をパチリして無断借用する。2枚目の図では中井さんの寫したい橋に目を向けるよう走る列車を”わざと”ぼやけさせるのです と分かりやすい言葉が気に入っております。



あすなろ鉄道の八王子線終点の西日野駅は、第2職場での溶接技量検定試験の会場を借用したポリテクセンター三重に近く、愛知県からの試験立会員を何度も迎えた。その折も狭軌が762mm幅であることに興味もなく、したがい単に狭いだけでナロー軌道と呼ばれるので、76=ナロとの駄洒落には頭が回らない偏狭な私。そして”あすなろ鉄道”の名は明日はなろう檜に のあすなろ樹からの命名のほかに明日へのナロー鉄道の意味もあるのかしら・・・

阿蘭陀(の少年)

2023-10-03 20:19:14 | Weblog
子供のころ、「オランダの少年!」という遊びがあった。前に立つ友の背後を突っついて、素早くしゃがんで彼の視線から逃れる(逃れたつもり)。クルリと振り向く友に、当方は立ち上がりながら『オランダの少年っ』とニヤリと笑う。居らん陀 の少年のつもり。他愛のない遊び。
 で、オランダ。江戸時代の出島だけでなく、最近も笑っておれません。(またまたTVですが)オランダに世界屈指の半導体関連技術社があることを知りました。ASML(ASML Holding N.V.)です。起源はフィリップス社(この社も大きいですね。X線関連ではお世話になりました)で、世界的な半導体製造機器メーカーです。特に露光装置の分野で世界をリードしており、EUV(極紫外線)装置の製造では圧倒的なシェアを誇っています。・・・・このあたり、大きくWEB検索頼りです、スマンです。
 半導体関連では素材のケイ素かドーピング物質のことくらいしかエポックでないと思い込んで居る偏狭な私に、TVは露光リソグラフィーの大事を教えてくれる。かくして、鉄鋼でもアルセロール・ミッタル(ミッタル氏はインド?)社が最大級で、鉄・半導体の首をオランダが押さえているのですね。昔のチューリップ球根のようになるのかしらん・・・

(注意参照WEBコピペ)
13.5nmという、X線レベルの極めて短い波長を用いることで微小なスケールでの加工を行います。

白い巨塔

2023-10-02 21:16:20 | Weblog
今日もソファ、ベッドで延びた。
録画してあった1966年(S41年)大映:白い巨塔 の白黒を観た。どうも記憶とズレる映像だな と思って観た。あとで検索すると、10年ほど後のTVドラマの印象が強かったのだなぁ と。ドラマの終末が脳裏に残っていた。『ただいまから、財前教授の総回診です』の院内放送とともに、堂々とした田宮二郎が医局総員を従えて廊下を進む。しかし元の白黒映画では放送音量も普通で、廊下の奥から教授が進んでくるのを撮るので、ドラマの方が迫力有。
 ただ、動画で手術状況が映されたのにはびっくり。内臓の生の動き、血にまみれた医師の手など最近では禁忌画面で観ることはかなわないだろう。豚などの内臓かしら とも観たが、メスが入るのは人の皮膚にみえる。ウィキしたら、ドラマでも患者と病院の許可を取って撮影した とある。この頃ではずいぶん変わったのだ。問題のない・綺麗な社会になっても行くのかな。
 臓器を手にする病理学教授を演じた加藤嘉もよろしかった。1972年(ウィキで確認)のTVドラマ:楡家の人々 で院代先生と呼ばれる院長代理=事務長 でのセリフ回しが好かった。


 生体の映像写真を載せたので、ついでに私の肺の透過像とCTによる建て断面像を載せます。現在と2年ほど前のモノのはずですが、もぉ、ともにすりガラス状を通り過ぎ褐色に見える肺の白黒像となっております(透視像)。残念ながら容量も縮んでいます。よほど繊維化が進んでおるのでしょう。苦しいはずです、残念。


F1グランプリとGキャスト・・・クルマ

2023-09-23 18:10:20 | Weblog
身体不調ばかり書いてもハリが無く愚痴っぽくなるので、好きだったクルマ関連を。
 気分転換に幸いなことに、昨日は近くの鈴鹿サーキットでF1グランプリの開催があった。そのグランプリだけでは気分の晴れ間も3割だろうが、祝賀のためブルーインパルスの飛行があった。飛行のプランも知らずにいたが、一昨日9/23午後に神社で宮司と相談終え境内に出たところ、轟音と共にジェット機4機か5機が編隊飛行で南東方向へ飛び去る。鈍化したアタマでもF1と結びつけることができた。検索すると、予行演習!らしい。観てみよう。ところで、自衛隊の飛行といえば、伊勢に近い明野のヘリ専用の航空隊が身近で、溶接協会に関係したおかげで岐阜各務ヶ原の川重さんを見学できたくらいかなぁ~
 翌24日になり愚息やWEB情報で、14時スタートの前13:20~13:40にかけ飛行があると知る。13:15には小屋2Fのテラス?に待機して待つ。結果は、南東のサーキットを望むと東に雲がかかっておることから、きれいな編隊飛行の図をスマホできなかった。頭上近く9/23のとおり南東への5機の飛行をパチリして満足した。で、小屋から出てのんびりしようとしたら(酸素ボンベを負ってるのに、これだけの動きでハァハァ・・・)頭上の空に5輪マークが描かれつつある。雲もなく喜んでパチリできた。綺麗に描かれました。秋の青空ですな



 さて金属屋崩れの妄言を書きます。
最近、新聞紙でギガキャスト=超巨大アルミダイキャスト が採り上げられます。TVでも国内最大のT社が検討を と知りました。あのテスラ社では実用しておるような記事をみます(といいますか、WEB質問での回答によります~恥をかいておりますぞ)。テスラ社ではアルミ組成に考慮したり、鋳造法にも工夫したり との解説を紹介されましたが、今一つ頷きがたいです。キャストは鋳造です。鋳造に佳い記憶がない偏狭な私なのです。鋳造品は靭性が低い と思い込んでおります。おそらく4000番のアルミ合金が用いられるのでしょうが、析出するケイ素を超微細に出来る技術が確立できたのかもしれません。それでも、乗用車の車体に使って好いのかなぁ と不安なのです。また、ブロックに分けたキャスト品を(他の金属を含めて)繋ぎ合わせることが必要となるでしょうが、しっかりとした接合法はあるのでしょうか。接合部にこだわるのは、深海探査艇タイタンの圧壊事故で書いたとおりです。
 と、憂えるばかりの老人をアザ笑うよう次期技術が開花してゆくのでしょうね。
 

立ち上がるのが辛い ?Hard to stand

2023-09-16 20:49:21 | Weblog
胸部と周辺部の柔軟性の低下が愈々酷くなったようだ。
ベッドやソファから立ち上がるのが苦痛になった。続く軽動作で息があがるのです。室内だけの歩行は好いのですが、ゴミをペール缶に捨てる・洗濯物を干す などの動作を終えると、息を整えるのにぐったりと延びるしかないのです。食事後に食器を洗うだけでも苦痛に感じる折があります。そういう苦しさが分かるから、前段の立ち上がりが辛いのです。腹部が広がってくれないのです。
 何度も愚痴るようです?が、4月の在宅酸素療法;HOT のスタートから半年ほどでこの状況では先が暗いです。先月のお盆のころ、主治医さんによる定期健診でしたが残念だけどしてあげることが無いし とのいつものレスです。酸素流量だけ増量となりました。来週の次期検診では今後のケアについて踏み込んだ相談をしましょう となっています。毎日、春の彼岸に逝った妻の写真にむかい、俺も と申しております。

彼岸 舟を編む そして本を読む

2023-09-12 11:48:39 | Weblog
うかうかするうちに(亡父母が口にした、うかめとると・・・)残暑も終わり彼岸がちかづいた。春の彼岸に逝ってしまった妻も、この半年をむこうで無事にすごしておるだろうか。毎日のように写真にむかってスマン・スマン と呼びかけるだけの頼りない日を過ごしておるのを観て聴いて、笑っておるだろうな。
 で、図書の噺。妻のいない寂しさを借りだした本で紛らわすことが多くなった。ただし、就眠前に手にしたり、少しの動作で疲れる身体を横にしたときに読むだけで、熱心な読書家でない。男性作家の筆致に飽きが来た というか掴めないのだろうな ため、最近は女性作家の小説が好みで、何か月か前に三浦しをんを知った。作家の父の故郷・三重県津市美杉村を舞台にとった「神去りなあなあ日常」が初見である。新聞紙面で三重県が採り上げられてあるのを知っただけで物珍しさも手伝い取り上げた。他にも数冊借り出しておるが、神去りを含め内容は脳内から飛んでおる。
 しかし前回借り出した「舟を編む」は残っておる。書架で背表紙を観たとき、彼岸へと渡る舟のことかしら と思ったのだが、パラパラめくると軽い調子ながら、辞書を造ることの難儀と愉しさが描かれてある。読み進めてゆくのが愉しいくらいに軽いが後味の佳さを残す作家さんだな と。市の図書館に別の作品があれば、借りだしたい。さらに運の佳い事に、同名の映画を録画鑑賞できた。加藤剛・八千草薫はともかく、宮崎あおい、松田龍平らが出演して、本の内容とおりに映し出され脳内にとどまらせてもらった。呆け始めた脳内にアンカーを打ち込んでくれた。

 この頃、つい、男性作家の作品を読むのに疲れ、女流作品に流れておりますが、ちょいと竿刺すこともあって、日本文学全集ものを借りだしております。たまたま5月上旬にNHK-TV「井伏鱒二の世界~『荻窪風土記』から~」を観ることができたからです。好きな太宰さんが慕ったことのある井伏さん(1983頃ー83歳頃)を動画です。早速録画しました。ただ教科書か何かで「山椒魚」を読んだ記憶だけで、この作家のことを何も知らない。すわと市立図書館で日本文学全集(新潮社)を借りだす。駅前旅館にクスクスして親しみ、平凡に思える書きようで原爆被災を述べるに感心しきりであった。それからは、不明を恥じるように文学全集を借りるようにしております。ただ、手に取るのが就眠前ですから2週間の返済期限をオーバーしそうになり、借り直しても居ります。葛西善藏、広津和郎さんの名を!知りました。今夜も枕元にあるのですが、菊池寛の仇討モノの上手さに感心しながら、「出世」で記載があったニッケルの弁当箱の材料に悩んでみたりしました。菊池作品と同じ冊に納められた水上滝太郎さん作品の「山の手の子」では花客=とくい、果敢無い=はかない 等々をルビに教えられては愉しんでおります。
 残されたのは少ない時間ですが、思い切って古本で全集を贖おうかとも・・・

あとさき

2023-09-05 19:55:52 | Weblog
妻、彼岸に逝って半年近くになります。仕上げの頃、私は在宅酸素療法になってしまいました。難儀な肺炎が進行しだした2020年頃から、妻に面倒見てもらって彼岸に逝くか と思っておりましたが、入れ替わりました。しかし好かったのだと思う。
 後になることで、せめて心の裡で妻に詫びることができます。全て詫びることだらけです。全て私の気儘から生じた不詳です。子どものこと、家のこと 全てです。妻を先にして、振り返る機会を私に与えてくれたのでしょう、天上の神々。
 ところで亡き母、頼りない&気分屋の息子の私を「おまえは後先考えんと・・・」と一生懸命に諭してくださった。浮いたか瓢箪(亡父がよく口にしました・・・)の私、生まれてから現在まで祖母、母そして妻にしっかり留めてもらえたのです。・・・今日一日も、苦しさを感じることの多い日でした。秋祭りまで動けるか知らん~

雑感 

2023-09-03 20:31:48 | Weblog
短く・捏造と不起訴)
 夕食時のTVに、検察により冤罪を課せられたことのある村木厚子さん(のちに事務次官)が映った。軽い頭は検察のチカラに飛ぶ。あそこまで無理して捏造工事を行う検察機関なら、ある事件(特に政治絡み)を不起訴にするのは簡単なのだろうな と。それだけですわ