崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

スポーツ・ナショナリズム

2006年03月24日 19時33分45秒 | エッセイ
 相撲と野球の中継を見ながら個人プレイとチームプレイについて考える。野球においては協力のために個性を伏せることがあるが、相撲では譲ることは一切無い。それぞれに面白さがある。野球は戦略など頭をかなり使い、チーム全体で勝利に向かっていく面白さがあり、相撲はもちろん戦略もあり頭も大いに使うが、自分の体と力を精一杯使っている。一人で戦うところにすごく魅力を感じる。
 応援というのはゲームの面白さだけではなく、味方をするということである。つまりどちらかの味方をして、勝つように応援し、相手が負けることを願うことである。客観的な「観戦」ではなく、戦争や喧嘩の心で見ることである。なるほどそれがスポーツ・ナショナリズムにつながると気がつく。今相撲を見ていると朝青龍の負けを願っている人が多くいるように感ずるのはなぜだろうか。