verse, prose, and translation
Delfini Workshop
猿蓑:「鳶の羽も」の巻(13)
2012-07-30 / 芭蕉
■旧暦6月12日、月曜日、
(写真)7.29デモから
今日も暑かった。朝から、雑用に追われて気がつけば、夕方。耳鳴りで夜眠れないことが多いので、睡眠薬を常用しているのだが、睡眠薬は、反睡眠作用とでもいうべきものがあり、強制的に眠らせる分だけ、覚醒の力も呼び起こす。そのため、睡眠剤なしで眠るよりも、早く目覚めてしまう。そこで、睡眠導入剤のデパスのみ服用してみたら、これが上手く行って、長く眠れた。だが、睡眠薬で押さえていた耳鳴りが出て来て、今度は終始これに悩まされる。なかなか、上手くいかんものである。
夕方、詩を一篇書く。昨日のデモをモチーフにしたものだが、しばらく書いていないと、どう書いていいのか、いつも途方に暮れる。途方に暮れた地点からいつも書き始める。一つ言えるのは、朗読のために書くという一点である。最近は、これしか基準がない。だから、逆に、どう朗読していいのか、途方に暮れる図形詩にとても関心を持っている。
F/Bで加藤楸邨をじっくり読んでいるのだが、非常にいいので驚いている。人間探求派というレッテルに囚われると、楸邨のスケールが見えなくなるなと感じている。これまで、読んだ感想では、楸邨は「現代の一茶」とでも言える俳人で、昆虫や動物の秀句が多いだけでなく、一茶のようにディープである。しかも、歴史的現実に対する感覚が鋭い。なにより惹かれるのは、俳句が諧謔性に富んでいることだ。笑いを本義とする俳諧の本流が楸邨に流れ込んでいるという印象を受ける。学ぶ点の多い俳人だと今さらながら思う。
F/Bでクラシックに造詣の深い方がいて、刺激を受けて、ブルックナーの9番を、このところ、よく聴いている。この曲は第4楽章がない未完の交響曲だが、ブルックナーが残した草稿から最終楽章を復元した版がいくつか出ている。そのうち、もっとも古く、1992年に出て話題になった、クルト・アイヒホルン指揮、リンル・ブルックナー管弦楽団のCDを聴き直している。アイヒホルンの第4楽章は、今聴き直すと、蛇足という感じがしてならない。マタチッチやヴァント、ヨッフムの三楽章で完結した録音の方が、はるかに完成しているという印象を受けてしまう。ブルックナー自身は、完成できなかった場合、第4楽章の代わりに、テ・デウムを演奏するよう示唆していたらしい。2012年に出たラトルの第4楽章の録音がどうなのか、気になるが、サマーセールで購入したまま、まだ聴いていない。
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吸物は先出来されしすいぜんじ 芭蕉
三里あまりの道かゝえける 去来
■去来の含みを解釈した安東次男の解説を読むと、ちょっと、驚いてしまう。妄想と紙一重の人間関係の粋をくみ取っている。よく知っている親しい相手だからこそ、できる呼吸だろうと思う。しかし、もっと、あっさり解釈してもいいような気がする。吸物が出て宴はこれからだが、自分には、家路を急ぐ訳がありまして、ごめん。
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