崔吉城との対話

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「振返って村を見てはいない」(東洋経済日報2015.1.10)

2015年01月11日 04時37分17秒 | 旅行
 韓国には全国的に、否、世界的にも数多く口承されている<ジャンジャモッ(長者池)伝説>がある。これは韓国でも100編を上回る伝説がある中でも、最も広く多く伝承されている。私も子供の時から聞いて知っている。昔ある村にケチな長者(富者)が住んでいた。ある日托鉢僧が訪ねてきて布施を願った。ケチで意地悪い長者は布施の代わりに牛小屋の糞を布施袋に入れて坊さんを追い払った。これを見ていた嫁が義父の代わりに謝罪しながら密かに白米を布施とした。僧はその嫁に家を出て自分に着いて来るよう言った。その通りに彼女は僧について家を出た。僧は彼女に峠を越えながら「振り返って村を見てはいけない」と言われた。約束はしたが、村に雷が落ちる轟音が聞こえ、その大きな音に驚いて彼女は振り返って村を見てしまった。その音と同時に村は天罰を受けて滅び、村は陥没して池になり、彼女は「振り返るな」という約束を守れず振り返ったので、その立ったところで石となった。この池が長者池であ り、この石が彼女の形跡であると口承されている。
 この伝説の中心軸となるのは「タブーと違反」である。後ろを振り返ってはいけないということを守れなかったので彼女も救われることなく滅びたのである。神話や伝説、昔話などでは人物や場所を入れ変えても話の構造は変わらない。例えばここの嫁を娘に変えても良い。メッセージはそれほど変わらず微妙な意味が含宿されていると感ずる。この昔話からどんなメッセージが得られるだろうか。彼女の「後ろ」というのは村であるが世界と言い変えてもよい。さらに後ろを「過去」に変えてもよい。飛躍かも知れないが私は「歴史を振り返ってみてはいけない」という警告としてとりたい。歴史をナイーブに振り返っては危険であると思う。戦争や植民地などの歴史をそのまま振り返って見てはいけない。その意味で「歴史認識」という言葉も危険である。
 新年は終戦70周年、韓日国交正常化50周年の年である。太平洋戦争の終戦・敗戦は「平和」、日韓国交正常化の基本精神は「和解」を意味する。早くもすでに言論界では戦争特集で戦争一色の年になりそうである。日本での敗戦・終戦の記念に、中国の「勝戦記念」「南京虐殺記念」のコラボレーションになりそうである。さらに韓日においては8月15日をもって敗戦、解放、嫌韓と反日の記念が敵対的に行われるかもしれない。
 戦後日韓両国は敵対関係で国交もなかった。お互いに存在を意識せず、長い年月が過ぎた。朴正熙大統領が民衆の反対を押し切って国交正常化を成し遂げたのである。鎖国から解放、世界化が始まったのである。今の北朝鮮をみても分かるように閉鎖独裁では発展はできない。朴大統領の「和解精神」は尊重されるべきである。韓日国交正常化50周年の年を迎える。この民潭の主人公の「嫁」を「娘」変えてみる。危険な過去を振り返ってはいけないと言いたい。
*写真の文に民潭を「民譚」に訂正する。