山田寛人氏の漢字の翻訳を問題にした論文が送られてきて面白く読んだ。「日韓」「韓日」「中日」「日中」「日本海」「独島」「竹島」など地名や国名などの訳に関する分析である。その際相手国を礼儀上尊重するか、自国の主体性を守るかということが話題になっている。その両面だけではない。日本の敵国(?)の北朝鮮を礼儀上とか、主体性とはいっても植民地されると地名なども変わるなどで普遍性は弱いものだ。
この場合に言語学や法律上の客観性に依らざるを得ないだろう。そのためには言葉の恣意性、つまりたとえば「中村美子」は「中にある村の美しい子ども」ということではない、ただの人名に過ぎないように「日本海」は「日本の海」を意味しない。以前にも指摘したように「インド洋」もインドの海を意味しない。日本海論争は如何に言語学の基礎知識が粗末であるかを感ずる。
この場合に言語学や法律上の客観性に依らざるを得ないだろう。そのためには言葉の恣意性、つまりたとえば「中村美子」は「中にある村の美しい子ども」ということではない、ただの人名に過ぎないように「日本海」は「日本の海」を意味しない。以前にも指摘したように「インド洋」もインドの海を意味しない。日本海論争は如何に言語学の基礎知識が粗末であるかを感ずる。
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