最近韓国や中国の「靖国反日」などに刺激されて、日本ではさまざまなナショナリズムが高くなっていく傾向を感ずる。愛国を教育にする教育基本法の改正が話題になっている。箸などを使って日本文化を大事にするとか、日本文化を重視する学校教育をテレビでみて困ったものだと感想を持っている。むしろ子供には箸を使って食べる社会、手で食べる社会、スプーンを使って食べる社会などがあるのだから色々なものを使ってみるような教育を望んでいる。いろいろな文化から選択して生きるように教育すべきであろう。愛は偏愛ではなく、普遍的な愛にならなければならない。
このたびの上京の際シンポジウム以外にも2ヶ所の出版社を編集会を兼ねて訪ねた。そこで高級な昼食の誘いに断れできずいただいてしまった。また家内の懐かしい友とも昼食をさらにとることになった。家内の友人のご主人からは私たちの宿泊したホテルを空から写した写真をお土産にいただいた。昨日は珍しく昼食を二回もし、幸せも重複した一日であった。
昨日朝日ホールで「日本人の死生観」というテーマのシンポジウムで発表してきた。朝10時半からリハーサルまでかなり準備している内に学者ではなく、俳優でもなった感じがした。ただ不思議なことは「日本人の死生観」というテーマで参加希望者が1200人にもなって本講堂以外にモニタールームまで設置したという。関係者たちが控え室でなぜこんなに多くの人が集まったのか話題になった。高齢化社会になって、自分たちの死生観に関心を持つようになったこと、あるいは日本人のアイデンティティを求める現象とも言われた。特に最近中国や韓国から言われた「靖国反日」の逆効果かもしれない。そうして見ると東アジアの国際関係の変動とも言える。
窓際のブーゲンベリアが満開したので隣のご夫妻と花見をした。十数年前に小さい鉢を買ったものが毎年2回見事に花が咲く。海を背景にこのピンクは実に美しい。多くの人に一緒に楽しんでもらいたい気持ちが強い。なぜであろうか。自慢ではない。幸せを少しでも共有したいからである。成長して室内には大き過ぎなパキラをマンションのロビーに置いていただいているが雰囲気がよい。皆さまに喜んでいただける空間にしたい。
明日伝統文化活性化国民協会主催「日本人の死生観」シンポが予定されている。580人制限の先着順で早く打ち切ったというが、1200人の参加希望しているということを聞いて意外に感ずる。現代人にとって関心の薄いテーマと思われるかと思ったがそうでもないようである。このような反響は日本の知識のレベルの高さを意味すると考えている。どの国においてもこのテーマでこのような熱情を見せることは難しいであろう。一方死生観は古いテーマであり、また常に新しいテーマにもなり、高齢化、移植、自殺など新しい問題も含んでいる。むずかしいテーマであるだけにどのように期待へ応じられるか心配である。
私は2回ほど、党首討論を視聴するために時間を調整して聞いた。そうのようなものには関心が強い。アメリカや韓国の大統領候補のディベートなども欠かず視聴した覚えがある。それは政策や対策の詳しい数字もよく引用されるが、その後ろに沈んでいる人間性、思想、人生観などが浮かんでくるから面白い。今度の討論では対策的な討論とともに未履修問題にぶつかった時、特に小沢氏の教育、倫理、哲学のようなものが幅広く見えてよかった。討論とはいっても質疑の形をとっているが、アメリカや韓国のように司会者が話題を提供して自己をアピールをする討論会になって欲しい。
東亜大学にトータルビューティー学科が創設されるということが報道された。下関は日本の床屋の発祥地という地域性、新しいアイディア、専門家の確保などの条件を揃って出来上がったものである。20年ほど前、韓国で私の知人である崔徳源氏が国立順天大学校の総長になった時、新しいアイディアで地方大学校が生き残るためより先進的な発想で漫画学科を作って大きな反響をよんだことを思い出す。彼は先見の目があると私たちは評価する。他にも韓国には映画学科、秘書学科、観光学科など早くから新しいアイディアで作られた学科は多い。今は「〇語〇文学科」という典型的な学風から実用主義的に特長を生かしたこのような学科がどんどん作られることを期待する。なにはともあれ、このトータルビューティー学科が躍動することを願っている。
韓国海外同胞財団理事長に私の友人李光奎氏の後任に李求弘氏が任命された。早速電話をしたら就任式に出るところであり、祝いの言葉を言った。私が広島で世界韓民族大会を主催した時彼が参加して以来付き合っている人である。彼は戦後歴史古い海外僑胞問題研究所所長をして、研究所の雑誌をOK TIMESを発行してきた。一筋やってきた。そして次官級のポストに任命されたのである。お祝いを申し上げる。これから彼の活躍に大いに期待する。私が見た成功された方の事例の一つである。また逆の事例もある。ある知人は10回ほど職種を変えた。結局一つも上手くいかないまま歳をとっている。周りにはこのようなタイプが多い。これは外から見たことであり、彼らの内部での自己満足があればそれはそれで成功であろう。
新しく編集している本の中に目立つ論文がある。台湾植民地に関して精力的に研究をなさっている関西学院大学の山路勝彦先生が台湾で日本兵士が神として祀られているという論文である。台湾の台南市近郊には日本人兵士を祀る廟がいくつかある。それは「将軍廟」と呼ばれているが、たいていは「陰廟」、つまり、正規の廟として認知されていない小さな廟である。この陰廟で祀られる祭神は戦死した日本人兵士とされているが、その姓名は確認できず、巷に伝わる伝承として、ただ日本兵を祀っているという話が流布しているのである。そこに日本人の観光客が増えているという。靖国神社が問題になっている今、異様な事例のように思われるかもしれない。しかしそれは無縁仏への恐れの怨霊信仰である。
教会で先日アメリカからこられた有名な自然学者の講演をめぐる小会があった。全員が難しいという。私は当日残念ながら東京で講演したので欠席であったがそこに参加した方々の話を聴いてみるとむずかしかったということであった。その難しさは二つあるようであった。一つは内容が難しいこと。当然自然科学者と宗教の関係は難しい。しかしそれはより根本的な問題であり、自然を究極的に探っていくと超自然の神の存在にいたることである。講師はその過程を考えたはずである。もう一つの難しさはスピーチにあると思われる。難しい問題を分かりやすく説明することが必要であり、それは大学生ではない一般の方々を対象にする時は特に重要である。時々講演、常に講義している私にとってはぜひ聞いてみたかった講演であった。
コンピューターで仕事をする時必ずといってもいい位ラジオをつけている。また深夜放送、朝早く4時ころからNHKの対談などをよく聞いている。中には作家五木寛之氏の戦前戦後の朝鮮での体験談が強く印象に残っている。私はテレビが出る前に鉱石を利用してラジオを作ったが、米軍の英語放送しか入らず、米軍の歌ばかり聴いたことを思い出す。若い時から歌えないが、アメリカのポップが好きになったことはおそらく米軍の放送AFKNのお陰であろう。
ほぼ毎日のようにコンピューターで仕事をしているうちに、脳とコンピューターは同じ原理ではないかと思うようになった。脳の記憶に反応する機能、つまりインプットしたものに反応するという原理である。人の味覚も同じように何時か食べたことがあること、脳にその味をインプットしたものに反応するということになる。そして脳がそれを管理し生命体を維持するのではないか。いまロボットの研究が盛んになっている。しかし脳の神秘性、脳の機能に至るにはコンピューターが数億台でも間に合わないだろう。人間が持っている神秘的な脳の機能を十分活用せず、死ぬことは悲劇である。
昨日は市民会館で日韓合作のミュージカルに招待されて家内の退勤を催促してぎりぎりで時間に間に合せて会館に着いたが人は一人もいない。約束した方へ電話したらその前日であったということで大いに失望した。私の電話の聞き間違いで人に迷惑をかけたり、ミュージカルに招待されたことを人に自慢したことが恥ずかしくなった。最悪の気持ちになった。実は帰宅時にバス時間を読み間違いて、来たバスを逃して次のバスを待ったが、その次のバス時間とほぼ同じだったのでコースがよいと思って待ったバスが大幅に遅れてミュージカルにはようやく間に合わせる時間までこぎつけたが大変な苦痛であった。私の失敗ではあるが特に運が悪い日があるようである。これを韓国語では「財数のない日」という。
北朝鮮の核実験、拉致問題、韓国や中国の靖国批判、国境問題などによって今、日本ではナショナリズムが強くなっている。それは政治だけのことではなく、民衆の動きのように感ずる。韓国や中国が日本の靖国に対する批判をしたことによって東アジア全体における不安な要素を高めたのだ。私は韓国の靖国批判に反する意見を述べたこともある。そして私が非難されていたが、今になって韓国の批判は間違いであることが明確であろう。チャムスキーが言うように知識人は平和を根本的に深く考え、発言すべきである。
昨日の朝4時頃から私の個人のホームページがトラブルを起こして開けなかった。ホットラインなどにSOSを呼びかけたが反応はなかった。大学でも知っている人がいなかった。結局私はキャッシュを利用して作り直した。一応作り直した時は万歳を叫ぶ気持ちであった。考えてみたら私はトラブルを通して少しづつ自信がついてきたと思うとトラブルも悪いだけではないものと考える。しかしトラブルが起こらないように注意したい。
そのトラブルのさなかにすばらしい人に出会った。彼は60歳。若い時ロシア文学が好きになって独学でロシア語を学び始め、当時高齢の早稲田大学ロシア文学科出身の方に学んだという。下関ではロシア語が出来る人があまりおらず、ロシア人が来たとき通訳として勤めたという。今「樺太朝鮮人の悲劇~サハリン朝鮮の現在~」出版の最終段階である裁判関係のロシア語文献の検討に協力してくださることになった。なんと幸せなことであろうか。
そのトラブルのさなかにすばらしい人に出会った。彼は60歳。若い時ロシア文学が好きになって独学でロシア語を学び始め、当時高齢の早稲田大学ロシア文学科出身の方に学んだという。下関ではロシア語が出来る人があまりおらず、ロシア人が来たとき通訳として勤めたという。今「樺太朝鮮人の悲劇~サハリン朝鮮の現在~」出版の最終段階である裁判関係のロシア語文献の検討に協力してくださることになった。なんと幸せなことであろうか。