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新書に斜陽の兆し?

2009年02月21日 13時53分50秒 | 俺のそれ
『バカの壁』以降、新書の一大ブームが到来したかの感があるが、これも興味深い題材ではある。ここ暫くだと売上が低下気味らしいが(数字で確認していないので定かではない)、現象を考えてみるとおもしろい。

まず、大ヒットが生まれて利益が生じる。そこに目を付ける人たちが現れて、競合していこうとするわけだ。つまり(独占的な)利益があれば、そこに参入する業者たちが増えてくる、ということ。そうなると参入障壁が低下し、かつては「高水準の書き手」だけが出版に漕ぎ着けられたのが、今度は玉石混交の書き手たちがどんどん参入してくる、ということになる。

外見的には「高水準の書き手」か「低水準の書き手」なのかの見分けが難しくなるからだ。そうなると、ハズレ商品(新書)も当然増えてくることになる。以前には商品数がある程度限られていて、読み手たちの選別という洗礼を受けていたのだが、品数が増えると中々そうもいかなくなる。駄作は何故存在できるかと言えば、良作があるからそこにコバンザメのようにくっついて「便乗売り」ができるからだ。消費者側には、これを選別するだけの情報や能力に限りがあるからである。


ブランド品のヒット商品のマネをして、便乗して売ってくる紛い品みたいなものと似ているかもしれない。
大ヒット商品として仮に「ヒートテック」があるとしよう。すると、これによく似た「フートタック」や「ニートテツク」という商品が他社で売られる、と。もっと広がると、商品の名前や外見だけが似ているというだけの、商品の持つ品質(保温性だの線維タイプがどうの、といったこと)がまるで違うのに、便乗して似たような劣悪商品を売る業者が増えてくる、ということになるのである。「ハム太郎」が流行れば、微妙に違う顔をした「八ヶ太郎」、「ノム次郎」や「公太郎」(縦書き)が売られる、みたいな。


こうした便乗商品の割合が増加してゆくと、品質が低下するので次第に消費者側からは敬遠されていくようになってしまうかもしれない、ということになるわけである。参入が容易であると、偶然に良いものが生まれることもあるかもしれないが、玉が減って石ころばかりになって行ってしまう危惧がないわけではないのである。新書の書き手についても、消費者が石ころを選別して排除するまでのコストというのは、それなりにかかってしまうということになるだろう。消費者側というのは、「ああ、石ころが増えてるから止めようかな」と考えるようになってしまうので、品質が落ちたなと思わせないような仕組み(例えば出版社の編集段階での選別など?)がないと、水準が低下して消費者から敬遠されるようになるのである。


大学入学者もそうかも。
参入障壁というのはちょっと違って、入学試験ということになるかな。入学の基準が厳しい(=参入障壁が高い)と大学の学力水準が維持されるが、入試基準を緩くして水準を下げると入学者(参入者)は増えるものの大学の学力水準が低下してしまう。水準が低下して「石ころが増えたな」と思えば買い手がこれを避けるようになってゆく、ということになるだろう。買い手とは、例えば就職受け入れ先といった人たちだろうか。これが続くと、次第に「石ころ」ばかりが集まってくるようになってしまい、逆選択っぽい状況になっていくだろう。


水準を下げると逆に品質低下を招いてしまって、需要が減少してしまう、ということになれば、いずれは消滅危機に曝されるようになるだろう。なので、参入を容易にしたからといって、必ずしもよい結果をもたらすとは限らないであろう。品質を保つ仕組みが機能していなければ、マーケット自体が崩壊することになってしまうであろう。



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