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往還日誌(119)




■2024年1月2日、火曜日。曇り、肌寒い一日だった。

2024年は、いきなり、元旦の午後4時10分に、令和6年能登半島地震が起こり、2日には、午後6時に、日航機516便と、能登半島地震の支援物資を新潟空港に届ける途中だった海保機が衝突事故。

消防庁によると、羽田空港の衝突事故の1月2日20時40分時点での被害状況は、JAL乗客367名は脱出、負傷の有無は確認中。海保機は、搭乗者6名のうち、負傷者1名(傷病程度不明)、5名が心肺停止状態。

石川県によると、志賀原発の立地する志賀町では、1月2日18:10時点で、総避難者数(自主避難含む)が、4045人。穴水町で、2日19:00時点で、総避難者数(自主避難含む)3050人などとなっている。

国交省の最新情報である「令和6年能登半島地震における被害と対応について(第7報)」(1月2日16:00現在)を確認すると、元日の16:10の地震で最大震度7を記録したのは、原発立地自治体の志賀町だった。この点は、まったく報道でフォーカスされていない。しかも、志賀町の映像はまったく出てこない。これは、間違いなく、意図的な情報操作だろう。

消防庁によると、1月2日16:00時点での人的被害は、死者30人(七尾市5人、輪島市15人、珠洲市6人、羽咋市1人、穴水町2人)、重傷17人、軽傷90人となっている。

もともと、ウクライナ政権によるロシア系住民への民族浄化が原因の一つにあるウクライナ紛争と、パレスチナ人の民族浄化を行っているイスラエルのガザ侵攻の年越しで、めでたい気分になれなかったところへ、令和6年能登半島地震と羽田空港の航空機事故で、ますます、淑気は遠のいた。

夜、漱石の『夢十夜』第一夜を読んだ。不思議に、心が落ち着いた。



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一日一句(3141)







その先に何があらうと去年今年






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