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猿蓑:「鳶の羽も」の巻(30)

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■旧暦11月25日、日曜日、、だるま市(高崎市小林山達磨寺)

(写真)無題

正月休みは、平和なので、好きだが、休み明けが異常に疲れる。日曜日まで、仕事だったので、やっと明日、一拍できる。しかし、運動ができていないので、またしても、腰の調子がおかしくなってきた。

長編小説が苦手で、ドストエフスキーを例外にして、なかなか、長いものは読む気にならない。ちょっと、関心があって、メルヴィル(1819-1891)の「白鯨」(Moby Dick)とセルバンテス(1547-1616)の「ドン・キホーテ」(Don Quixote)を調べていて、その長さに仰天してしまった。ペンギンクラシックス版での比較になるが、白鯨で、720頁、ドン・キホーテになると、1056頁ある! ヲイ、と言いたくなる。有名なだけで、こりゃ、だれも読まんわ、と思う。だが、ここまでくると、逆に、読みたくなる。好奇心が湧くのである。おそらく、だれも知らない宝物がいろいろ隠れているだろうと思う。ドン・キホーテは、もちろん、原典はスペイン語だが、英語に翻訳した場合、日本語への翻訳とは異なり、それほど、長さに差は出ないように思う。欧州の言語を日本語に直すと、たいていの場合、1.5倍くらい長くなってしまう。その分、説明的になっているのである。まあ、ぼちぼち、タイミングを見ながら読んでみよう。

今年の読み初めは、ヘミングウェイの短編、The Revolutionistだった。これは、1頁強のごく短い短編だが、ハンガリー革命を題材にしていて、まだ、子どもと言っていい、使い走りのような革命家の生のdetailが描かれている。最近、生や生活のdetailということに関心があって、あまり小説は読まないのだが、めづらしくヘミングウェイを読んだ。he had suffered very much under the Whites in Budapest...でブダペストの保守反動勢力を表現していて面白かった。



柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ   史邦

ぬのこ着習ふ風の夕ぐれ   凡兆

■ぬのこ=布子(冬)。ここは、とくに、感じるところはなかったが、「着習ふ」という措辞をどう解釈するか。つまり、季節的に、着慣れてきた、というときに、「習ふ」という言葉を使うだろうか。もともと、着つけていない物を着るときに、使うように思う。着方を習得するという含意があるのではないか。これは、次の付けを見て検討してみようと思う。

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一日一句(598)







大鶴の輪飾昼の風起こる






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