日韓合作の本を作ろうとして、縦書きにするか横書きにするかの編集が問題となり、議論になった。昨日の議論は「縦横」の衝突のようなものであった。読者の志向を知っている日韓の出版社の社長たちの議論を聞きながら「縦横の調和」は難しいと感じた。韓国は縦書きから横書きへ完全と言えるほど変わった。日本でも縦書きから横書きへ代わりつつある。しかし日本はまだ縦書きが主である。本体の基本構造の差が表れた。文章だけではない。文字を書く順序もある。縦書きでも下から上へ、あるいは横書きも右から左へという様な書き方もありうる。それはどちらが効率的かということではなく、慣れによるものである。私は若い時縦書きの文を横に持って読んで速さを自分で実験してみたことがある。
世界にはいろいろな文字があって、また右通行、左通行があり、その国によってどちらかに決められて、慣れることが重要である。それに反すると反則や違反となる。日本は縦書きに横書きを混合している編集も多い。日韓両国でも縦書き、横書きの変遷を辿っている。韓国では横書きで統一化されているが、書店などの書棚に立てた本題は縦書きになっているのが普通であり、最小限の縦書きが残っている。横文字という英文書では書棚で立てた時には読みにくいことがある。
下関のグリーンモールの入り口に数年前に立てた「門山釜」という門が立っている。「釜山門」を右から横書きしたものであろうか、あるいは一文字ずつの縦書きであろうか。現在の建築になぜわけのわからない書き方をしたか。おそらく縦横の争論の上、至った書き方であろう。国際化は一律に統一するものではないと反発する人も多いが、方向、左右、縦横などは統一していくのが便利であろう。縦横の編集問題は未解決のままである。
世界にはいろいろな文字があって、また右通行、左通行があり、その国によってどちらかに決められて、慣れることが重要である。それに反すると反則や違反となる。日本は縦書きに横書きを混合している編集も多い。日韓両国でも縦書き、横書きの変遷を辿っている。韓国では横書きで統一化されているが、書店などの書棚に立てた本題は縦書きになっているのが普通であり、最小限の縦書きが残っている。横文字という英文書では書棚で立てた時には読みにくいことがある。
下関のグリーンモールの入り口に数年前に立てた「門山釜」という門が立っている。「釜山門」を右から横書きしたものであろうか、あるいは一文字ずつの縦書きであろうか。現在の建築になぜわけのわからない書き方をしたか。おそらく縦横の争論の上、至った書き方であろう。国際化は一律に統一するものではないと反発する人も多いが、方向、左右、縦横などは統一していくのが便利であろう。縦横の編集問題は未解決のままである。
便利になるのはよいのですが、押し付ける側には何のコストも発生しないのに比べ、押し付けられる側には多大なコストが発生します。その不公平感の何処に「愛」があるのですか?
今ある国際的なルールにすら従えない方々に対して「慣れるものだから従え」と説得しきれないのに、統一したルール作りがいかに困難であるかは解りそうなものですが。