崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

辛い経歴、良い経歴

2007年10月16日 06時37分12秒 | エッセイ
 若い時1964年公立商業高校に初任して、専門の国語以外に英語とタイプライター教習を担当した辛い経験がある。英語の読解は良いにしても、米軍キャンプから訪ねてくる米軍将校と英語で会話をしなければならないのが辛かった。その米軍に会話を学ぶことにし、またタイプライター教本をもって練習して教えることにした。辛い毎日であった。英語のタイプライターからハングルのタイプライターへ切り替え、さらにコンピューターの時代を迎え、現在インタネットを楽しむようになった。辛い経験が良い経歴になった。今それを悟り、その時期の辛かったことに感謝している。

夫婦が書くエッセイとは

2007年10月15日 06時50分30秒 | エッセイ
 「夫婦が書くエッセイ」とは、という疑問を持つ人もいると思われる。大体毎朝早く私がラフに書いたもの、それは多少荒っぽく書いた文章を投稿する前に家内に校正してもらうようにして行う。表現が柔らかくなり、文体の訂正などで潤色されるが私には言論の自由のない「検閲」のように感ずる時さえある。しかし夫婦の調和のある仕事として嬉しさもあり、自制ができる状況であり、今後も続くであろう。

『HP』更新について友人のコメント

2007年10月14日 08時48分22秒 | エッセイ
私の未完の『HP』更新について友人のコメントがある。朴仙容氏はキムチだれの販売目的でホームページを作ろうとパソコン教室に通ったりもししたが、まだ作れない。「そろそろなんとかしなければと思った矢先に、崔先生の『PC』に対する果敢な取組みを知らされて、いま、驚いています。いい刺激を受け、励みになりました。これから気を引締めて頑張ります」と書いている。業者に頼んでも良いと思うが、そうすると更新や管理などまでも頼らなければならない。私も未完のものを完成させようと思っているところで朴氏に励まされたのである。

ホームページまた更新

2007年10月13日 06時50分20秒 | エッセイ
 昨日は朝から夜までホームページを未完のまま更新してみた。何回も公開してみて失敗し、あせったりうまくいって喜んだりした。途中で業者に連絡しようかと何度も思ったが自分の力でやってみよと頑張った。デザインや内容など任せられないこともあるが、それより自分でコンピューターと戦うゲーム感覚でやって完成させることを楽しむ。本当に今コンピューターは一番良い友人である。夢中になりすぎて事件を起こす人もいるが、それだけは気をつけなければならない。

桜の木が狂い咲き

2007年10月12日 06時06分05秒 | エッセイ
 地球温暖化といわれる熱署の夏も去り秋も短く、冬の話が出ている。海を見下ろしながら住むようになってから季節感が鈍くなったような気がする。ベランダにおいてある桜の木が狂い咲きしている。植物も季節感をなくしたようである。私は以前のように紅葉を見ながら寂しさを感ずる暇もなく、歳月が流れている。ただ流れる時間に任せているようなこの頃である。

門司港レトロに関して、大久保裕文氏の博士論文

2007年10月11日 06時38分22秒 | エッセイ
 大久保裕文氏の博士論文が届いた。都市計画の事例の中に門司港に関するところが目を引く。毎日わが住まいの窓から見える門司港の美しさ、そして実際歩いてみて観光地として魅力のあるレトロ港、それが行政、専門家、そして住民たちの努力によって可能になったことが分かる。
 地域住民のまちづくりへの参加意識を高め、まち並み景観意識の醸成、地区の歴史のつなぎ、住民の誇りに応えることができたという結論の一部は、廃れていく多くの市町村の地域活性化に大いに参考になると思う。私は「下関学」に応用できればと、この論文に感謝している。早く一般出版になることを待つ。

ヨーコさんをめぐって

2007年10月10日 07時10分15秒 | エッセイ
アメリカのボストン近郊、ケープコッドに住んでいる『ヨーコの話』の著者の作家である川嶋氏時間を共にし帰国後、その夫妻の話を最初に紹介してくれた鍬野氏と佐藤氏を拙宅へ迎え、楽しく報告をした。ノベライザーの朴仙容氏が鍬野氏を紹介してくれて、鍬野氏が川嶋氏と私の出会いをアレンジしてくれて、わが夫婦が訪米したのである。川嶋氏の自宅では日本の読者から送られてきた2冊の拙著と漬物、『ヨーコの話』の韓国語訳者のユン氏の夫との通話、話してみると彼とは古い知り合いの関係、日本と韓国、そしてアメリカと不思議な繋がりには感動した。佐藤幸子氏はそれらを神の計画のように感じられると感想を述べていた。

残忍な映像

2007年10月09日 07時31分23秒 | エッセイ
 TV映像にシマウマがトラに首を齧まれる残忍な映像を目にして辛い。私はそのような画像が出るのが嫌で動物の映像はあまり見ることがない。蟻も殺せないブッタの心であろうか。いまサハリン朝鮮人虐殺のサイパン記録を読んでいる。苦労の連続である。残虐な人間性はなぜ起こるのか、その状況、つまり憎しみへの関心からである。愛憎の対置関係を分析してみたい。

読書とは

2007年10月08日 07時21分54秒 | エッセイ
 読書が趣味という人が多い。しかし私のように本を読むのが仕事でもある者としては読書はある意味では苦労でもある。最近は電子辞典があって、百科事典も簡単に引けるので楽しい。聖書もコンピューター入力しておいてから検索を利用すると全体の関わりなどが一瞬に分かる。ただ読んで考える時間が少なくなったのではないかということに気が付いた。読書をしても充分に理解せず単に文字を見ているのではないかという反省も込めて、より深く読んで、考え、さらに先人たちに学ぶべきであると思うこのごろである。

宇部キリスト教会を訪問

2007年10月07日 07時31分52秒 | エッセイ
 昨日韓国下関教育院長の李永松先生の案内で在日の宇部キリスト教会を訪問した。協会の崔栄信牧師の夫人の李茂玉氏と私は師弟関係であるので特別に関心があって、わが夫婦は宇部行きを時間を割いて決行した。ちょうど韓国語クラス中であったので生徒さんたちとも話ができた。中には昭和13年に朝鮮に渡り京城大学予科1年生で終戦を迎え引き揚げた高齢の小田氏と話ができてよかった。また林和男氏から朝鮮での遊びについて証言を聞くことができ、調査ではあったが楽しい時間であった。

エアーカナダ

2007年10月06日 07時05分29秒 | エッセイ
 国際線のエアーカナダに乗った。使用言語は英語とフランス語である。カナダの中のケーベック市がフランス語圏であることを思い出した。他のサービスよりも私が非常に気に入ったことはコンピューター用電源の差し込みが座席ごとにあることである。30時間以上の飛行時間中コンピューターで文章を書けたことは大いに嬉しかった。カナダに着いて案内者がカナダはコンピューターに注力する国だと言っていたがなるほどと頷いた。数年前に乗ったストックホルムからノルウェイまでの列車にも座席ごとにコンピューター用電源があったことも印象的であった。それに比して日本はコンピューターの普及が遅れていることを強く感じた。

南北頂上会談

2007年10月05日 06時17分19秒 | エッセイ
 韓国の大統領と北朝鮮の国防委員長が会って会談をし、合意書に署名した。朝鮮戦争で38度線近くにおいて、苦労した私としては南北頂上会談を何より平和的進展として歓迎したい。しかし朝鮮半島の南北関係は朝鮮戦争によって互いに被害と離散家族など問題が多く、簡単に往来することは難しいと思う。そこで日朝のサプライズ頂上会談を期待する。日本は近隣国家である北朝鮮とは敵対関係を保持している。どんなに問題が横たわっていても北朝鮮と平和的な関係を模索すべきである。「圧力と対話」は「対話と圧力」に変えていけることを期待する。

沖縄集団自決

2007年10月04日 06時56分37秒 | エッセイ
 沖縄集団自決に関する教科書の国の検定について反抗する大規模なデモが起きた。沖縄は日本本島とはかなり異なる歴史を持っている。アメリカの占領期間も長かった。復帰直後、私は沖縄を訪れて経済的にはアメリカ時代が良かったなどの話を聞いたことがある。復帰されて30年以上も経っても時々沖縄のアイデンティティがその存在感を示す。米軍キャンプの問題、米軍の性暴行などもその脈絡から理解できる。今度の教科書問題もそのように感ずる。1982年の韓国での教科書問題で反日デモが全国的に起きて、独立記念館が誕生した。基本的な問題は学者の研究上の信念、歴史、そして民衆の思考とはどのようにマッチしていくかがより大きい問題であろう。国家の検定は必要なのだろうか?

韓国映画を朝鮮学校で

2007年10月03日 05時58分16秒 | エッセイ
 韓国の映画キンミョンジュン氏監督の「ウリ学校」(2時間10分)が下関朝鮮学校で上映された。札幌の朝鮮学校の生徒たちの姿をドキュメンタリータッチで撮ったものであり、「七夕の夜」に比肩するものである。在日の民族教育や在日の民族性をよく描いた作品である。「Go」などで現れた暴力的な先生のイメージはなく、少子化などで生徒が縮小される中で、民族教育への努力が強く伝わってくる。
 これを見る限り、朝鮮学校や在日は日本人に開かれていないのは勿論、母国祖国にも開かれていない。朝鮮語を守るのが一番ともいえるが2世、3世が教えているので、韓国語や朝鮮語とは距離があり、不完全なままの「在日朝鮮語」になっているのが心配である。それは北朝鮮や韓国でも通じにくい言葉である。なぜ彼らは言葉教育にネーティブを採用しないのであろうか。在日教育の一番の眼玉ともいえる言語教育をもう少し深く考慮してほしい。これは総連が一番力を入れたものの大きい問題であろう。

大連神社の100周年記念会調査

2007年10月02日 06時56分12秒 | エッセイ
 1907年10月1日旧満州の大連に建てられた神社のご神体をを終戦の渦中の時期にソ連軍の協力を得て下関に運び、赤間神宮内に「大連神社」として新しく古い神社を建てた。今日の100周年記念会では11時から1時間にわたって祝詞、神楽、中国胡弓演奏などの神事が行われた。今では信者が減って170人となっているという。植民地に建てた物が日本で存続しているのは植民地という負の遺産としてではなく、「懐かしさ」の名残りであろう。社会的倫理や歴史的正当性をもってこのような個人の「懐かしさ」を無視することはできない。