江戸時代の日朝関係の繰り返しか、日韓の不均衡関係が今なお繰り返され、それなりに安定している。通信使が朝鮮で妓生と楽しく過ごし、日本では芸者接待などは受けられなかったが、日本は性的に淫乱であると非難している。慰安婦問題がコロナ下で静まっているようであったが、突然李溶洙宣言で騒いている。「反日カード」が無効になることを恐れ、金銭問題へ方向転換している。
昨日本欄で「手を洗う」ことに触れ、よいコメントが多く届き、嬉しい。再び触れてみたい。手を洗う文化とは公衆トイレから山の中の一軒家でもトイレと手を洗う洗面台がセットにされた規定、制度までを含む。
1960年代に私は死霊を洗うというシャーマン儀礼のシッキンクッ(洗霊祭)を調査研究し、韓国の草墳、沖縄の洗骨、そして台湾など東南アジアまで広げて調査旅行をした。清める文化について広く考えたのである。学問的には清潔というのは衛生的、社会的差別(汚い)、斎戒など宗教的な意味がある。韓国ではそれ以外に政治的な「浄化運動」「積弊淸算」などがある。北朝鮮などでは「肅淸」というのもある。
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