崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

単身赴任

2017年06月21日 04時55分23秒 | エッセイ
 アルバムから「私の人脈」という写真を公開している。それは終活の一つであるとも思われる。放浪人生、多くの出会い、その人間関係を持ち続けたい。単身赴任には否定的である。家内は常に一緒に放浪(?)してきた。夫婦は一緒に暮らすということ、それは家内の職業に対して尊重が薄い、人権問題かもしれない。
 職場には長い単身赴任の人がいる。赴任の地域とは縁の薄い人、そこを離れると縁の一点も残らない。送別が「無縁」となる。特に新聞記者は転勤が多い。ある人に言った。縁を持って、新しく作れる良い職業であると。彼とは転勤されて数年たっても、時々会っている。
 私と4代続きで付き合いのある大阪市立大学の堀まどか氏が私の講演についての投稿、それが議論となっているので紹介する。
 
 崔先生の講演のなかで、「日本人は、引っ越しをすると、その前の人間関係の縁を切る・・・」という話があって、まるで私のことを言われているような気がして、心に残っている。彼方此方を転々と暮らしてきた私も、そうなのだろうか、そう思われているのだろうか?と・・・。縁を切っているつもりは決してない。ただ、どこに住んでいても、ニュートラルに、自分自身の生活をしているのは確かである。韓国の人(あるいは他国の人)からみて、いかにも日本人の〈人間関係の薄い暮らし方〉に見えるのかもしれないと思った。しかし、それが「至誠」がないと、結論づけられることでもない、と思うので、私なりの「至誠」ある生き方をしていきたいと思った。
(日本人的な人付き合いが「=情が薄い」といわれても、それはそれなりの「情」があってこそ、そうなっているので、なかなか変えられないものがある・・・と思ったことは事実である。)

こういうのは、実に説明が難しいが、面白い。

...

たとえば、村上春樹の小説。奥さんから「あなたともう暮らせない。そういう夢をみた。」と言われ不倫の事実を聞かされた男は、動揺するものの、不倫相手が誰かと追求することもなく、自分が即座に家を出ていった。怒鳴ったりわめいたりしないのである。感情表現としては淡泊で冷静な日本人たちである。(これは、韓国のドラマなどではあり得ないのではないか、という気がして、、、外国人読者はどのように感じるのだろうか、と思って、昨日、学生たちとその部分を読んで、質問してみたのだが、中国人や韓国人は、二人の結婚には愛

<form id="u_jsonp_2_17" class="commentable_item" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{">
池田 あさみ 個人的な体験談としては、韓国人の場合、離れていても連絡したり、常に近状報告をする人間関係を重要視している気がしますが、日本では言わなくてもわかるだろうという、阿吽の呼吸に近い人間関係に近いと思います。日本は便りのないのはよい便りと捉えても、韓国だと、連絡ないともう自分のこと忘れちゃったのかなとか寂しい思いをする人は多い気がします。
堀 まどか 返信ありがとうー!確かに、そうなんだろうなと思います。分かっていても、なかなか変えることもできなくって。。。そういう違いがあることを、相互に知覚するようになると良いよねぇ。
Yuki Meno 「日本人の引っ越し」って、そもそも引っ越しじたいが「単身赴任」「銀行の転勤族」ほか、他国の人から見たら納得しにくいケースが多いからね~。あまり転勤しすぎて、どこの地域でも人間関係が構築できなかった奥さんが、最後に我慢しきれずに離婚するケースもある。韓国やアメリカは、そこまで無茶な引っ越しは、日本ほどしないのでは。だから、日本の転勤族みたいな引っ越しは、情緒的にも理解しにくいかもしれない。
堀 まどか なるほどね、面白い視点!!
Yuki Meno というか、「家族と別れたくない」という理由で離職したアメリカ人男性を二人知ってるんだけど、もしかしたら韓国人も「単身赴任するくらいなら離職する」と思うのかな?と。日本にはない発想…。
堀 まどか なるほどね〜、、、考えさせられる。😅
堀 まどか そう考えると、私のような生活をしている者が「情がない」とか「人間関係が薄い」と思われても、まったく不思議ではなく、むしろ妥当だわ。実際、薄情なのかもしれないわ😅 何に重きを置く人生なのか、よく分からなくなってきた〜。ハハ😅
Yuki Meno 堀さんは、全然薄情ではないよ。東日本大震災の時、姻戚の親族を快く京都のおうちに住まわせていたじゃない?こんなできた人は、ちょっと今時の日本にはいないよ。一番勉強が忙しかった時も、出産子育てをよく頑張って偉かったし。本当に薄情なひとは、堀さんみたいに行動しない。
堀 まどか んー、、、それ、買いかぶり。親族が泊まっていてくれたのは、私たちにとっては楽しかった記憶で、貴重な時間だった。困ったら、いつでもお互い避難したりできるような、リスク分散型の家族形態なのです。
堀 まどか ・・・こんなふうに危険回避とかリスク分散とか防災対策とか、石橋も個別で渡って安全度を高めるみたいな家族形態も、、、良いんだか悪いんだか。でも、まあ、いいよね😅
Yuki Meno それこそ、本当に薄情な人にはできない発想だし、韓国や中国やアメリカの人にも理解される「情」「至誠」だと思います。ちなみにうちは、夫が「ゆきちゃんが怒ると思うから、そういう時はそとにホテルとって泊めさす」というておりました。
堀 まどか たしかに、自分の生活空間を大事にするところがある。私だってそれはあるよ!でも、子供がいたから、人が家に来てくれるほうがかえって嬉しかったのよ。ちなみに、「ゆきちゃん」と呼ばれているの、かわいいね〜😆
Yuki Meno キャー(/ω\)
Rie Matsui Ishioka 私はコミュニティについて研究していることもあって、自分が現時点で住んでいるコミュニティを重視して生活する日本に対して、自分がこれまで築いてきたネットワークを重視して生活する韓国(自分が現時点で住んでいるコミュニティはそれほど重要ではない?)というイメージがあります。こんなに単純化はできないと思いますが(笑)。韓国でまちづくりに関わる方々は、多分、日本とは異なる大変さを経験していらっしゃるのではないかと推察します。
堀 まどか なるほど〜、そうかも😁 面白い視点ですね!!コメントありがとうございます!
2017.6.17
</form>

崔吉城先生の「出版記念講演会」(喜寿のお祝い会)。優れた人類学者であることはいうまでもないが、祝辞で誰かが述べていたように、その「至誠」のお人柄に、みな深い敬愛の念を感じている。先生とそれを囲む皆の笑顔を見て、じつに嬉しかった。
「至誠」・・・・それは、生き方の問題なのだが、自分はまだそこに至っていないと思う。いつかそれが自然に全身で表現できているようになれたらいいのだが、、、と思いながら帰宅した。