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原爆詩181人集(8)

■旧暦6月20日、木曜日、

台風のせいか、風が適度にあって、洗濯物がよく乾いた。午前中、雑用、新聞をじっくり読む。どうやら、新聞レベルの散文なら、そう読むのに問題はなくなった。今日は、勢いがついて、俳句を何句か作る。午後から、サイバーの翻訳に入る。まだ、集中力に問題があるが、もともと簡単な内容ではないので、ある程度、時間がかかるのはやむを得ない。

昨日、ウィスキーを飲みすぎて、夜、なかなか眠れないので、漱石の漢詩を読んでみた。言葉の使い方が詩や俳句に応用できそうで、参考になったが、意外だったのは、嘆かないことだった。ぼくの今までの印象では、漢詩はブルースと言ってもいいくらい嘆く。陶淵明にしても、李白にしても、杜甫にしても。しかし、漱石の漢詩は、嘆きがない。まるで、子規の客観写生の俳句を漢詩に翻訳したような感じなのだ。子規自身も、漱石の漢詩にコメントをつけていて面白い。まだ、初期の漢詩しか読んでいないので、全体の印象を語ることはできないが、子規との交流が漢詩にも影響を与えたのかもしれない。



木下夕爾(1914-1965)広島県生まれ。


長い不在

かつては熱い心の人々が住んでいた
風は窓ガラスを光らせて吹いていた
窓わくはいつでも平和な景色を
とらえることができた
雲は輪舞のように手をつないで
青空を流れていた
ああなんという長い不在
長い長い人間不在
1965年夏
私はねじれた記憶の階段を降りてゆく
うしなわれたものを求めて
心の鍵束を打ち鳴らし



■木下夕爾はこの詩を書いた直後、癌で死去。享年50。この作品は絶筆になる。静かだが、深い喪失感を感じさせる作品だと思う。夕爾は、久保田万太郎を師と仰ぎ、たくさんの俳句も書いている。夕爾の俳句は、どれもどこか、寂しげで、この詩に見られるような喪失感を抱えている。俳句で、原爆に直接取材した作品は多くはないが、終生、広島に暮らして、身の回りの題材を俳句に詠んだ。その意味では、夕爾の俳句は、ある種の追悼句だったのかもしれない。いくつか俳句も紹介したい。


生きもののなげきを虫も鳴きつげる

月涼しこころに棲めるひと遠く

湧きつぎて空閉ざす雲原爆忌

つぶやけり炎天のわが影を踏み

をりからの風にしたがふ盆花かな
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コメント
 
 
 
夏ですね (今門洋子)
2007-08-03 18:33:43

○木下夕爾、はじめ「夕鶴」の木下順二と混同してしまいましたが、没年で気がつきました。「をりからの風にしたがふ盆花かな」などの俳句もいいですね。それからデュラスの「かくも長き不在」というシナリオ&映画を思い出しました。両手を挙げた男の背中が目に浮かびます。
 
 
 
夕爾とデュラス (冬月)
2007-08-03 21:58:26
■夕爾の詩は、米国でも熱心な研究者がいて、英訳詩集が出ています。ROBERT EPPがその人で、訳稿を70、80回も読み直して作成したそうです。こんな翻訳者に恵まれたら至福でしょうね。このEPPは日本の近代詩に関心が深く、朔太郎や丸山薫などの翻訳も手がけています。英訳という作業には、とても惹かれるものがありまして、といっても、はなはだ経験不足なんですが、EPPがどう訳したのか、見てみたいものだと思っています。

■デュラスですか。この人は、はじめ、スキャンダル系の人かと、誤解していましたが、岩波で昔読んだ、フランス短編小説集の中に、デュラスの作品があり、他の作家に比べて、群を抜く完成度の高さに強い印象を受けました。脚本も書くんですね。そういえば、今、ウィキで調べてみたら、ヒロシマ関係の作品もありますね。『ヒロシマ、私の恋人』(1960年)。その映画は、面白そうですね。
 
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