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一日一句(809)







畑中のケーキ屋自慢のアップルパイ






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高木仁三郎の言葉(57)




高木仁三郎の言葉 #59

TMIでは、機械部分の小さな異常を契機として事故が進展し、それによってもたらされた混乱が人間の判断ミスを誘い、それが機械部分の異常を拡大し―という風に、機械と人間がやりとりしながら、異常を増幅していった。たとえば、制御室には最盛時には1分間に何十もの警報が寄せられ、温度計はクエッション・マークを出し続け、コンピュータの打ち出しは遅れに遅れ、各種の計器やランプの表示も適切を欠いた。これは単純に人間のミスが事故を誘発した(こういう種類の事故は、このシステムをフール・プルーフにすることによりかなり防ぎうる)ということでも、逆に機械の欠陥が事故を誘発した(これはフェイル・セーフ設定によりある程度防ぎうる)ということでもない。ひとつひとつは、小さな混乱と思われることが、人間―機械の“奇妙な”とでも言うしかないような、やりとりの中で拡大され、次第に大きな事態になっていくのである。

高木仁三郎セレクション p.88

The words of Jinzaburoh TAKAGI (1938-2000), people's scientist against nuclear power#59

Human factors in a nuclear accident

The man-machine interface got a matter multiplied in the accident at TMI in ways that it developed from a small trouble in machinery, the confusion with it provoking a human error in judgment, and it enlarging the trouble in machinery. For example dozens of alerts a minute came to the control room at the peak, the thermometer continued to show question marks, the output from a computer was much-delayed, and various indicators and lamps showed inadequately. This didn’t mean a human error simply triggered the accident (which can be prevented to a large degree by setting the fool proof), and neither mean a trouble in machinery caused it (which can be protected to some extent by setting the fail safe). Every seemingly small confusion grows to a large-scaled problem through the “strange”―nothing left to say except it―interactions between man and machine.

Jinzaburoh TAKAGI selection p. 88
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一日一句(808)







忽然と畑の中の冷蔵庫










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一日一句(807)







ふるさとはあゝ炎天の道ばかり






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一日一句(806)







最善は尽くしてゐるがと墓洗ふ






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詩人・村松武司の現代的意義




「とうさんのアグラのなかに/はいって、みるテレビ//よっつの目をもつ/いっぴきの動物
//ぼくの呼吸にあわせて/とうさんも呼吸する/不規則に。」
 これは、詩人、村松武司(1924-93)の「九月四日」 と題された詩である。村松は、日本の戦後詩の出発点となった詩誌「純粋詩」の編集に携わり、後に「荒地」とともに、今も、現代詩に影響与え続けている「列島」の創刊同人となった。
 村松は、京城(現ソウル)に3代目の植民者として生まれ、京城中学を経て、仁川郊外の電波兵器士官学校で敗戦を迎えた。京城という地名も、植民者というカテゴリーも、今ではほとんど聞かれなくなった。詩人村松武司の名も、その現代性に比して不当なほど忘れ去られている。村松は、植民者という出自に生涯こだわった。このことで、同時代の戦後詩人たちが、不思議なほど見落としていた視座を獲得するのである。それは「現在も植民地主義は続いている」という認識である。村松が生涯戦った植民地主義とは何なのか。
「履歴書に残す帝国酸素かな」
 この摂津幸彦の俳句は一読複雑な味わいを残す。その複雑さは、「帝国酸素」に由来する。大岡昇平も在籍したこの神戸の会社は、その名のとおり、大日本帝国の時代に設立された。この句を在日朝鮮人が読んだらどうだろうか。この句のアイロニーは一転して日本人の帝国への郷愁とその正当化へと転化してしまうだろう。ここに今も続く植民地主義の現実がある。
 村松はそれを端的にこう表現している。「朝鮮を懐かしがってはならない」。植民者の自分に課した倫理である。村松は、従軍慰安婦について、次のように述べている。「私は―人によって見解は違うかもしれないが―売買春にあっては、売る権利はあっても買う権利の主張はできないと考える。これに反して、売る権利を持たぬものに対して、買う権利のみがある場合、性は成立しない。成立しないはずの性が、しかし今日横行しているが従軍慰安婦たちは、この後者の地位に遂にやられた。しかも『大義』という公認の名で」(「海のタリョン」) 現在の従軍慰安婦問題を考える上で、1つの視点を提示していると言えるだろう。
 村松は植民地主義との関わりでハンセン病の問題にも終生関わった。「ライはアジア・アフリカだ」(村松の師・大江満雄の言葉)という考え方にその思想は集約されている。ハンセン病者は、植民地体制の最底辺に組み込まれ、ハンセン病の存在するその場所が植民地主義の空間化なのである。
 西欧に範を求める多くの現代詩とは異質な、それでいて現代的な問題意識に貫かれた村松の世界。今だからこそ、多くの人に読まれるべきではなかろうか。
 「おれは『詩』を書かぬ。『現代詩』を書かぬ。ならば何を書くべきというのだろう。わたしの背後の大陸、血みどろの朝鮮、くらいアジアが重たくのしかかり、わたしがその重圧に耐える。一言で言えば、それを、詩に書く」(「同書」)

初出「埼玉新聞」2013年8月13日

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一日一句(805)







円空仏笑ひは深き雲の峰






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一日一句(804)







三尺寝バイク一つを拠り所






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一日一句(803)







わがふぐりいま扇風機の風の中






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一日一句(802)







冷蔵庫一人暮らしの真ん中に






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