崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「花を咲かそう」

2009年02月21日 05時46分46秒 | エッセイ
今朝の毎日新聞(山口)に寄稿したリレーエッセー文である。

 気温が10度くらい急降下、寒さが逆戻りした。数日前まで4月中旬頃の気温、異様な暖冬、温暖化だといわれたのが嘘のようである。私は春に花咲くころ寒さが逆戻りするのをほぼ毎年体験してきた。韓国では花が咲く頃の寒さをコッセンチュウイ、つまり花が咲くのをうらやみねたむこと、「嫉妬する寒さ」だという。しかし春の風は優しく感じて、ボンバラム(春風)で人が恋しくなるとも言う。日本の春の風は強く吹く。この「春一番」は厳しく怖いほどである。風は人の心にもダイナミックに影響している。政治的に追風とか、逆風とかいわれる。歴史的には神秘的な風を「神風」とも言われた。
 韓国人は日本人より気温に敏感である。日本より気温の差が激しいからであろう。コッセンチュウイの寒さには花を咲かせたくない、嫉妬する意味がある。人生に比して考えてみる。伝統的に人生の花は青春、結婚であった。韓国では「花らしき青春」コッタウンチョンチュンといい、日本では花嫁、花婿が人生の花である。私の父は10歳、母は11歳で結婚した。今は韓国でも婚期が遅延している。それは人生の花が咲くことを遅延させたからである。
 人生には開花を遅延させる「寒さ」「辛さ」がある。その辛さが人生の華やかな時代を遅延させるのかもしれない。人には辛い苦難の時期がある。それは人生における一つのリズムであり、花を咲かせる準備期でもある。その寒さに開花の遅延を待ちたい。人によってはそれを避けようとする。寒さ、すなわち辛さをただの不運として逃げようとする。またそれに屈伏するかも知れない。寒さに負けず素晴らしい花を咲かせてみよう。私は寒さに待たされた「花を咲かそう」と望みを持っている。

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