最近の受診により健康回復に自信を持つようになった。しかし私は障碍者である。昨朝歯科受診のために長く待っている間に歯を抜くことを懸念していた。家内は服薬中であり出血は危険といい、細かく記した。医師もその旨理解し智慧を絞って無事に治療ができた。午後は内科受診、インフルエンザ予防注射、受診結果もOKで、運動をせよと言われた。「運動」ってなに?。私に縁の薄い単語である。「動き」として理解している。加齢によりこれからは下がり道を静かに歩くだろう。今週末東京での研究会には一人で行く。大分歩き、考える。
昨日の山口新聞コラム(2016.11.28)には「朴クネ騒ぎ」と題として次のように書いた。
朴クネ大統領のスキャンダル騒ぎの最中、韓国に研究調査に行ってきた。メディアの連日の報道により国難状況だと思ったが釜山行きの飛行機ではほぼ韓国人で満席、表情は平安であった。3泊の滞在中、どこにも不安な状況は全く感じなかった。食堂などでのテレビの大統領弾劾のニュース、蝋燭集会100万人などの報道に注視する人はあまりいない。ある人にそのわけを聞くとテレビだけが騒がしいとメディアへの評価は低い。
数日前ソウルのある軍事評論家からの電話に私が「韓国は大変だね」と言ったら彼は朴クネ大統領が父親の朴正熙大統領のお陰で大統領になったのに反日的態度をとり、メディアと世論を気にしすぎ、父親の業績を顕彰せず親不孝であったので、支持基盤も失うこととなったと説明していた。彼女の4割ほど支持率は父親への支持であったといえる。それに似た話を数人から聞いた。
朴正熙大統領の業績の代表的な政策はセマウル運動である。一般的に韓国人は記録保存が下手、古文書が少ないと言われているが、例外的に全羅南道和順郡道荘里にはセマウル運動の実態が分かるようなセマウル運動関連資料が保管されている。そこで村の指導者たち、地域の大学教授、文化財専門委員のお話を聞くことができた。セマウル運動は日帝時代の農村振興運動のような政策だったと私の研究成果の内容の話が出た。