崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

自閉少女から東大教授へ

2015年01月20日 05時25分15秒 | 旅行
 先週ある風の強い夜、いただいたハガキが飛ばされてしまい、数日間飛んでいった可能性のある所を探してもないので気になっていた。そのハガキがポストに戻ってきていた。誰かが拾ってポストへ入れてくれたやさしい心に感激した。郵便が正確に届くには配達員だけではなく、人々のやさしい心があることを感じた。私は日本人の閉鎖的な性格には否定的であり、拙著『雀様が語る日本』でもしばしば触れたが、このハガキが届いた話もその本の中に書き込みたい。
 日本人の閉鎖的な性格について深く考えてみたい。眞鍋祐子氏の『自閉症者の魂の軌跡:東アジアの<余白>を生きる』(青灯社)を読んでいる。著者自身が自閉症者と診断されたところから自分史的に語りはじめられた文は読者を本から離さない文章力、一気に読むようになっている。本当に本の帯に書いているように「自閉少女から東大教授へその壮絶な記録」である。一般正常な人と異なる被差別や自閉症者の人たちは別の世界を形成していく面について触れている。「偶然に最悪に生まれた人が幸運と思う」ように、自閉症者こそ正常な人と対決できる世界が作れる可能性を語る。
 自閉症者の心理を描写する文から正常者(?)とは誰かという疑問が出る。自閉的になることは成長過程において少なくとも誰でも多かれ少なかれ経験するものではないだろうか。私自身も田舎からソウルへ転学して自閉症的になり、本ばかり読んで学問に芽生えたと考えると著者が言う自閉症とは、もしかしたら普遍的、特に日本人には広く一般的な現象かもしれない。偶然に「最悪に生まれつき」の被差別集団のムーダンを私が調査して職業独占の芸能人として満足している世界を発見し、目から鱗が落ちる瞬間でもあったと覚えている。彼らが今は韓国の伝統芸能の「先生」になっている。私の『恨の人類学』の訳者として眞鍋氏はその本についても触れている。また私が心痛いSさんの死を語っている。私の教え子で日本留学、栄養失調、結核で隔離されていて、見舞った時、元気で早く学校へ戻りたいと言っていた彼女の突然の永眠の知らせに飛んでいった時、彼女の母は私に「先生のようになりたいと日本留学をしたのに死んだ」ことに怒り,悲しみ泣いておられたが私はただ「祈りしましょう」としか言えなかった。家内は納棺から葬儀が終わるまで手伝った彼女の死を本書の著者と共有していたのも新しい発見であった。彼女の死は今も今後も私たち夫婦にとって心の痛みである。