崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

感謝節

2012年11月19日 05時24分27秒 | エッセイ

 昨日は通っているキリスト教会の感謝節であった。イギリスからアメリカに移住してきた清教徒たちが信仰をもって暮らし、神に感謝した信仰史を考え、私も日本に移住して日本人の中で暮らし日本人化したが,人生観は清教徒のような信仰が柱であったことと考える。一年を振り返ってみて無事にいろいろな社会奉仕もできて感謝である。教会の信徒数は目の前で減っていって今は20人前後しかいない。しかし信仰を堡壘とする信仰心の強い人だけであろう。餅やナムルとスープなどの御馳走を前に皆で祈って共食した。私は風邪で味覚を失い、味わうことはできなかったがよく食べた。一緒に食べることが家族であり、韓国ではシック(食口)という。家族ではない食口をケッシク(客食)といい、大きい教会が小さくなると食口になる。食口から開拓して大きくなったり、小さくなったりしても食口が核である。格式のない話、しかし非難や不平の話などはない。何を話をしたか記憶に残る話題は全くない。ただ感謝の気持ちで人の安否と心配などがあったようである。それで良い、社会の中にもう一つ食口を持つことは幸せなことである。


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