いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

動かしたことのない機械は…

2011年12月26日 21時50分16秒 | 社会全般
今更後悔しても遅いんだろうけどさ…

>http://jp.wsj.com/Japan/node_365982


仕方がないわな。
予想に近いことはあった。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/504a464772bde1a726fd166f5e375055

(再掲)

今回の1号機のD/G起動後であっても、やはり給電がされていなかったかもしれず、その為に各種センサー等からの情報が働いて、非常用復水器の自動起動を招いたのではないか、というのが当方の推測である。つまりは、非常用電源はあったのに、ECCSが機能せず、その為非常用復水器を使わざるを得なくなったのではないか、ということだ。

このことは、余計に危険性を高めることになったかもしれない。運転員たちは、この非常用復水器に慣れていたかどうか、ということがあるからだ。あまり使ったことのない機器とか道具類というのは、信頼性とか操作する側の自信とかに影響を与えるからである。

使用感が分からない、というのが一番あるだろう。調節系のものって、多くがそうだろうな、と思う。程度が分かり難い、というのもあるし。
喩えて言えば、普段軽自動車の運転しかしてないのに、初めて4トントラックの運転をやってみたら、アクセルペダルの踏み込み具合とか、ブレーキ時の止まり具合とか、そういう感覚とか体感具合がよく分からず、違いがあって不安になる、というようなことだな。いつもなら軽自動車で止まれる距離だと思っていたのに、トラックだと全然止まれない、みたいな。そういうので、ちょっとヒヤッとしたり、恐怖感を感じると、操作する側の心理的影響はあるだろう、ということだ。


15時前後までの僅か数分間に、非常用復水器を手動で停止したりしていたと推測されるのは、そうした影響があったのか、それともECCSが何故機能していないのか分からずにパニくってしまったとか、そうした迷いや逡巡のようなものがあった可能性が推測されるのである。




当直班には、誰もこのICの操作をした経験のある人間がいなかったそうなんですね。
ならば、それは無理っちゅうもんですわな。判れ、という方が無理だ。

喩えて言えば、これまで一度も使ったことのない器具で「手術してみよ」みたいに言われるようなものだ、ということ。昔に度々あった腹腔鏡の事故みたいなもので、使ったことのない道具でやるには、危険が多すぎるということですわな。誰が考えたって、簡単に分かりそうなことなのに、そういう「基本操作、基本動作」が全く訓練されずに来ていた、ということが最大の失敗でしたわな。

言ってみれば、機械への過信、みたいなもんかも。オートでアラームが教えてくれる、機械が自動で対処してくれる、というような信心が強くなりすぎると陥る「落とし穴」のようなものかもしれない。

むしろ、モニター類が失われた場面であろうとも、アナログちっくな方式で確認できる手段や術を叩きこんでおくべきなのではないか、ということですね。自分の肉体、五感、そういうのを利用して可能な方法、ということである。


これも幾度か取り上げてきましたが。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5b7c428285c3a5266d882864f3857192

余談になりますが、数値を過信しない、機械的判定を過信しない、というのは、事故やミスを防ぐ大きな要因だと思っています。機械類の数値が絶対に正しい、ということはない、と心の何処かに常に思っていることが重大な失敗を防いでくれる、と私個人は考えています。それは経験的な勘というか、それ以外のいくつかの情報から異常を(感覚的に)感知出来るか、ということなんですけれども。「何となくオカシイ」と感じることが出来るように、数字ばかり、器械ばかりを信じない、ということを経験的に知っておくということだと思います。変な例で言うと、ケーキを自分で作るとして(私自身は全く作れませんけれども、笑)、決まったレシピに基づいて何度か作っていたとしましょう。自宅の台秤が壊れていて、本当は150グラムなのに100グラムと表示されるようになってしまったとします。その故障には通常中々気付かないので、いつも砂糖の量を200グラム測って入れたら丁度良かったのに、壊れたままであれば200グラムと表示されていても、実際には300グラムとなってしまうのです。これでケーキを作ってしまったら、もの凄く「甘ーーい!」(お笑い芸人のネタじゃなくて)ケーキになってしまう、ということです。でも、経験的に「いつもの200グラムの砂糖」という感覚(主に視覚情報ですよね)があれば、「あれ、秤がオカシイんじゃないかな?」と疑う、ということになるのです。そういう感覚は経験によらなければ培われない部分があると思っています。これと似たような状況で、「機械が正しい数値を表示してたから」では済まない、もっと重大なミスとか事故ということになれば大変困る訳です。なので、こうした「ひょっとして、何かオカシイかもしれない」という雰囲気というか感覚というか、そういうものは、経験によって身につくことなのだろうと思います。そういう訳で、数値データを過信しない、ということは理解出来るのです。


ぼくがそういうことをいくら言っても、多くの人は気にも留めていなかったであろう。
非科学的だし、論理的でもないし、そんな勘とか経験なんて、とバカにする向きも多くいたことも知っている。

だが、本当に重大な事態に直面した時、信頼性の高いものとは何なのか、ということを知るべきではないか、ということである。いや、常にそれが絶対だ、ということではないのですけがね。でも、人間って案外とそういうものではないか、ということなんです。
操作したり管理するのが、結局は人間だからだ。




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