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芭蕉の俳句(27)


■旧暦閏3月10日、月曜日、

(写真)花水木

今、そこここで花水木が満開である。いい季節になったが、どうも、気分は晴れない。「『パンセ』数学的思考」(吉永良正著、みすず書房)を読み始める。最初に、パンセから、たぶん、新たに訳出したと思われる断章が引用されていて、改めて、心を打たれた。

神を直感するのは心であって理性ではない。信仰とはそういうものだ。理性ではなく心に感じられる神。

こういう感覚は、汎神論的で、ものとひとの区分が、明確ではなく、連続的な風土にあると、よくわかる気がする。『カムイ外伝』第三部完結篇で、カムイが、仕官のため自分を殺しに来た浪人に最後に述べた言葉。「しょせん人は、多くの生命を糧にこの世に在る。おごるまいぞ...」こういう感覚と、どこかでつながっているような感じがする。

わたしは、人間を礼賛する側につく人たちも、人間を非難する側につく人たちも、気晴らしの側につく人たちも、みな等しく非難する。わたしが認めることができるのは、うめき、苦しみながら追い求める人たちだけだ。

こういう言葉は、現代医学の観点からは、全身に転移した末期がんだったと診断されているパスカルの実存が、普遍的な思想へと昇華されていくプロセスを見るようで感動する。

スイスの詩人、romie lieとのpoetic collaborationsが徐々に始動。今後、2週間に一度のペースで連詩を巻いて行くことになる。コメントもオープンにしているので、ご興味のある方はどうぞ。ここから>>>



行春を近江の人とおしみける   元禄3年

■この句が広がっていくのは、「行春」と「近江の人」という言葉の使い方なのだろう。「近江の人」が過去から現在へと続く人間と自然の相互行為の歴史を感じさせる。時間が琵琶湖全体に空間化されながら、春の最後の気配が、琵琶湖に立ちこめている。「けり」と切れずに「ける」と連体止めになっている句形も、芭蕉の息遣いを、今のわれわれに伝える効果があるのではないだろうか。




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一日一句(352)






すずらんに一輪挿しを新調す





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