崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

忘れ物

2010年10月20日 03時40分26秒 | エッセイ
 バスで帰宅した。携帯電話を使用しようとしてないのに気づいた。バスに乗る直前に使ったのでバスの中で落としたのであろう。しかし乗りかえて乗ったのでどのバスかは確定できない。バス会社に電話したら走行中であるということで確認できない。情報を失ったらどうしようと不安が強くなってくる。古くから眼鏡は体の一部のように忘れることはないが、補聴器は時々忘れることがある。機械であっても体の一部のようになった。携帯は数年の内に体の一部のようなものに近くなっている。年をとるにつれて義歯、杖、あるいはペースメーカーなど、さらに酸素マスクなどをつけることもあるだろう。
 しかし携帯は眼鏡や補聴器のように体の一部にくっつけるようなものではない。ある人は首に掛けており、ある人は上着の飾りポケットに入れたりなどさまざまである。私はズボンの左側ポケットに入れている。座り方によりすべり落ちれたのであろう。自分の行動パターンを逆行して経路を辿り想像する。不安は深まる。一方正直な安定している日本社会を信頼する。今まで数多くの忘れ物が戻ったことを思い出す。新幹線の中に骨董品を、飛行機の中に眼鏡を忘れたが戻ったことを思い出す。中には印鑑のように戻ってこなかったものもある。
 電話で携帯が保管されていることを知り、7時ころ暗い石原車庫の事務室に着いた。親切な人から受け取った時は本当に嬉しかった。携帯は宝物のように感じた。感謝、感謝、である。また日本社会に住むことを幸いと思った。

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