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官僚は制度に負けるのか5

2004年12月05日 23時29分23秒 | 行政制度
buuさんからTB頂きました。こちらの返事が遅くてお待たせしてしまったようです。
途中になってしまった感じで、申し訳ありません。また切れぎれになってしまって・・・。お詫びいたします。

今までは、意見を出し合い、双方の主張の違いや対立点について見てきました。はっきり申し上げますと、最初に「国民にその責がある」という結論にはすんなりと同意できない気がしたので(私のせいだというのか!という短絡的な気持ちがありました)反発心から書いてしまったところが多かったと思います。他の方々からもコメントを頂いたりしましたので、勝手を申して恐縮ですが、私の個人的意見というか感想を述べることとします。

当初は、ブログのサブにもあるように「無能政治家や官僚をメッタ切り」しようと思っていました。これは、政治に対する一個人のあまりの無力さからくる不満以外何ものでもありません。動機としては不純と非難されるでしょう。ですが、過去の投票には殆ど欠かさず投票し(本当は2、3回行っていません)ても、何も変わりません。私がどんなに政策に対する意志表示をしようとしても、当然個人の声など届くものでもありません。かつては自民党に入れていました。何故かというと、比較の問題で社会党や共産党などに入れてもダメとしか思えなかったからです。消去法的に行う投票ですね(でも、あまりに頭にきて自民党よ思い知れ!という思いで共産党に投票したことが1度ありました)。

こうした投票行動は無力と思い知りました。組織票とかにトータルではかないっこないからです。新党旋風や社会党旋風とか言ってみたところで、一瞬の風というだけです。おまけに自民が野党のときの連立政権にしてもまるで役立たずで、結局何も変わらなかった。私の一票なぞ「カス」としか思えませんでした。ですから、「諦め」に陥って、投票するのを止めたこともあります。「政治には何も期待できない」という無力感だけがありました。でも、今は考え方を変えて、少しの希望を持つことにしました。それがブログです。

投票以外に個人で取り組める事は限りがありました。省庁がメールで意見を受け付けてくれるようになってからは、何度かメールしましたが、一度も返事がくることはありませんでした(なので、ここ数年前から出すのは止めてました。通知内容がちょっと変わったこともありましたので、少しは意味があったと思っています)。街頭演説したりビラ配ったり政党に入って活動するほどの時間も気力もありませんでしたし。ですから、「投票という権利行使」がひどく当たり前の答えすぎて、今までの無力さの繰り返しとしか思えなかったのが本音です。これに実効性を持たせるには、かなり多くの有権者の行動に影響力をもたらさなければならないと思ったからです。

一般国民の立場から言わせて頂けば、行政の内容は複雑多岐であり、仕組みについて理解したりすることも難しいです。誰かが基本的な説明をしてくれないとなかなか理解できるものではありません。選挙の時の「消費税反対」というような安易な対立の中でしか理解ができないからです。近年になってようやくマスコミもそうした説明を増やしてくれるようになりました。「年金問題」がいい例ですね。ところが、そのマスコミの視点も「悪代官」のようなイメージをつくることによって、大衆受けする方向にも行ってしまっているということはあると思います。それを象徴していたのは、議員さんたちの「未納問題」ですね。あれは行政側の説明不足とか徴収事務に関する制度上の問題点があったことが主な原因と思いますが、あたかも「悪意を持って払っていなかった」かのような報道でしたから。

このような事態についてはbuuさんが以下のようにご指摘の通りと思います。
『週刊誌やマスコミなどが面白おかしく書き立てていることは事実ではあっても、誇張や、誤解を招くように操作されていることが少なくないように感じます。公務員といっても家族を持ち、弱さも持ったひとりの人間の集合体であり、そこを認識した上で「ではどうしたら良いか」を建設的に考えていく必要があると思います。』

国民の考えるべき方向がこうした誤った方向へと導かれてしまっているということについては、国民の責任でありますし、またマスコミの姿勢についても熟慮しなければならないでしょう。また、前向きな代替案や対策などをもつことこそ、本当に意味のある批判になるということもご指摘の通りと思います。私も反省しています。

もう一つ、国民の責務として、ご指摘になっています。
『「国民が行政についての理解を深める労力を惜しまず、日常から行政の決定に関心を持って正しい判断ができるようになるべきである」、「こうした判断に基づいて投票という権利を行使してほしい」、この内容自体はまさしく僕が考えている通りです』

私たちが政治や行政について考える時の前提として、こうした責務を負うべきであることは当然であろうと思います。こうしたことを考えずに、安易に批判や追及に終始すべきではないという意見には賛同できます。

方法論としては、buuさんの以下のようなご指摘があります。
『当然外圧が必要で、外圧を効果的に働かせるためにはやはり政治に訴えるのが適切でしょう。世論が盛り上がってくれば、政治家にも党横断的な勉強会を設置しようという動きが出てくるかもしれません。何はともあれ、きちんと声が届くくらいに大きな声を出す事が必要です。最近は議員もブログを持っていたりしますから、そういうところにトラックバックをしてみるという手もあります。』

この辺も、私は限界を自分の中に作ってしまっていたのかもしれません。ですが、ブログによって考える機会をつくること、意見を聞いてみることには意義がありました。まだ、具体的な国家公務員制度の改革方針とういうか考えがまとまらないので、制度改革自体についての意見は出せない状態です(すみません、今までのやり取りはなんだったんだ、というお叱りを受けるかもしれません)。私は不正や非効率的な部分に目を向けていたし、倫理の問題ではないか、あるいは現行制度上の権限行使過程での評価機能が不十分であることが問題なのではないかというスタンスでしたので。

この点で、buuさんのご指摘では
『自浄作用も発揮されつつありますが、根幹にあるのはもっと大きな構造的問題だと思います。』ということで、実情は厳しい状況のようです。このための改革が必要であるということでしょう。
また記事をお読み頂いた方からのコメントには「官尊民卑の風潮」や「情報開示とインセンティブの問題」というご意見も寄せられています。国民としてはそうした構造的問題と見られる部分も感じておられるということですね。
多くの国民に理解を求めて世論形成につなげるための適切な説明や情報公開(行政もマスコミも)、国家公務員制度の抜本的改革を求めるならば国民がその意思表示をすること、具体性のある改革案を提言すること、というところでしょうか。

最後に少しだけお話しておきたいと思います。人間ですから弱さもありますし、いくら高潔といっても「霞」を食べて生きていけるわけでもありません。私にはやや幻想を抱いていたところがあったのかもしれません。優秀な人達が能力を自分のために使うのではなく、持たざるもののために使うことを期待しすぎていたと思います。また、集団というのは秋刀魚などの魚群と同じで、先頭の数匹に大多数が後ろからついていってしまいがちですから、国家の政策に携わる人々はその先頭で正しい方向性を示してほしいということもそうです。本来政治家がやらねばならないことなのですが。

私の知人に大学病院の若手医師がおります。彼らは、大学病院の正式なポストがないので、籍を置くために研究生のような立場で大学に授業料を払っているそうです。給料は正式には出ないようです。民間病院の当直のアルバイトをしなければ生活出来ないそうです。被用者保険も厚生年金もないので国民年金や国民健康保険に加入しなければならないそうです。地方に出張バイトにでることもあるそうです。重病の患者がいて何日間も家に帰れないことも珍しくないそうです。医師といえども世間一般で考えられているほど裕福で恵まれているのではないのだな、と気の毒に思いました。何年も前だったと思いますが、救急とかの制度が行政政策として十分確立される以前に、当直のアルバイトに出ていた若手医師が、搬送されてきた患者の救命ができず業務上過失致死罪の刑事責任を問われ有罪となった事例があったと記憶しています。当時の医療水準に鑑みて過失が認定されたようです。国家試験に受かっている以上、力量不足というのは許されないということです。その後は世間の非難もあり、行政側の施策として医師の救命救急研修が義務化されたようです(正確ではないかも。麻酔科研修でもよかったかもしれません)。行政とはこのような状況であり、そこに身を置く国民は法令の縛りを知らないうちに受けながら、その重大な責任も個人が負わなければなりません(そのような事態を受けて政策が考えられていくのです)。経済的・労働環境的に恵まれているとはいえないところで、ひたすら実力をつけるようなトレーニングを積み重ねるしかありません。怠れば、刑事・民事・行政責任を問われるリスクを常に負わねばならないのです。今年未経験の手術で過失があったとして3人の医師が逮捕された事件がありました(病院名忘れました)が、判断の誤りは許されるものではないということです。こうした過酷な研鑽や大きなリスクに比して医師の報酬が高いか安いかということは判断が難しいですし、高給取りの医師ばかりではない現実もあるのです。世の中には非常に厳しい環境におられる人々がいるのだな、と思い、私個人としては尊敬に値すると考えています。官僚諸氏が楽をしているとは思っていませんし、立派な人もたくさんおられるでしょう。それは常識的に分かることですが、責務の重大さとか自分の有する権限の意味するところについて、皆さんが心に留めて頂きたいと願っています。今医療制度改革についての記事が途中になっていますが(3で止まっています)、このようなこともいずれ書いていこうと思っています。


ちょっと時間があまり取れずに断片的な意見となってしまって、すみません。buuさんの改革案については、私の意見が現在まで関係したところは、その他の事項(4-1)だけ?ですね。役に立ってませんね、私。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
情報量が少ないのでコメントで (buu)
2004-12-06 01:37:33
切れ切れになっていても全然構いません。お互い、時間のあるときにやっていることですから、できる範囲でできることをやれば良いだけです。



選挙に対する無力感というのも、もちろん理解できます。しかし、みんなが同じような無力感を持っていたら、社会はいつまでたっても変わりません。社会を変える力は、なんだかんだ言っても官僚や政治家にはかないません。しかし、絶対に勝てないものではないはずです。



今回のやり取りが役に立っていないなんてことは全然ないです。問題意識を持って、解決策を考えようとしている人間がいるということをアピールする事が重要です。



世の中には声を大きくする仕組みもあります。たとえば、「公務員制度の改革を真剣に考えるブログ」みたいなものが相当量のアクセスとなれば、政治家や官僚も無視できなくなるはずです。ただ、そのためにはやはり建設的な議論を行う事が重要です。不正を並べ立てるのも事例調査としての役割は果たすでしょうが、「ではどうしたら良いのか」を考える必要があると思います。その方法は、ボトムアップでもトップダウンでも構わないと思います。多くの人がいろいろと考えてみる、このことが重要だと思います。



ただ、一番肝心の「多くの人が考える」という、この部分が現実味があるのか、ちょっと確信が持てません。今回の件でも、アクセスはそれなりの数がありますが、コメント、トラックバックという目に見える形では、なかなか反響が見えてきません。
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