崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

沖縄復帰40周年

2012年05月21日 04時30分20秒 | エッセイ
沖縄が復帰して40周年だという。私が日本留学に来てから40年になるということにもなる。私と沖縄との出会いはそのころからであった。韓国の全羅道の島々をフィールドとしていた私にとって日本、さらに沖縄の調査はは良いフィールドを広げることだと思っていた。長澤先生を団長とする沖縄調査団に内田るりこ先生のグループに入れてもらって鹿児島から定期船で出発した。台風に会い、与論島などに停泊、調査途中帰宅してしまった。後に成城大学の野口武徳先生のグループと一緒に宮古島に数回調査したが野口先生の病気、そして亡くなられて調査は続かなかった。後には法政大学の外間守善先生とテレビ出演や学会、講演会などに呼ばれることがあり、沖縄を訪ねる機会が多くなった。沖縄復帰10周年、20周年記念行事には講演や研究会に参加した。中村哲先生の親筆「学は人なり」は我が家の壁に掛っている(写真)。京都の上田正昭先生の主催のアジアの比較研究会にも参加した。渡辺欣雄先生の科研代表の風水研究会が石垣島で行われた時にも参加した。最近はビジュアルフォクロアの北村皆雄氏の事務局、牛島巌先生が代表としている日本映像民俗学の全国大会に参加した。その会議の途中、沖縄のパネラーの先生が市民大会へ参加のために会議が中断となることもあって、異例なことと思った。
 沖縄往来ととも親しくなり多くの友人、知人が自然に生じた。中には10周年記念講演を一緒にしたノルウェイ・オスローのレックン氏、数年前家内と一緒に訪ねて行ったことは懐かしい、友情の旅であった。また10周年の時飛行場まで迎えてくれた東江康治先生とは沖縄を訪ねる時毎お会いしたが、彼は後に名桜大学を設立に力を入れ理事長、学長などを歴任された。その大学には私の学部時代の学生であった文化人類学者の李鎮栄君、許点淑さんが勤めている。先日李君とは中国広州で研究会に参加した時に会った。彼も老熟して電車に乗った時中国の学生が私より彼に席を譲ってしまって笑いの種になった。私の沖縄の往来は多くの恩、愛情、絆を持たせてくれた。

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