崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

台湾は暑い

2017年12月11日 04時44分43秒 | 旅行

 台湾は暑い。一作日台湾は寒いと書いたが昨日は暑かった。そこで火の上で焼くようなものが目に入った。それに「熱狗」と書かれた宣伝文である。犬肉を焼いて売るのかと嫌な思いをしたが、それはホッドクだという。英語のHot Dogの訳語「熱狗」になったのである。中国語が無知であるのも楽しい。台湾は冬なのに紅葉もなく植物が茂ったままでで、まるで植物園のようだ。ブーゲンビリア、コスモス、ポインセチア、サンバチェンスなどの花が満開、稲刈りなどの風景も見かけた。一行は14人、ニューフェイスの一人は黄智慧先生のご主人の歴史学者であり彼女の同僚である。

 蒋介石文化記念公園に行った。11時丁度10分ほど「霊堂」の前に不動姿勢の二人の警備憲兵の交代儀式があって見た。それで集合時間が過ぎて早足にバス乗り場に急いで戻ったが早すぎ、それから記念銅像が羅列している公園を回りながら鑑賞した。なぜこのように蒋介石銅像が多いのか。独裁時代、小中学校などに建てられたものが時代が過ぎ、無用になったものを破壊をせずここに移動させたのだという。多くの国では破壊するが、ここでは独裁政権からスムースに民主化した国であることが分かる。中国本土からの観光客も多い。
 次のところは北浦の客家町であった。客家人は真面目な文化をもってせおり、勉強家が多く、、出世した人が多いという。日曜日であり、街は祭り風景、客家料理10皿ほどを皆で楽しく食べ、そこで天江氏が偶然入った店で日本統治時代に志願兵として東ティモールまで行かれた96歳の男性に出会った。彼は既にメディアなどに報道されて話題にもなっている。そこからそれほど遠くない第2次戦争の戦没者3万人弱の位牌が祀られている所に行った。靖国から移したという。このように戦争を記念する。台湾では日本家屋が保存されているが日本本島ではなくしているという現象、植民地遺産が肯定的に残っている現場、さらに戦士が記念されていること、私は位牌室の中で複雑な気持であった。帰りは渋滞、遅く帰り皆と別れ、遠くから来られた頼氏とは夕食後に別れた。皆さんに感謝である。