シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ハピネス

2005-07-13 | シネマ は行
公開当時、カナダにいたワタクシは語学学校の友人たちを何十人も引き連れてこの作品を見に行ったら、どえらい目に遭いました。世界の様々な国の人たちからブーイングされたんです。ワタクシも映画が始まってすぐに「あー、まずかったなー」って思いましたよ。

この作品、シニカル、ブラック、というよりもタブーに手を出してるってやつです。セックスライフのタブーに触れられたくない人は見ないほうがいいです。

アメリカのサバーバン(郊外)ものっていうのはここ何年かでひとつのジャンルになりつつあるというところですが、郊外に住むいわゆる“普通の人たち”さてその頭の中は???というヤツですね。

この作品の奇妙なセリフの間合いや包み隠さず語られる人々の秘め事(本性)に居心地悪く感じる人も多いに違いありません。ワタクシはゲーッってなりつつちょっと笑えるって感じでしたね。結局のところ、“普通の人”なんていないってことが言いたいんでしょうか?あまり何が言いたいとか考えないほうがいいかもしれません。

普通の人の顔した変態の映画ですかね。11歳の息子のお友達(男の子)を好きになるお父さんディランベイカーなんてほんとにただの変態だし、ポストカード男フィリップシーモアホフマンもキモ過ぎ(←でもちょっとププッ)最後の性に興味津々な11歳の息子のセリフにはかなりウケましたけど。大きな事件や悲劇が起こるわけではないですが、ひそかに小さな悲惨な出来事が積み重なっていきます。

一般の方にはあまりオススメしませんが、映画ファンの方、いろんなジャンルに挑戦したい方に 

タイタス

2005-07-12 | シネマ た行
血生臭い復讐劇だ。またまたシェイクスピア。ワタクシ、シェイクスピアが好きとか言いながら、この「タイタス」はこの作品を見るまで知りませんでした。恥ずかしながら。

いやー、本当に血生臭いな。ジェシカラングバリ怖いし。

ローマ時代が舞台だからか暴力の度合いがえげつない。現代のマフィア物なんて真っ青だ。生贄、生首、生手、レイプ、カニバリズムと恐ろしい言葉がズラリと並ぶ。そんな話なのにキャストが豪華。これもシェイクスピア効果か。

「えっ、なんでそうなるのん?短絡的ぃ~」と思うところは多々あるだろうが、それはシェイクスピアのパターンだ。その昔、TVも何もない時代の観客をエンターテインすることに徹底した脚本だからだろう。いつの時代も人間はそういう血生臭いフィクションが好きなのだろう。

原作を読んでいないので詳しくは分かりませんが、この映画の演出にはかなり思い切ったとことがある。ローマの円形劇場で演劇が始まりますよ、というところから物語に入っていき、ローマ時代のはずなのに突然現代的な機械とかが飛び出したりもする。そういう風に思いっきりニセ物風に見せることによってこの物語の残忍さを完全にファンタジーに仕立て上げるという効果があるように思えた。

様々な人間の思惑が絡み合い、騙しあい、知恵者に踊らされる者はいとも簡単に引っかかるという本当に本当にシェイクスピアな作品。あんまりエグいのは苦手という方は見ない方がいいでしょう。

ミルクマネー

2005-07-11 | シネマ ま行
メラニーグリフィスという人は若い頃からアメリカでは有名だけど、日本ではそんな有名ではないようですね。今では、アントニオバンデラスの奥さんと言ったほうが分かってもらえそうですね。

そのメラニーグリフィスが娼婦を演じるこの作品。娼婦が出てくるからといってエッチな作品ではない。ちょっぴりエッチなところもあるにはあるけど、主人公が性に目覚めた12歳の少年で、友達同士でお金を貯めて娼婦を買うという他愛もない(?)話。“娼婦を買う”と言ってもその目的は裸を見せてもらうことだからかわいいもんなのだ。

その男の子たちが出会ったのは気のいい娼婦で結局主人公は自分のやもめの父さんエドハリスとその娼婦をくっつけようとするというオイオイという感じの展開なんだけど、メラニーグリフィスの甘い声と物腰の柔らかさとエドハリスのシャイなやもめ父さんに妙な説得力を感じてしまいました。少年が研究発表の人間の体の見本にこの娼婦を学校に連れて行ってみんなの前で発表したり、全体的にカワイイなーーーという印象の作品ですね。

12歳の少年が娼婦に尋ねます。「触ったら女の子がすごーく感じるところがあるって聞いたんだけどそれはどこ?」優しい娼婦は最後に教えてあげるのです。「それはハートよ」と。

ウェルカム!ヘヴン

2005-07-10 | シネマ あ行
天使と悪魔が人間界にいるある男をそれぞれが天国と地獄に来させようと取り合う。なんだかドタバタコメディにはよくあるような設定だ。でも、この作品、この世はスペイン語で、天国はフランス語、地獄は英語というちょっと洒落た設定。そしてなんとなく納得?んー、この世が英語で地獄がスペイン語のほうがワタクシはしっくり来ると思ったんだけど。

キャスティングを見ても少し大人のミニシアター系が好きな人が好みそうな作品だ。展開としては、人間界に降りてきた天使ヴィクトリアアブリルと悪魔ペネロペクルスのせめぎ合いやら、それぞれが天国と地獄に戻ったり、なんか神様ファニーアルダンと魔王ガエルガルシアベルナルの思惑もイマイチ分からんっくてまどろっこしい。(「工作員」とか「作戦本部長」とかになってますが、あえて「天使」「悪魔」「神様」「魔王」にさせていただきました。)

んー、それで?みたいな気になったりもする。もうちょっと整理されてたらもっと面白い映画になったのにな。このあたりがいかにもヨーロッパ映画チック。

この作品の注目はペネロペクルス。彼女は人間界に降りてくる魔王の手先なんだけど、これが「悪いことしましょ!」のエリザベスハーレーの若い版みたいな感じで。やっぱセクシーな女性が悪魔を演じるのはいいですねー。パンツスーツで踊るカンフーファイティングが最高にイカしてる。今までの彼女の役の中で一番いい!でも、E.ハーレーがお色気ムンムンのセクシーさだったとしたら、ペネロペ演じる悪魔のほうはマニッシュなセクシーさなんですよね。それはなぜかというのはちゃんとお話の中でタネ明かしされます。

最後まで見て、まぁたいした映画じゃないよな、と思いつつやっぱりこの顔ぶれとラストのオマケ的なオチを含めて考えるとやっぱり嫌いになれないのでした

オマケこの映画のポスターがかわいかったですね。ヴィクトリアアブリルの背中に天使の羽根、ペネロペの背中に悪魔の羽根が付いておりました。




生きる

2005-07-08 | シネマ あ行
黒澤明監督の名作である。生真面目に役所勤めをしてきた主人公志村喬が肺がんに冒されていると分かり、自分の人生をやり直そうとする。これまでコツコツと毎日同じ事を繰り返してきた彼。妻亡き後、一人息子をきちんと育てあげ、自分の人生に対して疑問も持たずにやってきた彼が死を目前にして「生きる」ということを初めて考える。

一昔前の日本人ってこんな感じだったかもしれない。日々目の前にあることを黙々と片付けるだけで「やりたいことは何か?」なんて疑問に思うことすらない。それ自体美徳だったかもしれない。

この主人公の場合、死ぬ前に何かを成し遂げようと、役所を駆けずり回り、地域住民のために公園を作ることに成功する。でも、彼の功績を讃えた者は少なかった。葬儀の席でさえ、役所の人間たちは彼が役所の課同士の管轄を無視して駆けずり回ったことを責め、助役の力を讃えるのだ。

人間ってやぁねぇって感じだ。公務員の悲しき性か。地域住民だけが涙を流し手を合わせてくれるのだ。

主人公はもちろん感謝されたかったわけではないだろう。自分が成し遂げたかったのだ。誰にも認められなくても良かったのだろう。

製作された年代が古いので、主人公が死期を知ってハメを外すシーンなどは、現代人が見るとつまらんことだったりするのだけど、死を目前にした人間の心理・行動というのは普遍的なテーマだと言えるだろう。

ワタクシなら、見知らぬ人のために公園を作るよりは家族や恋人との時間や関係を大切にすると思うので、この映画の主人公と息子の関係をもう少し掘り下げて見たかったという気もあるけれども、それも日本のあの時代ならあれくらいの描写のほうが適しているのかもしれない。

死までの時間をどう過ごすかは人それぞれなので、この主人公に共感するかどうかは別だけど、見た人に自分の人生を振り返らせる作品だ。 

オマケトムハンクス主演でハリウッドでリメイクされるという噂がありますね。

日蔭のふたり

2005-07-07 | シネマ は行
いとこ同士のジュードクリストファーエクルストンとスーケイトウィンスレット。出会ったときから恋には落ちていたもののジュードにはすでに奥さんと子供が。それを知ったスーは別の男性と結婚。その後、再会した二人はそれぞれの妻と夫と別れてジュードの連れ子と自分たちの子と一緒に生活し始める。

でも昔のこと、結婚していない二人が子供を抱えて住むところを探してもあからさまに断られたり、追い出されたり…昔のイギリスの貧乏な生活。

暗いなー。じめじめしてるなー。原作は「日陰者ジュード」だもんなー。そりゃ暗いよなー。

二人が恋をするシーンは山や海の自然や都会の中でのデートといった明るいところもあるんだけど、二人が一緒に暮らし始めた頃からどんどん話は暗い方向へ…ジュードの連れ子がそれを気に病むのも無理はない…この子が物語の鍵を握ってくるのですが。

イギリスの文豪トーマスハーディの作品なんですけどね、それにしても暗すぎてワタクシはどう受け止めていいのか分からないですね。幸せになろうとしてそれがすぐ目の前っていうところにあってもうまく手に入らない、そんな人生の辛い部分を描いた作品なのかしら?それでも愛を貫いた二人っていう見方もできるけど…

ただ、あまりの衝撃的な展開にやたらと印象に残っている作品なのだ。めちゃめちゃリアルな出産シーンもあったりしてビックリです。そして、またまたファンのひいき目だけど、聡明なスーを演じるケイトウィンスレットがいいのだぁ~。ジュードが大学に出す願書に幸運のキスをしてくれっていうときに紙にキスするなんてイヤとジュードのほっぺにキスするスーがとても素敵でした。

オマケジュードロウの「ジュード」という名前はこの物語とビートルズの「Hey Jude」から付けられたそうですね。

存在の耐えられない軽さ

2005-07-06 | シネマ さ行
「服を脱ぎなさい。僕は医者だ」遊び人のエリート医師トマシュダニエルデイルイス。このセリフで何人もの女性をおとしていく彼。結婚後もそれまでの愛人レナオリン(帽子のお姉さん。見ていただければ意味は分かります) とコンスタントに会い続け… 

「あなたの人生への態度の軽さに耐えられない」と奥さんに逃げられるのですが…それでもやっぱり元のサヤに収まるんですよね。しかも、その奥さんジュリエットビノシュ、愛人とも仲良くなっちゃったりしてねー。なんか不思議です。普通なら異常にドロドロして見えるはずなのに、トマシュも愛人もなんか憎めないんですよね。外見がイイ人そうとかそんなんじゃ全然ないのに。むしろその逆。でも、こうもスマートにやられちゃうとねぇ。開き直りの強みとでも言いましょうか。

この作品、恋愛話ではあるのですが、背景が社会主義時代のチェコスロバキア。ソ連の軍事介入・チェコ事件という政治的な事件をはさんで展開します。ちと背景を理解してないと、どうして主人公たちがこんな目(国を逃げ出したり、色々尋問されたり、医者の地位を奪われたりします)に遭うのか理解できないかもしれないので、予備知識を入れて見たほうがいいかもです。

物語の最後はなんか都合よく終わっているように思う人もいるだろうけど、ワタクシは良かったと思いました。色々あった二人だけど、最後は一緒にシアワセにって。きっと、愛人のお姉さんもそれを聞いてシアワセを感じただろうなと。不思議だけど、最後にはなんか爽快感を感じた作品でした。

フィールドオブドリームス

2005-07-05 | シネマ は行
"If you build it, he will come."というお告げをとうもろこし畑で聞き、そこをつぶして野球場を作ってしまうという頭のおかしな男ケビンコスナーの話だ。実際、周囲からは変人扱いされる彼だが…

このころのケビンコスナーは売れ盛りのころで、一つの信念を持ってひたむきに突き進む役がとてもよく似合っていた。

さて、このお告げがいったい何のことを指しているのかをたどっていく過程が面白い。最初は反対していた奥さんエイミーマディガンも予知夢みたいなのを見て、その予知夢に従って、旦那は伝説の小説家J.D.サリンジャージェームズアールジョーンズに会いに行き、その彼とも新たなお告げを見る。この小説家がJ.D.サリンジャーだというのは映画でははっきり語られないが原作では名前まではっきり出ている。権利の問題か何かで映画では明言が避けられたのかもしれない。

彼を登場人物として扱えない代わりかどうか、PTAで彼の小説(おそらく「ライ麦畑でつかまえて」だろう)が禁止本にされそうになるエピソードが挿入されている。この本が禁止されそうになるのを主人公の奥さんが演説をぶって救うのだ。原作での奥さんは金髪の女性らしい感じの人だが、このシーンを撮りたいがためにエイミーマディガンにしたんじゃないかと思えるほど、彼女にピッタリ合ったシーンだ。始めは反対しながらも旦那をサポートしていく姿など、このヘンテコな状態を楽しんでいるようでもありエイミーマディガンがクールなママを演じてすごくいい味を出していた。

手作り野球場のほうでは、八百長事件で追放になったシューレスジョージャクソンたちがプレーしに来る。そんな彼らを見に来るお客も増えてくる。よく考えると、プレイヤーは幽霊で気持ち悪いのだけど、映画の冒頭からファンタジーの世界にどっぷりハマってしまっているので、あんまり違和感ないですね。

そして、そもそものお告げのことなんか忘れかけてたわって頃にきちんとあのお告げが何だったのかを明かしてくれます。根本的に「なんで?」は聞いちゃいけない質問ですけどね。

J.D.サリンジャー、とうもろこし畑、レモネード、野球という古き良きアメリカを感じる作品です。 

テルマ&ルイーズ

2005-07-04 | シネマ た行
女性二人の逃亡劇。女性二人が主演を張る映画というのはそんなに多くない。よく、「ハリウッドは男社会。女優にいい役はなかなか回ってこない」とこぼしている女優さんがいるが、まんざら嘘ではなさそうだ。最近でこそ、女優が一人で主役という映画も増えてはきているけど。

このテルマ&ルイーズ(ジーナデイビススーザンサランドン)テルマをレイプしようとした男をルイーズが射殺してしまい、逃亡するハメになる。自分からすすんでというわけではなく、受動的に逃亡犯になってしまう。いわば彼女たちも被害者。こういう被害者的犯罪者というのは、実社会でも男性より女性のほうが多いのかもしれない。

物語の核はやはりこの二人の友情だろう。(「女の友情」とか「男の友情」とかいう言葉があるけど、ワタクシはその二つに違いなどないと思っているのであえて「女二人の友情」とは書かないでおきたい)この性格がまったく違う二人はなぜかそれでも仲がいい。そして、その性格の違いが二人の恋愛感覚の違いともうまく関連していて、テルマの恋愛感覚が一夜限りの男ブラッドピット(まだ初々しい)を登場させることになり、その結果二人をさらなる悲劇に陥れることにもなるのです。

こういう作品には、人情刑事か鬼刑事がつきものですが、この場合は人情刑事です。ハーベイカイテルがいい味出してますよね。この頃の彼は一番良かったような…

初めてこの作品を見たとき、テルマとルイーズの友達関係に何か違和感を感じたんです。それは、「あれ、この二人アメリカ人同士なのにほとんどハグとかしないなぁ」というものでした。物語の途中、二人のフィジカルコンタクトが非常に少ないのです。それは、最後のシーンで納得となりました。あの最後のガシッを強調するための演出だったんだなぁと。リドリースコット監督、うまいですね。

平凡な日常がひょんなことからガタガタと崩れていき、最後には悲劇に至る。とてもドラマになりやすい題材です。ジーナデイビスとスーザンサランドンという実力のある二人の女優に演じさせたところにこの作品の成功はあるように思えます。この二人だとなんか説得力ありますもんね。

最後に好きなシーンを。ルイーズが彼マイケルマドセンに「君の瞳が好きだよ」と言われすかさず目を閉じ、「私の瞳は何色?」と聞くシーン。彼女は大人の女性だから、彼が答えられないタイプの人だと分かってたろうし、答えられなくても怒ったりしないけど、本心では答えてほしかったろうな。せつないな。日本人にはできないラブシーンですね。


トークトゥハー

2005-07-03 | シネマ た行
んーーー、これはどうなんだ?ペドロアルモドバルのことだから、偏狭的な愛を描くのは得意技だし、主人公ベニグノナヴィエルカマラの心の優しさは映画の前半で随分見せつけられているから、彼に同情している自分もいたりするのだけど、、、えっ、いやいや、それはあかんやろとハタと自分の同情心に歯止めをかける。

事故で植物状態に陥ったバレリーナのアリシアレオノールワトリングをかいがいしく看護する看護師のベニグノ。彼女の体を拭き着替えさせ、その間ずっと彼女に話しかけてあげる。

平行して描かれる闘牛の事故で植物状態になってしまったリディアの恋人マルコダリオグランディネッティは彼女に触れることも話しかけることもできない。

この対照的な二人が友情で結ばれていく、というところまでは静かだけどペドロらしい演出が効いている。しかし、この後ある事件が…

以下完全にネタバレ



植物状態のアリシアが妊娠していることが分かる...なんで?...答えは明白だ。ベニグノだ。冒頭に書いた“そりゃあかんやろ”の部分ですね。

批評の中には彼の孤独を浮き彫りにした、とか、宣伝では究極の愛ってなふうに書いてるのもあったけど、ワタクシはそうは思えなかった。

やっぱ、それやっちゃうとなー。孤独やからってレイプが正当化されることにはならない。たとえ、彼女を愛していても、それも絶対に理由にはならない。いかなる理由もレイプを正当化することはありえない。

最後にベニグノが自殺することでペドロもレイプを正当化はしていないと思う。ワタクシは彼がそういう終わらせ方をしてくれてホッとした。

気に入っていないようなのにどうして取り上げたのか…
刑務所に訪ねていくマルコとの友情やベニグノの心の内が丁寧に描かれているし、元彼とヨリを戻してしまうリディアの姿がきれいごとだけじゃない恋愛の世界を描いていて不思議な爽快感があったりもする。

ただのストーカー映画やん。なのになにか心に残るのはペドロアルモドバルだからなのか。

イングリッシュペイシェント

2005-07-01 | シネマ あ行
「大河ドラマ」って定義はよく分からんのですが、それでもこの作品は「大河ドラマ」---って感じがします。第二次大戦下の北アフリカが舞台ですからね、全体的にロマンの香りがしたします。

「イングリッシュペイシェント」、つまり、イギリス人の患者ですね。主人公レイフファインズが重傷を負って記憶を失くしているのでそう呼ばれるわけです。そして、物語はその彼が過去を思い出してポツリポツリと語る過去の物語と彼の看病をしている看護師の現在進行形の物語が交錯して描かれます。

患者の過去の物語はと言うと、ズバリ不倫ですねー。ワタクシはどうしても不倫に賛成できないタチなので現実的には受け入れられないですが、お話の中であればシチュエーションによっては、まぁ、肯定はしないけど、彼らの心情に同情したり切なくなったりすることはできます。

このお話の二人は正に「出会ってしまった二人」ですね。女性のほうクリステンスコットトーマスは夫がある身でありながら抑えられないこの気持ち~みたいなね。男性のほうも彼女に夢中になって仕事も手につかず、隠すことさえできず、同僚にたしなめられても頭の中は彼女のことばかり…大人同士なだけに静かに燃える熱情っていうのが結構グッときます。この二人のキャスティングが非常に美しく、不倫の恋のはかなさを一層引き立てています。重傷を負った彼女と洞窟に二人で隠れている姿もさまになっちゃうんですよねー。

この彼女の夫というのがまたムキなっちゃってねー。セスナに妻を乗せこの不倫相手の男を低空飛行で追っかけちゃったりするんですよ。そりゃ、美しい妻を取られたんですもの、理解はできるわ。その夫を演じるのが「ブリジットジョーンズ」「ラブアクチュアリー」で最近ワタクシの中では赤丸急上昇中コリンファースです。なんかこの頃のほうが老けてる?

この切ない不倫物語に交錯する現在進行形ドラマでは、看護師ジュリエットビノシュと爆弾処理班のインド人の恋が描かれます。インド人が彼女に洞窟の絵を見せるシーンは綺麗に撮ることを非常に意識して作られたシーンですね。どしゃぶりの雨の中みんなではしゃぐシーンなんかには希望が感じられるし。

そんな中、主人公も希望を取り戻して回復するのかどうか…。彼をスパイだと言って執拗に追いかけてくる男ウィレムデフォーの言っていることは果たして正しいのか?この男の言葉によって取り戻された記憶。それは…

自分が愛する者のために国を売るという行為。多分、そんなの許せるわけない、という人もいるでしょう。でも、ワタクシは恋愛至上主義なので、(この場合不倫だったけど)彼女のためなら何を犠牲にしてもという彼の行動を肯定的に受け取りました。このあたりかなりメロドラマ調です。「ケッ」と思う人と「素敵~」と思う人がキッパリ分かれるでしょう。  

オマケ主人公が異常に執着していたのが彼女の鎖骨。同僚に注意されたときもそのことばかりが頭にこびりついて離れない様子。「ここの骨ってなんていう名前だったっけ?」はぁ、、、恋は盲目ですか…