崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

法輪さんの説法

2006年02月19日 10時17分08秒 | エッセイ
 ドイツで偶然に仏教の説法を聞いた。ポーズの長い話が感動的に始まった。西山か東山かの論争はたんなる立場による違いであり、事物の本質とは関係がないとい趣旨の説法だ。仏教ではそれを“空”という。木切れは「タダの木」であるが、それが形を変えて十字架になり、仏像にもなる。しかし人間はものに関する態度によって問題を起こし、また悩んでいると指摘する。
 相談の事例を紹介した。本質ではなく、自分自身の心の持ち方で幸、不幸が決まる。それは唯心と呼ばれる。ネパールのコマリというヒンズ寺院では生理が始まる前の女の子を女神として祭るが、一旦生理が始まったら不浄になったと考えられ、彼女は別視される。夫の悪口も愛情の表現として解釈すると幸せになるという。不幸なことも別に決まっているわけではない。苦は悟る機会であり、楽である。そのような苦楽から解脱すること、自然な生き方をするのがよいということである。
 なるほど!