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飴山實を読む(27)

旧暦7月7日、日曜日、

昨日から涼しくなりましたね。昨日帰宅、今日は一日なにもせずボーっとすごした。昨日から、蟋蟀の声を聞くようになった。実家への行き帰りに安部公房の『笑う月』という夢をテーマにしたエッセイを読む。安部公房の文体は論理的だが、痩せていて、笑いがない。読みながら、山口誓子をしきりに思った。そんなエッセイだが、一つだけ印象に残る言葉があった。

芸術は現実からの挑発である以上、モデル(現実)から創造的表現に至る迷路を通過する道筋はある


芸術が現実からの挑発であるという点。迷路を一気に通過する方法が安部公房の場合、夢の記録と収集である点。




大雨のあと浜木綿に次の花
   『次の花』

■全体に清清しい命の輝きを感じた。大雨があがって、日が差している。浜木綿の新しい花には水滴がきらめいている。「次の花」は何気ない表現だが、浜木綿の生命力をよく表していると思う。

ちなみに、柿本人麻呂が詠んだ浜木綿の歌が万葉集に記録されている。

み熊野の 浦の浜木綿 百重(ももえ)なす
心は思へど 直(ただ)に逢はぬかも
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