崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

守屋氏への国会喚問

2007年10月30日 07時36分12秒 | エッセイ
 接待し、接待を受けるのは人間社会の基本な人間関係であるのに、そこに不正が生まれ、友好を交わすべく美しい人間関係が否定される。接待問題で、守屋氏への国会喚問のラジオ中継を聞きながらいくつかのことを考えた。まず質問者と応答者の品格の差である。前者は高い位置から叱咤する態度である。主に国民を楯にして攻撃する。内容とは別に応答者の態度には気が抜けるように感じた。
 もう一つは出世とはなにか、つまり強力な権力を握って高い地位にまで登ってから下落することは悲劇であろう。ほんとうに何をしてもうまくいかない人の生活は少し惨めかもしれないが、悲劇ではない。出世はある意味で悲劇の要素が多いと言えるのである。
 また日本国防政策に守屋氏の業績は何もなかったのだろうか。その業績はただの業務と評価されている。もし彼がもっと偉くなった時はその業務が功績として褒め讃えられるのであろうか。この事件に限らず、大きい業績より小さい(?)失敗が過剰に叱咤される。