いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

コメントスクラムは法を超える(笑)

2007年12月23日 13時11分24秒 | 社会全般
どうやら支持率低下のヤキが回って、「窮余の一策」としてだけに利用されるということだ。

首相、薬害肝炎の一律救済法案提出を表明…全面解決へ(読売新聞) - Yahooニュース

腹を抱えて笑ったぜ。
この国の基本的な仕組みは、エコーチェンバーで簡単にぶち壊せるということであり、「コメントスクラム」を仕掛けたヤツラが必ず勝利するようにできている、ということだな。

具体的な現実行動をとる人々もいるみたいだし。

薬害C型肝炎訴訟:早期解決へ署名活動 仙台で東北大生ら /宮城(毎日新聞) - Yahooニュース

 薬害C型肝炎訴訟の早期解決と恒久対策の強化を求める署名活動が22日、仙台市青葉区の東二番丁通で行われた。訴訟を支援する東北大生らを中心に約20人が、「総理、あなたの声が聞こえない」などと訴え、福田康夫首相あてのはがきに署名を呼びかけた。正午からの1時間で約350人分が集まり、早速郵送された。
 はがきには「国には薬害をひき起こした責任がある。患者全員のひとしい救済を望む」との文面が印刷された。年の瀬でにぎわうアーケード商店街で、買い物客や家族連れが次々に署名に協力した。利府町の主婦、早坂心子さん(33)は「罪もない人が肝炎にかかり、気付いていない人もいると聞く。人ごとではないと思う」と話した。
 企画した東北大法学部4年、斉藤隆広さん(22)は「大阪高裁の和解骨子案についての国側の修正案は、国の責任を限定するもの。首相に直接、一律救済を訴えるため、はがきへの署名活動を始めた。学生のエネルギーで全国に展開し、国の決断を促したい」と意気込みを語っていた。【伊藤絵理子】

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あと、こちらも。

薬害肝炎訴訟 東北大生ら、政治決断求め「はがき作戦」(河北新報) - Yahooニュース

子ども2人と一緒に記入した宮城県利府町の主婦早坂心子さん(33)は「新聞記事で活動を知り、1日も早く解決してほしくて書きに来た。薬害を人ごとと思わず、みんなに関心を持ってもらいたい」と語った。
リーダーの東北大法学部4年斉藤隆広さん(22)は2年前から東北訴訟の支援活動にかかわっているが、多くの学生が参加するようになったのは、9月の仙台地裁判決がきっかけだという。斉藤さんは「判決を傍聴した仲間みんなが怒りを覚え、『負けてたまるか』と思った」と説明する。

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意気込みはよくわかりました。
しかし、「どう考えるか」ということがまるで判ってないような連中が、マスコミから流される誤った情報だけを元に判断しようとすれば、必ずこうなる。これは「~~は医療過誤だ」「~~は○○の管理ミスだ」というような主張を展開する人々と非常によく似ている。枯れ枝一本でも落ちていようものなら、「犬が棒に当たったのは~~のせいだ」攻撃が可能となる。

企画した東北大の法学部4年の学生さんは、裁判傍聴などもやって偉いなとも思うけど、大学教育というものの限界を感じずにはいられない。法学部では一体どのように教育しているのだろうか、と疑問に思う。私などは法学部でも何でもないし、これといった法学的教育を受けたことなどないから、現役法学部生以下の知識しかないだろう。しかしながら、5地裁判決が異なることから、「現職の裁判官」が考えているにも関わらず容易に結論の出せるものではない、ということは理解できるのに、東北大の現役法学部生が法学的に考えようとしないことを不思議に思う。

「仲間みんなが怒りに覚え、『負けてたまるか』と思った」という記事のコメントに全てが集約されているであろう。義憤は必要だけれども、その行使が本当に「事実に基づくもの」なのかどうかについて、考えることができない人々なのだろうな、と思ったよ。ハガキを福田総理に送りつけるのって、ホラ、コメントスクラムと同じような現象でしょ?前から何度か書いたと思いますけれども、ファクスを大量に送信するとか、みんなで電話をかけるとか、手紙を大量に送るとか、そういう「コメントスクラム」ちっくな(笑)行為と何らの違いもないんですよね。

しかし、マスコミもそういうものを好んで煽動するわけだ。ここに、エコーチェンバーの本体を垣間見る。
そうして新たな仲間をつくりだすべく培養(炎上とアウトブレイク)が行われるようなものなのだ。
こちらでも書いたけれど、ここで例示した如く「仙台地裁判決はトンデモだ、負けてたまるか」というのと同じだ、ということ。こうした行動を通じて、「よく知らない人々」をpolarizeすることを狙う、と。

結果的には誤った情報や認識が拡散し、カスケードの威力が発動される、と。
これで超法規的措置を強要することが可能になってしまう、ということだな。


因みに、上の毎日新聞と河北新報は、全く別々の記事内容になっているのに、申し合わせかたのように、偶然居合わせたかのような子連れ主婦の方のコメントを載せてますね。これって、共同記者会見でも行われていたのでしょうか?それとも、ヤラセか何かですか?全くの見ず知らずの新聞記者同士が、偶然同一の時間帯に東北大の学生にインタビューし、その場にたまたま居合わせた主婦の方に、全く別々にコメントを取ったのだとすると、はがきを投函するまでの時間は非常に長くかかっていた、ということですわね。そんな偶然ってあるのでしょうか?(笑)

例えば、
 毎日記者:まず主婦にインタビュー → 学生代表にインタビュー
 河北記者:学生代表にインタビュー → 主婦にインタビュー
みたいになってるとかですか?
でも、これってヘンですよね?何故なら、この会の趣旨や目的とか、活動状況とか、色々と尋ねていたはずで、それを聞いてから参加者たちの声を聞くのが普通じゃないですか?ワケのわからん集団とか、募金グループとか、何でもいいんですけれども、まず偶然参加しに来ていた人に話を聞き、その後に代表者にインタビューするというのは、極めて珍しいのではありませんかね?

要するに、これは仕込みの一種でしょ?
毎日と河北の記者が同時にその場に居合わせる必要性なんて、これっぽちもないからね。個別にインタビューしコメントを取るというのも、あまりに不自然。共同でインタビューを行っていたと考えられるが、その理由とは何か?「やりますよ」という事前の打ち合わせが行われていた、ということでしょう。で、そこに偶然現れる主婦、の図。そうですか。

ま、これが日本の報道のやり方であり、ニュースの作り方、ということなのでしょうね。両方を読まない人々には、こういう状況が生み出されていたことなど判らないし、それも別に関係ないし、大衆を煽動することさえできれば何でもいいのだから。




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4 コメント

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許せん (ほんとほんと)
2007-12-23 13:27:43
副作用=救済という縮図がわからん。そんなもん医療の世界は自己判断しかないだろう。
基本的に副作用の100%排除は出来ないし、定義を厳しくすれば直る可能性を摘み取るからトレードオフの中ある妥協点で副作用の可能性を認識したうえで実行していくしかない。不幸にして作用してしまった場合は残念ながら一時的には患者本人が負うしかない。

不作為によって広がった部分の救済は当然(線引きは難しいが)も条件なく無制限に救済すべきではない。

もし副作用におけるリスクを国でヘッジしろというなら肝炎の話ではなく、制度づくり全体のはなし。
肝炎患者だけがなんで全員国から肝炎にならなかった国民から税金をふんだくられるのかさっぱり判らん

とんでもない訴訟団だ
思うこと。 (御意)
2007-12-23 20:56:54
事実関係に口を挿める立場ではないので一般論として。メディアの人は三権分立を真剣に考えて欲しい。
行政権(内閣)として司法権(裁判所)の公式判断を超越しないのは今の政治体制化では当然。
司法権(裁判所)として、和解とはいえ訴訟の枠組みの中では、原告を前提にするのは当然。
故に、原告が一律救済を迫る相手はその是非は別として、立法権を担う議員(現実には政党)ではなかろうか。
裁判を提起して裁判所の事実認定を前提に運動するのは主張の説得力を増すだろうけど、やはり原告団が主張するのは立法権に対してであるべき。
立法権の判断(=立法)については、行政権や司法権さらには有権者である国民として従わざるを得ない。これも今の政治体制(憲法)下では当然。
今回の判断も国会議員(=自民党総裁)の立場での判断なら納得はいくけれど、総理大臣としての判断なら疑問が残る。
マスコミの人にはそれについての考えを報じて欲しい。法学部の人は三権分立を考えて欲しい。
雑感 (不安)
2007-12-24 10:06:06
単純に命のことを考えれば「本当に良かったですね」とは思える。でも何だろう、複雑な気持ちは。諸々を跳び越え突如「総理の決断」に持ち込んだこと・テレビの強烈な扇動をみていると危うさも感じる。総理も気の毒だなぁ。今後立法するにあたり原告団が政局に利用されない事を願う。早く穏やかな日々、治療に専念できる日々を取り戻して欲しいと思う。それにしても今度は新たな線引きで大きく揉める気がする。
皆さんにも同じような気持ちが (まさくに)
2007-12-24 11:56:43
コメント有難うございます。

不安さんの書いておられる
>単純に命のことを考えれば「本当に良かったですね」と思える。

というのは、誰だってそう思うに決まっているのですよね。病気で苦しむがいい、などと願う人なんていませんから。
しかし、皆様の危惧はほぼ同じで、司法判断をいくらでも無視したりすることが可能になってしまい、多数派の人民裁判の如き論理が、法の規範を超えて作用するということになってしまっているのです。

ご指摘頂いた通り、本当に三権分立ということを考えて欲しいものだと思います。

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