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西行全歌集ノート(37)




旧暦8月11日、木曜日、

午前中は、各方面へ連絡で終わる。辛うじて、ラジオ体操と腰痛予防のストレッチ、最低限の筋トレはできた。歳を取るほど、身体のケアに時間をかけなければならず、やけに忙しくなる。午後から、仕事へ。不受不施派について、土曜日、少し、しゃべるので、その準備。意外と不受不施派を説明するのは、難しい。その難しさは、言葉の使い方の混乱と定義が後代に出来たこと、また、その宗派の起源である秀吉の千僧供養との論理的な連関を解きほぐす必要があるから。かなり疲れた。このほかに、やらなければならない仕事は山積だが、当面、これに専念しないと。



さまざまのあはれをこめて梢吹く風に秋知る深山辺の里  山家集 秋

※ あはれが多様だと云う点。人間の諸関係の多様さを表現しているようにも思える。当事者でいる関係性よりも、その関係を第三者的に見ている方が、自分が経験したことがあればあるほど、あはれ深く感じられる。当事者でいると、あはれは意外にわからない。一番、あはれを感じるのは、自分の子どもの諸関係かもしれない。そうした社会関係を風にゆれる梢に投影しているように思われる。このことから、この深山辺の里に住む人物の経験が、狭い深山辺の里にとどまらないことが知れるのである。




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一日一句(1184)







秋の聲その一筋の聲のうち






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