「対話」の意味 2018年06月02日 05時35分00秒 | エッセイ 連日日大内田氏を猛撃するメディアをみると「確認射殺」(二重殺し)までするように感ずる。正義か、虐めか。北朝鮮向けの政策も「拉致」一方、敵対しか感じない。 「圧力と対話」という日本政府の標語だが、私にはその「対話」の意味が分からない。米朝が交渉と対話を進行し、予定通り会談をするという。歓迎したい。トランプ大統領は「圧力」という言葉を使わないと言う。韓国は休戦状態から「終戦宣言」も期待している。私は朝鮮戦争を思い出してしまう。校正作業中の次作の新刊で私は朝鮮戦争をめぐる私の生体験を語る。それは単純な情報の本ではない。虐め、敵対を止めて、物事への正しい見方への強いメッセージである。 « カザフスタン抑留記 | トップ | 読者たちからのコメント葉書 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 圧力 (西原経徳) 2018-06-02 06:26:25 トランプ大統領が圧力という言葉を使わないと言っても雰囲気そのものを圧力と感じます。 返信する Unknown (崔吉城) 2018-06-02 18:47:41 本当にそうですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
雰囲気そのものを圧力と感じます。