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往還日誌(125)






■2月12日、月曜日、快晴の春日。

FBでこの12年間の2月12日をふりかえる。今、読むと、なかなか、興味深い。シド・バレットと八木重吉を再発見する。

朝、御所外周をウォーキング。椹木口から、御所内へ入り、出水口をすぎて梅林へ歩く。このコースは、朝早いと、そう人はいない。梅は全体的に4分咲といったところか、木によっては8分咲もあった。

帰宅後、100均で書道の道具を調達。若宮から筆と墨汁はもってきた。練習する時間があるかどうかは不明。

ロシアの歴史を調べていて、大変驚く。ロシアの起源はスラブ民族が、統治者として、バイキングの首長を呼んできたことが始まりで、862年のことである。その後、キエフ・ルーシと、モスクワ・ルーシの2つの核ができて、発展してゆくのだが、とくに、驚いたのは、ロシア人が、「タタール・モンゴルのくびき」と呼ぶ、チンギス・ハーンの長男のジョチの系譜が作り上げたウルス(国家)による、13世紀から15世紀にかけて、現在のロシア・ウクライナ地域が支配されてしまう歴史。

クリミア半島にタタール人が今もいて、今や、少数民族として抑圧されているが、それは、このときのモンゴル帝国に支配された痕跡として残っているので、元は支配者だった。

ロシア・ウクライナの歴史は、ソ連から見てもわからない。ロシア・ウクライナ地域だけみてもわからない。ポーランドやリトアニアもメインプレイヤーとして、かなり大きく、モンゴル帝国もまた、大きい。ポーランドは、ソ連時代から見ると、東欧のソ連の衛星国家で小国に見えるが、それは16世紀のコサックのボフダン・フメルニツキーの反乱以降の話だと見えてくる。

それ以前は、ポーランドは、リトアニアと統合されていて、ロシア・ウクライナと戦争するほどの大国だった。

いずれにしても、ポーランド・リトアニアと、ロシア・ウクライナは、因縁が深い。

さらに、第一大戦では、オーストリアが、第二大戦では、ナチス・ドイツが、この地域の歴史に関与してくる。

このユーラシア地域は、相当にダイナミックに動いており、ヨーロッパやアメリカ中心の歴史観が刷り込まれていると、なかなか、真実が見えてこないと思える。


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一日一句(3173)





ひとの世のひとの世なるが寒櫻







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