崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

春帆楼

2010年07月23日 05時42分12秒 | エッセイ
下関に住んで5年、昨夜初めて春帆楼へ招かれた。高級レストランということと味を知らないふぐの専門店ということで縁がまったくなかった。関門の急流を望む、下関の迎賓館だという。明治21年、伊藤博文がふぐ料理の食禁制を解除し、ふく料理の高級料理屋になった。
 眼科医・藤野玄洋が買い取り、明治10年新たに月波楼医院を開業し、その後、妻のミチはこれを改造して割烹を兼ねた旅館を開業した。「春帆楼」という名称を伊藤博文が「春の海の帆船」を心に描いて名付けたという。1945年の戦災で全焼し、戦後まもなく復興した。関門国道トンネル開通時と山口国体の際には昭和天皇・皇后が泊った。そして、現在の建物は、1985年に改築したものである。玄関に入ってから左側の壁にはそれらの写真が掛かっている。
 このような名所の食堂に座るには一定の資格のようなものが要るのかなとふっと感じた。歴史や風景を楽しみ、料理を楽しみ、格高い対話が調和されることが期待されるのではないか。私は雰囲気に圧倒され料理の味は二の次になり、口に合わないものまで試食の感じて全部食べてしまいお腹がいっぱいになった。その中で丸い里芋を皮をむかず出たのを皮そのまま食べた。私は食べ方も知らずこの場にふさわしくないと思ったりした。
 「高級」とはなにか。ただ値段が高いとか、官職や地位が高い人が来るという意味では「高級」を守ることはできない。このように歴史的な名所の風景にて、また高級料理を前に世相の噂話や利権の話をするのは下品なことであり、場を汚すことである。もっと理想と希望に満ちた国家の品格や教育、個人の人生を語る時間にすべきである。ここ「春帆楼」を訪れる人は清き高級な心を持って品格を守ってほしい。

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