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RICHARD WRIGHTの俳句(25)

■旧暦7月8日、月曜日、

朝のうちは風があって涼しい。湿気もなくクーラー要らず。実家で、倉橋由美子の『怪奇短編集』をパラパラ読むが、結末の見える陳腐な話が多く、問題の深い掘り下げがない。作家ただ、面白く奇異な物語を書けばいいんじゃなく、それが何か大きな問題に触れていなければならないんじゃないか。その意味では、現代の作家はほとんどがマーケティングを前提に書くライターになり下がっているように感じる。今日は、午後からカイロ。



(Original HAIKU)
A horse is pissing
In the snow-covered courtyard
In the morning sun.


(Japanese version)
朝の光の中
雪の中庭で
馬が小便をしている



馬が一疋走つて行つた日暮れる
  放哉

■放哉の方が面白い。ライトの句では、「馬が小便をしている」を場所と時の副詞句で説明しているだけで「切れ」がない。そうした情景の面白さはあるが、放哉の句にある、ある種の衝撃はない。そういえば、ライトには「切れ」の発想がないように思う。
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コメント
 
 
 
ふと… (長谷邦夫)
2007-08-21 00:54:23
赤塚不二夫の「野良馬」を思い出しました。

そういえば最近、野良犬を見掛けない。
 
 
 
野良犬 (冬月)
2007-08-21 05:46:14
■ぼくの子供の頃には、野良犬、まだいましたが、今は狂犬病の関連で、いなくなったのかも。その代わり、街には、ミニチュア系の可愛い犬を散歩させている人が大勢。臭くなく毛も抜けないように品種改良されて、なんだか、犬というより、動くぬいぐるみみたいで、どうも違和感があるんですが…。一方で、動物に癒されたがっている人が大勢。アニマルセラピーまで行われるように。これ、社会がすさんできた証拠なんでしょうか。

『夕焼の詩』で、未来から、夕日三丁目に野良犬と野良猫の写真を撮りに旅行客が来る話しがありましたけど、笑えないような話です。
 
 
 
ノイズ (長谷邦夫)
2007-08-22 02:30:00
宮沢章夫の「ノイズ」の排除かな?

野良猫に毎日親切にエサをやるオバアチャンが
近所の住民から嫌われたりする~そんな光景が
報じられたりしたこともあった。

こんな老人も「ノイズ」なのか?

九州では親分を撃ちっくらして
暑い夏を、さらに暑くしていますが…。
 
 
 
生きにくさとノイズ (冬月)
2007-08-22 06:52:49
■社会にとって、ノイズは大切ですね。とくに、日本みたいに同調をさまざまなルートで強要してくる社会では。詩人、俳人、作家という人種は、根源的な社会のノイズになろうとしないと、そもそも存在意味がない。しかし、市場システムの前にみんな右へならえの感じで、どうも、本屋さんに行っても、みんな同じに見えてしまうんですね。翻訳書も例外ではないんですが、少なくとも、ノイズになるような本を市場に供給したいと思うこの頃です。
 
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