崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国の政治裁判

2015年12月18日 04時46分12秒 | 旅行
今日韓関係に関わるような裁判が注目されている。昨日加藤達也元ソウル支局長がソウル中央地裁で「無罪」と判決された。異例だという意見が多い。加藤氏の知人である私としては歓迎である。ただその一連の様子を伺いながら判決そのものではなく、裁判制度はどうなのだろうか考えている。昔韓国の流配島として有名な島々を現地調査地として歩きながら島民に歴史的なこと、流配者の「罪」に関して聞き取りをしたことを思い出す。誰一人、流配者の罪を「罪」として認めている人はおらず、ただ歴史、時代の政治的な犠牲者と思っており、当時の裁判が正しかったと思っている人はいなかった。日本でも同様である。菅原道真の流配「罪」も政治的争いの犠牲になり怨恨強く、怨霊信仰の神様になっている。私は韓国の崔瑩将軍と比較したことがある(『韓国の祖先崇拝』御茶ノ水書房)。
 最近の一連の裁判の判決をどうみるべきだろうか。報道によれば昨日裁判長は判決の言い渡しを始める前に、外交省から検察側を通じて、裁判所に提出された文書を読み上げたという。韓国外交省当局者は異例の要請をしたことが明らかになった。また日本からは外交が成功したようなコメントが出た。私は韓国の政治裁判(?)、日本の世論裁判(?)に失望している。私がもし職業をやり直せる機会があれば「正しい裁判官」になりたい。しかし私が望む裁判官は今の状況では政治的に失敗、世論からもかけ離れ、失敗終わる裁判官になるのであろう。長い歴史に評価される裁判制度が確立されるのはいつの時代になるのだろうか。