まだ読み込みができていないのですが。一応気になったことを書いておきます。
初動の問題点というのが指摘されたようであるが、未だ謎の部分は多い。特に1号機の説明には不明点が多く残されている。
①ICの「手動起動・手動停止」と「弁の開閉」という報道
報道段階での違いなのか、東電側説明の違いなのかが不明であるが、津波前のICの起動と停止については、「起動」と「停止」と当初から言われていたはずである。これは、弁の開閉操作とは異なるという意味なのではないか、ということだ。
例えば、自動ドアがあるとしよう。自動ドアの「起動スイッチ」を入れると、センサーがスタンバイとなり、「動作可能な状態」ということになる。だが、ドアが開けられたわけではないから、ドアの開閉とは意味が異なる。ドアを開けるには、ドアの開閉操作ないしセンサー反応が必要、ということである。自動車も同じであり、「エンジンをかけた」というのと「パワーウインドウを開けた」というのは異なる。そういう違い、ということだ。
もしも当初の報道が正しいのであれば、やはり津波前にはICの本体を手動起動したり停止したりしていたのではないか、ということである。それは弁の操作ということではなかったのではないか、ということだ。けれども、18時過ぎとか21時過ぎに行われた操作というものは、弁の操作ということだったのかもしれない。その時の弁が個別具体的に指定されていたはず(2Aとか3Bとかのような)。
運転員たちはIC操作には不慣れであり、基本構造が頭に入っていたものとは思われない。スクラム後の僅かな時間の中で、マニュアルを引っ張り出して調べ始めたとしても、僅か数分内でICの構造を理解し操作方法を習得できていたものとは思えないのである。従って、それは「弁の開閉操作」である、ということが、当初には知らなかったからなのではないか、ということだ。よって、機械の動作を根元から停止した―車であればエンジンを切ったということ―という操作であったのではないか、ということである。もし弁操作を行っていたのだとすると、「何番の弁を閉じた」と証言する可能性が高いからである。
けれども、時間が経って以降には、本部側なんかでも構造を調べたりするようになって、弁の開閉操作によるものであると知るようになったのではないか。そうして、指示を受けて動作を試みたが、きちんと動いているか或いは機能してるのかどうか「よく分からなかった」ということではないか。
②ICを止めて、何で冷却をしようとしていたか
そもそも、HPCIを起動していなかったことが疑問だと書いてきたわけだが、これも未だに謎のままである。少なくとも津波が来る前には、「津波で全電源喪失」となることを知る由もなかったわけだから、何らかの方法で冷温停止を目指していたはずなのだ。それが一体なんだったのか、というのが全く不明である。
冷却手段としては、ICを止めるという選択をしたのであれば、他の何を用いようと考えていたか、ということである。これが全くの不明。
③MSIVの復旧をどう予想していたか
これも疑問なのだが、仮に津波被害がなかったとして、ICを止めたままで「MSIV全閉」の復旧までどうやって冷却をするつもりだったのだろう?
電源が落ちてなかったとしても、主復水器による冷却切替までには、7~8時間という長時間がかかるであろうことは当然予想されるであろう。そうなると、津波が来る前までの時点で、「MSIV全閉状態が持続する」であろう冷却体制を敷くのが当然であるはずだ。D/Gによる給電でその体制を維持する、という前提の状態が作り出されていなければならないはず、ということだ。それは、果たして何だったのか?
外部電源が8時間よりも早く復旧できたとしても、MSIVが開にならなければ主復水器は使えないことに変わりはないので、「MSIV閉」でも冷却可能な装置を動かし続けるはずではないか、ということである。
④SRVの動作情報がないのは何故か
2号機や3号機にはあるが、1号機には見かけなかったように思う。通常、MSIV全閉となった後、原子炉圧力が上昇してくるわけだが、これの動作記録が見かけないのである。動作設定がICでは7.13MPaだが、SRVでは7.23MPaだからだ、という東電側説明もあるようなのだが、どうも腑に落ちないわけである。ICを止めると原子炉圧力が上昇してくるわけで、その時SRVが動作しない方が疑問なのだ。実際、2号機と3号機ではSRVの自動調節が機能しており、原子炉圧は一定のレンジに保たれていたわけである。それなのに、1号機においては、どういうわけか手動でICにより調節しろ、SRVは使わないぞ、という設定になっていたということでしょうか?
1号機では、ICを手動停止、HPCIも動いてない、SRVも動作してない、ということになると、何もしてないのに原子炉圧力や温度が変動したり、完全閉鎖空間内で高熱量が発生し続けているにも関わらず、不思議な調節機能が働いていたのでしょうか。それとも、SRVだけは自動調節が働いていたと?「給水するものがない」のに、SRVだけ自動開閉していたと?そうであるなら、S/Pは水温上昇となるであろうし、原子炉内水位は低下してゆくだろう。新たな給水がないと燃料棒露出は避けられないはずでは。
それと、15時過ぎの圧力急減がIC以外にも理由があったということはないのでしょうか?
例えばSRVを誤って開のままにしていたとか、人的操作は間違ってはいなくとも「開固着」状態になったまま気付くのが遅れたとか、そういう何かの理由がないのかな、と。2号機や3号機では、RCICとSRVが動いていても、そんなに急激な圧力減少にはなっていないので、1号機には特有の理由が存在していた可能性があるのではないか、ということです。
⑤55℃/hの冷却速度に固執するのはなぜか
SRVの操作に関連するのだが、ICを止めた理由として当初「炉が傷む」のを防ぐ為、と東電で説明していたわけだ。それは単なる誤魔化しであった。例えば圧力容器内部で水蒸気温度が55℃低下するのとは、本来異なる基準なのである。冷却材である水の温度が55℃低下する、という意味であり、それにはかなり長い時間がかかるのが普通である。原子炉自体が300℃近くまで高温に達しているのだし、原子炉内の水だって同じ温度に到達しているであろうはずだからだ。
減圧冷却の時とかSRV開弁の時などでS/P水温が上昇し、これを冷却するような場合には制限域があるよ、ということである。低圧(比較的低温)になってからであっても、冷却速度が速いと損傷の危険性がある、ということであろう。
IC停止となるほどの水温低下があったとは到底考え難い、ということである。
⑥電源喪失後にどうして弁の開閉操作をしたか
津波でバッテリーも失っていたはずなので、弁の開閉操作などできなかったはず。けれども、直流動作の弁以外にも、何故か弁の開閉を行ったと証言していたわけである。弁が動いているとどうして分かったのか?動くはずのない弁の操作を行った、と何故言ったのか?バッテリーが何かの拍子に、奇跡的に通電したとして、交流電源が失われると動かないと考えていたのなら、弁の開閉操作を行おうとは考えないのではないか、ということです。しかも、交流電源喪失時には「自動で開」になるもの(IC隔離弁だけは直流電源で動き、直流電源喪失時には「自動で閉」になる)が、いつの間にか閉じたとでも言うのかな?
18時過ぎとか、21時過ぎとかの操作は、常に「弁を開く」操作をしたという証言であったからだ。神の御加護で計器類の表示が復活したとして、ICの弁が閉じていたというのは、ほぼ考えられないはずなのだ。
もしやるとしても、「開→閉」を先にやり「閉→開」と戻すよりない、ということになるはずなのだ。そういう報告にはなっていなかった。いずれも「開→閉」という順で操作したと証言しているのである。矛盾が生じている。あるとすれば、事後的に証言を考えたとか、本当はバッテリーが生きていたのをウソをついて津波で死んだことにしたとか、そういう何か辻褄の合わないことがある場合、ではないかな、と。
⑦ICの水源の制限時間
これもかなりの疑問なのだが、もし「動いている」と信じ込んでいたとして、水源を気にしなかった理由というものが全く分からない。水源の維持できる時間は、マニュアルでは約6時間、設置申請では8時間とされていたわけで、15時半くらいから動いていたものと思い込んでいたのなら、6時間後の21時半くらいにはICのタンクの水が空になってしまっているのではないかと心配になり、確かめるはずでは?それとも、給水に向かわせるとか指示するのでは?
これは電源復旧には無関係だし、動いていると思っている限り、必ず行われることであろう。もしやってなかったのなら、「動いているとは思ってなかった」か完全に忘れてたか知らなかった、ということなのでは。
あと、津波前までに動いていた時間が正味30分くらいだったとして、水の残存がA系で65%だったとのことです。メルトダウンや爆発とかの熱で失われた分があるものと考え、35%のうち20%が冷却で失われたと仮定すると、2時間半しか持たないことになりませんか?だって、30分で20%も蒸発しちゃったら、到底6時間とか8時間も持ちこたえられるものとは考えられませんもの。
本当は津波後にもっと動かせていたか、何らかの理由があったのでは?殆ど動かさなかったB系でも15%も減ってるので、全部が冷却によって失われたかどうかは不明なのですが。
⑧消火系からの注水
運転員だったと思うが、「消火系からの注水に備えようと思った」みたいな証言があったように記憶している。
それは、一体いつの時点の話だったのだろう?
そもそも消火系の注水機能というのは、原子炉圧力が低圧でないと入らないのでは?
機能させるには、せめて原子炉圧力が1MPa以下くらい(マニュアルなどでは0.7MPa以下位の数値が書かれていたはず)ではないと、入らないんですよね?
原子炉圧力がそこまで低下させることができていたとは到底思えなかったのなら、消火系を使おうとは通常考えないのでは?だって、津波で電源が失われて、何にも冷却手段がないなら、計器類の数値が見えなくなって想像はつくはずですもん。ああ原子炉圧力も温度もうなぎ登りだろうな、ということですわ。しかも格納容器内の圧力が上昇している、となると、圧力容器に穴が開いたかもな、という推測ができたということなのでは?
穴が開いたと考えるなら、圧力はそりゃあ低下していたかもしれないですね。
それと、消火系の注水には駆動源が必要だったのですよね?
電源復旧ができた、ということだったのですか?運転には電源が必要ですから。
確か12日朝方の5時過ぎから、注水ということだったと思いますが、そうすると、それまでの時間で何も冷却はしなかった、ということですか。まあ、手遅れという時間だったのでしょうけれども。
まとまりがないですが、とりあえず。
初動の問題点というのが指摘されたようであるが、未だ謎の部分は多い。特に1号機の説明には不明点が多く残されている。
①ICの「手動起動・手動停止」と「弁の開閉」という報道
報道段階での違いなのか、東電側説明の違いなのかが不明であるが、津波前のICの起動と停止については、「起動」と「停止」と当初から言われていたはずである。これは、弁の開閉操作とは異なるという意味なのではないか、ということだ。
例えば、自動ドアがあるとしよう。自動ドアの「起動スイッチ」を入れると、センサーがスタンバイとなり、「動作可能な状態」ということになる。だが、ドアが開けられたわけではないから、ドアの開閉とは意味が異なる。ドアを開けるには、ドアの開閉操作ないしセンサー反応が必要、ということである。自動車も同じであり、「エンジンをかけた」というのと「パワーウインドウを開けた」というのは異なる。そういう違い、ということだ。
もしも当初の報道が正しいのであれば、やはり津波前にはICの本体を手動起動したり停止したりしていたのではないか、ということである。それは弁の操作ということではなかったのではないか、ということだ。けれども、18時過ぎとか21時過ぎに行われた操作というものは、弁の操作ということだったのかもしれない。その時の弁が個別具体的に指定されていたはず(2Aとか3Bとかのような)。
運転員たちはIC操作には不慣れであり、基本構造が頭に入っていたものとは思われない。スクラム後の僅かな時間の中で、マニュアルを引っ張り出して調べ始めたとしても、僅か数分内でICの構造を理解し操作方法を習得できていたものとは思えないのである。従って、それは「弁の開閉操作」である、ということが、当初には知らなかったからなのではないか、ということだ。よって、機械の動作を根元から停止した―車であればエンジンを切ったということ―という操作であったのではないか、ということである。もし弁操作を行っていたのだとすると、「何番の弁を閉じた」と証言する可能性が高いからである。
けれども、時間が経って以降には、本部側なんかでも構造を調べたりするようになって、弁の開閉操作によるものであると知るようになったのではないか。そうして、指示を受けて動作を試みたが、きちんと動いているか或いは機能してるのかどうか「よく分からなかった」ということではないか。
②ICを止めて、何で冷却をしようとしていたか
そもそも、HPCIを起動していなかったことが疑問だと書いてきたわけだが、これも未だに謎のままである。少なくとも津波が来る前には、「津波で全電源喪失」となることを知る由もなかったわけだから、何らかの方法で冷温停止を目指していたはずなのだ。それが一体なんだったのか、というのが全く不明である。
冷却手段としては、ICを止めるという選択をしたのであれば、他の何を用いようと考えていたか、ということである。これが全くの不明。
③MSIVの復旧をどう予想していたか
これも疑問なのだが、仮に津波被害がなかったとして、ICを止めたままで「MSIV全閉」の復旧までどうやって冷却をするつもりだったのだろう?
電源が落ちてなかったとしても、主復水器による冷却切替までには、7~8時間という長時間がかかるであろうことは当然予想されるであろう。そうなると、津波が来る前までの時点で、「MSIV全閉状態が持続する」であろう冷却体制を敷くのが当然であるはずだ。D/Gによる給電でその体制を維持する、という前提の状態が作り出されていなければならないはず、ということだ。それは、果たして何だったのか?
外部電源が8時間よりも早く復旧できたとしても、MSIVが開にならなければ主復水器は使えないことに変わりはないので、「MSIV閉」でも冷却可能な装置を動かし続けるはずではないか、ということである。
④SRVの動作情報がないのは何故か
2号機や3号機にはあるが、1号機には見かけなかったように思う。通常、MSIV全閉となった後、原子炉圧力が上昇してくるわけだが、これの動作記録が見かけないのである。動作設定がICでは7.13MPaだが、SRVでは7.23MPaだからだ、という東電側説明もあるようなのだが、どうも腑に落ちないわけである。ICを止めると原子炉圧力が上昇してくるわけで、その時SRVが動作しない方が疑問なのだ。実際、2号機と3号機ではSRVの自動調節が機能しており、原子炉圧は一定のレンジに保たれていたわけである。それなのに、1号機においては、どういうわけか手動でICにより調節しろ、SRVは使わないぞ、という設定になっていたということでしょうか?
1号機では、ICを手動停止、HPCIも動いてない、SRVも動作してない、ということになると、何もしてないのに原子炉圧力や温度が変動したり、完全閉鎖空間内で高熱量が発生し続けているにも関わらず、不思議な調節機能が働いていたのでしょうか。それとも、SRVだけは自動調節が働いていたと?「給水するものがない」のに、SRVだけ自動開閉していたと?そうであるなら、S/Pは水温上昇となるであろうし、原子炉内水位は低下してゆくだろう。新たな給水がないと燃料棒露出は避けられないはずでは。
それと、15時過ぎの圧力急減がIC以外にも理由があったということはないのでしょうか?
例えばSRVを誤って開のままにしていたとか、人的操作は間違ってはいなくとも「開固着」状態になったまま気付くのが遅れたとか、そういう何かの理由がないのかな、と。2号機や3号機では、RCICとSRVが動いていても、そんなに急激な圧力減少にはなっていないので、1号機には特有の理由が存在していた可能性があるのではないか、ということです。
⑤55℃/hの冷却速度に固執するのはなぜか
SRVの操作に関連するのだが、ICを止めた理由として当初「炉が傷む」のを防ぐ為、と東電で説明していたわけだ。それは単なる誤魔化しであった。例えば圧力容器内部で水蒸気温度が55℃低下するのとは、本来異なる基準なのである。冷却材である水の温度が55℃低下する、という意味であり、それにはかなり長い時間がかかるのが普通である。原子炉自体が300℃近くまで高温に達しているのだし、原子炉内の水だって同じ温度に到達しているであろうはずだからだ。
減圧冷却の時とかSRV開弁の時などでS/P水温が上昇し、これを冷却するような場合には制限域があるよ、ということである。低圧(比較的低温)になってからであっても、冷却速度が速いと損傷の危険性がある、ということであろう。
IC停止となるほどの水温低下があったとは到底考え難い、ということである。
⑥電源喪失後にどうして弁の開閉操作をしたか
津波でバッテリーも失っていたはずなので、弁の開閉操作などできなかったはず。けれども、直流動作の弁以外にも、何故か弁の開閉を行ったと証言していたわけである。弁が動いているとどうして分かったのか?動くはずのない弁の操作を行った、と何故言ったのか?バッテリーが何かの拍子に、奇跡的に通電したとして、交流電源が失われると動かないと考えていたのなら、弁の開閉操作を行おうとは考えないのではないか、ということです。しかも、交流電源喪失時には「自動で開」になるもの(IC隔離弁だけは直流電源で動き、直流電源喪失時には「自動で閉」になる)が、いつの間にか閉じたとでも言うのかな?
18時過ぎとか、21時過ぎとかの操作は、常に「弁を開く」操作をしたという証言であったからだ。神の御加護で計器類の表示が復活したとして、ICの弁が閉じていたというのは、ほぼ考えられないはずなのだ。
もしやるとしても、「開→閉」を先にやり「閉→開」と戻すよりない、ということになるはずなのだ。そういう報告にはなっていなかった。いずれも「開→閉」という順で操作したと証言しているのである。矛盾が生じている。あるとすれば、事後的に証言を考えたとか、本当はバッテリーが生きていたのをウソをついて津波で死んだことにしたとか、そういう何か辻褄の合わないことがある場合、ではないかな、と。
⑦ICの水源の制限時間
これもかなりの疑問なのだが、もし「動いている」と信じ込んでいたとして、水源を気にしなかった理由というものが全く分からない。水源の維持できる時間は、マニュアルでは約6時間、設置申請では8時間とされていたわけで、15時半くらいから動いていたものと思い込んでいたのなら、6時間後の21時半くらいにはICのタンクの水が空になってしまっているのではないかと心配になり、確かめるはずでは?それとも、給水に向かわせるとか指示するのでは?
これは電源復旧には無関係だし、動いていると思っている限り、必ず行われることであろう。もしやってなかったのなら、「動いているとは思ってなかった」か完全に忘れてたか知らなかった、ということなのでは。
あと、津波前までに動いていた時間が正味30分くらいだったとして、水の残存がA系で65%だったとのことです。メルトダウンや爆発とかの熱で失われた分があるものと考え、35%のうち20%が冷却で失われたと仮定すると、2時間半しか持たないことになりませんか?だって、30分で20%も蒸発しちゃったら、到底6時間とか8時間も持ちこたえられるものとは考えられませんもの。
本当は津波後にもっと動かせていたか、何らかの理由があったのでは?殆ど動かさなかったB系でも15%も減ってるので、全部が冷却によって失われたかどうかは不明なのですが。
⑧消火系からの注水
運転員だったと思うが、「消火系からの注水に備えようと思った」みたいな証言があったように記憶している。
それは、一体いつの時点の話だったのだろう?
そもそも消火系の注水機能というのは、原子炉圧力が低圧でないと入らないのでは?
機能させるには、せめて原子炉圧力が1MPa以下くらい(マニュアルなどでは0.7MPa以下位の数値が書かれていたはず)ではないと、入らないんですよね?
原子炉圧力がそこまで低下させることができていたとは到底思えなかったのなら、消火系を使おうとは通常考えないのでは?だって、津波で電源が失われて、何にも冷却手段がないなら、計器類の数値が見えなくなって想像はつくはずですもん。ああ原子炉圧力も温度もうなぎ登りだろうな、ということですわ。しかも格納容器内の圧力が上昇している、となると、圧力容器に穴が開いたかもな、という推測ができたということなのでは?
穴が開いたと考えるなら、圧力はそりゃあ低下していたかもしれないですね。
それと、消火系の注水には駆動源が必要だったのですよね?
電源復旧ができた、ということだったのですか?運転には電源が必要ですから。
確か12日朝方の5時過ぎから、注水ということだったと思いますが、そうすると、それまでの時間で何も冷却はしなかった、ということですか。まあ、手遅れという時間だったのでしょうけれども。
まとまりがないですが、とりあえず。