今年は「終戦70年」という戦争反省の年であった。なぜ「終戦70年」とう標語を高く振ったのか、反省をより深く反省することであろう。加害と被害に関するものだった。加害者であった日本では加害よりは被害が強調されて、被害者であった韓国や中国などは鬱憤を払うように日本に挑戦的な態度をとっていた。日本は加害国より被害国になった印象が強い。それは戦争期よりは「敗戦」という時点に焦点をおいていたからであろう。しかしソ連兵の性暴行などロシアに謝罪や賠償を要求しない。慰安婦以上の問題であるが問題にしない。不思議な戦争反省である。
李淵植著舘野訳の『朝鮮引揚げ日本人:加害と被害の記憶を超えて』が届いた。加害と被害を同時にみようとしたことがわかる。李氏は森田芳夫氏の『朝鮮終戦の記録』について「終戦後に体験したあらゆる惨状の記録の集大成ではあるが、なぜそのような惨状が生まれたかについて、歴史的省察が十分になされているとは言えない。」と指摘している。つまり加害の部分が抜けているという。加害を話題にすると「勝戦物語」になるかもしれない。「終戦70年」は物足りなく、問題を多く起こした年であったことを振り返ってみた。
李淵植著舘野訳の『朝鮮引揚げ日本人:加害と被害の記憶を超えて』が届いた。加害と被害を同時にみようとしたことがわかる。李氏は森田芳夫氏の『朝鮮終戦の記録』について「終戦後に体験したあらゆる惨状の記録の集大成ではあるが、なぜそのような惨状が生まれたかについて、歴史的省察が十分になされているとは言えない。」と指摘している。つまり加害の部分が抜けているという。加害を話題にすると「勝戦物語」になるかもしれない。「終戦70年」は物足りなく、問題を多く起こした年であったことを振り返ってみた。