昨日教会の共同議会で「名誉勸士」の称号をいただいた。勸士は30年ほど前にいただいたので「名誉」を着けてくれたのは高齢者である意味が大きい。棚上げや引退の意味で使われることもある。しかし教会で認められたことは神によって任命された意味であるので感謝すべきである。その後に他の集まりでは「名誉顧問」という称号の付いたのを頼まれ、私は名誉教授をはじめ名誉と付いたものが三つになる。世俗的に「お金と名誉」が人の目指すところであり、私はお金には縁が薄かったが、小さい世界では目的をある程度達成したと言えるのかもしれない。しかし名誉という単語を辞書で引いてみると「名誉」(Honour)とは、自身の業績、功績、態度、姿、振る舞い、あり方、生き方を讃えられ、それがすぐれている、価値があると自他共に認め、それを自らの尊厳、誇りと見なすこと ...と書いてある。大変なものをいただいたことであると驚いている。
名誉はもらう、いただくのは難しいが、傷つけ落とすこと、つまり「名誉毀損」はされ安いものであろう。注意して持ち続けることであるが、それより積極的に社会に奉仕する意味で受けるべきである。名誉ある意見、名誉ある行動をすべきだと思うと萎縮しがちでもある。しかし、それほど落ちるような高いものではないと思い今まで通り普通のリズムで生きることにする。(写真は海峡メッセ29階での昼食会)