シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ヒトラー暗殺、13分の誤算

2015-10-30 | シネマ は行

ゲオルグエルザークリスティアンフリーデルが爆弾を仕掛けているシーンから始まる。予想外の始まり。非常に緊張した様子で爆弾を仕掛けるエルザー。最後にフタをして完成し、建物を去る。その後ヒトラーがその場所で演説を行い爆弾が爆発する。この爆発で7名の人が亡くなった。しかし、ヒトラーはその会場を13分早く退場しており、エルザーの試みは失敗に終わる。その後、ドイツ=スイス国境で捕まったエルザーは、ナチスの尋問を受ける。

ナチスの尋問が始まり、その様子とエルザーの爆弾を仕掛けるに至るまでの過去が交互に語られる。

エルザーは職人であり、音楽を愛し、仲間を愛し、自由を愛するいわばごく普通の男だった。共産主義活動をしている仲間たちに共感はしているが、自分は特に共産党員ではなかった。ドイツ人の日常生活にナチスが少しずつ暗い影を落とし始めていたころ。いや、このころのドイツ国民はナチスを選挙で自ら選んだのだ。ナチスが落とすであろう暗い影に気付いていた人はどれくらいいたのか。エルザーはナチスが少しずつ人々の自由を奪っていることに気付いていた。里帰りをして実家に滞在するのにいちいち市役所に届を出さなければいけない。ユダヤ人お断りの店などが出て来はじめ、恋人がユダヤ人であるドイツ人女性が後ろ指を指されるようになっている。

その少しずつの締め付けがだんだんとあからさまになっていく。共産党員だった友人たちは逮捕され強制労働に就かされている。子どもたちはヒトラーユーゲントに入って誇らしそうにしている。恋人がユダヤ人である近所の女性は村の真ん中で「私はユダヤ人と付き合うメスブタです」と書いた札を首からぶら下げられてナチスを写真を撮られ見世物にされている。その様子を見ている村人たちは、誰もそれを止めはしない。

エルザーは初めは拷問をされても黙秘していたが、恋人のエルザカタリーナシュットラーを連れて来られ、彼女に何をされてもいいのかと脅され、ついに自白し始める。彼が特定の政党には属さず、どんな団体にも所属せず、単独で暗殺を計画し、爆弾を作り仕掛けたと話してもヒトラーはそんなことがあるわけがないと黒幕の存在を吐かせるよう命じる。

エルザーが本当のことを言ってもヒトラーが信じないために、またもやエルザーは過酷な拷問に耐えなければならなかった。ゲシュタポのミュラーヨハンフォンビュローもエルザーが単独犯だということを信じなかったが、刑事警察のネーベブルクハルトクラウスナーはエルザーの証言に矛盾はなく単独犯であるということを信じ始めていた。

エルザーのことを「ごく普通」と表現したのだけれど、それはあくまでも特定の政党に属していないとか、強力な後ろ盾があったわけでもないとかそういう意味であって、自由な発言や行動、思想といったものに対する思いは人一倍強かった人だったのかもしれません。ナチスに自由を踏みにじられても迎合していった大衆の中、たった一人でそれに立ち向かおうとするなんて「ごく普通」ではやはり無理だったかも。ナチスに政権をこのまま任せていたら戦争に突入してしまいたくさんの犠牲者が出るということも予見していたそうなので先見の明もあった人だったんでしょう。

刑事警察のネーベは1943年4月のシュタウフェンベルク大佐のヒトラー暗殺(トムクルーズの「ワルキューレ」で映画化されています)を手助けしたということで処刑になるシーンがありますが、これは暗にエルザーの影響を受けたのかということを言いたかったのでしょうか。その頃にはドイツは形勢も悪くなっており反ナチス派も増えていたみたいなんですが、その何年も前にヒトラーを暗殺しようとしたエルザーはやっぱりすごい人だったのかもしれないなぁと思います。

エルザーがなぜ1945年4月までダッハウの強制収容所で生かされていたのかというのは、いまいちこの作品からは分かりませんでした。一説によると戦争が終わってからエルザーのバックにはイギリスがいたということで戦後に裁判でイギリスを糾弾してやろうとナチスは思っていたとか言われているそうですが、エルザーが処刑された後ひと月足らずでナチスが降伏したことを考えると、敗色濃厚になったナチスがエルザーを生かしておくわけにはいかないと処刑してしまったのでしょうか。あと数週間生きながらえていれば、戦後彼の人生がどのように花開いていたのかを考えるとすごく悲しいですね。


ヴェルサイユの宮廷庭師

2015-10-26 | シネマ あ行

監督がアランリックマンで主演がケイトウィンスレットとなれば、やはり見に行きたいなぁと思って行ってきました。

ルイ14世(リックマン)がヴェルサイユ宮殿を作ることになり、国王の庭園建築家のアンドレルノートルマティアススーナールツは庭師を雇うことにする。数人の面接を経てサビーヌドバラ(ウィンスレット)が選ばれる。ルノートルは自分にはない感覚を持つ彼女が宮殿に新風を吹かせることに期待していた。

サビーヌには夫と子供を亡くした過去があり、ルノートルは不幸な結婚をしていたが、2人は次第に魅かれていく。

ワタクシはケイトウィンスレットのファンなので、久しぶりに彼女の主演作を見ることができて嬉しかったです。アランリックマンとも旧知の仲だし、彼女にピッタリな役を当ててもらえたなという感じの役でした。

イギリス人がどうしてわざわざヴェルサイユを舞台に映画を作ったのかな。バッキンガムではドラマとして物足りなかったのか。せっかくヴェルサイユを舞台にするんだったら、もっとサビーヌたちが手掛けた庭が美しく完成していく様子をうまく見せてほしかったです。ドロドロの建築中から最後にいきなり完成!ってなってしまってちょっとその辺りの感動が足りなかった気がします。

サビーヌが過去と対峙してルノートルとの新しい恋に向かっていくという部分もまぁありきたりと言えばありきたりかな。平民のサビーヌが王様や貴族たちにウィットの効いた思いやりのある言葉で接して、彼らに気付きを与えるというところはなかなかに良かったと思います。ルイ14世が「太陽王」と呼ばれたことにちなんだセリフもありましたね。

子どもを亡くしているサビーヌが同じように子どもを亡くした経験のある宮廷の女性たちとその過去を話すシーンは現代で言うところのグループセラピーみたいな感じでした。あの時代、何が原因であれ子どもを亡くすというのはさほど珍しいことではなかったのかもしれませんが、やはりだからと言って傷が浅く済むわけではなかったでしょう。セラピーなどという概念がなかった時代にも彼女たちにしか分からない痛みを分かち合うということは自然になされていたかもしれません。サビーナというキャラクターの描写にアランリックマンの女性への敬意と優しいまなざしを感じることができました。

舞台がベルサイユで実在の王様とかが登場するから本当の話かと思ったらサビーヌは架空の人物だったんですね。残念。これが本当の話だったらすごく良かったのになぁ。


ピッチパーフェクト2

2015-10-22 | シネマ は行

前作を見てだいたいの雰囲気は分かっていたので、はっきり言ってストーリーには一切期待せずに行きました。前作のレビューに書いた通り、ただただアレクシスナップを見たいがための鑑賞です。

今回は前作から解説者役で登場しているエリザベスバンクスが監督を務めています。前作からの出演者ということもあってか、作品の持つ雰囲気はまったく変えずに続編を作っていて、その辺りはうまいと感じました。下品なジョークも引き継いでいますが、今作のほうがちょっとだけマイルドだったような気はします。とは言え、やっぱりこういうアメリカンジョークは好き嫌いの分かれるところだと思います。ワタクシは会話的な面白さよりも、ベッカアナケンドリックが熊のワナにかかってしまうとかそういうフィジカルなジョークで子供のようにウケてしまいました。ファットエイミーレベルウィルソン的な笑わせ方はワタクシはあまり好みではないかな。

女子チームとして初めて優勝を果たし、4年に一度開かれる世界大会にアメリカ代表として出場することになったベラーズ。しかし、彼女たちの前には強力なライバルチームが立ちはだかる。

前作でも盛り上がったリフオフというアカペラマッチが今回もあって、多分これは前作を見た人たちの期待に応える意味で入れる必要があったシーンなんでしょうね。この作品の代名詞とも言えるシーンだと思います。

ベラーズのパフォーマンスとしては前作よりもさらに良くなっていたと思います。世界大会でのパフォーマンスは特に良かった。ただちょっとベラーズのパフォーマンスはいつも楽曲の編曲が盛り過ぎ感があるので、もう少しシンプルなアレンジで歌うベラーズを聞いてみたい気はします。ライバルのダスサウンドマシーンもめちゃくちゃカッコ良かったです。そのカッコ良さはライバルでありながらもベッカも認めていたようで、彼らに悪口を言おうとしているのに、褒め言葉しか出てこないっていうのは面白かったですね。

「トゥルーグリッド」でデビューしたヘイリースタインフェルドが今回新しい部員として登場するんですが、彼女がまさか歌える子だとは思いませんでした。アナケンドリックが歌えるんだと知ったときもそうでしたが、本当に才能あふれる人がハリウッドにはたくさんいてビックリさせられます。

肝心のお目当てのアレクシスナップですが、セリフはめちゃくちゃ少なかったですが、リフオフのとき少し目立つシーンがあったかな。まぁ大勢いる中の脇役なので出番が少ないのは最初から分かっているし仕方ないですね。彼女を目当てに見ていて便利なところは、170センチ以上あるのでグループでいてもとにかく一番背の高い子を見れば良いということですかね。ヘイリースタインフェルドも高いけど、多分キャラ的にアレクシスナップのほうが高い靴を履いていたかも。というか、子役だったヘイリースタインフェルドがあんなに身長高くなってたことにもビックリでした。


顔のないヒトラーたち

2015-10-20 | シネマ か行

1958年のフランクフルト。アウシュヴィッツ収容所にいた元ナチスの親衛隊員が、規則に違反して教職に就いていることを知ったアウシュヴィッツに収容されていた過去を持つシモンヨハネスクリシュは友人で新聞記者のトーマスアンドレシマンスキとともに検事局を訪れる。アウシュヴィッツで何が行われていたか知らないのかと検事たちに詰め寄るトーマスだったが、そんな過去のことを掘り返してどうなるんだと一蹴される。そんな中ヨハンラドマン検事アレクサンダーフェーリングは唯一関心を示す。先輩検事たちには笑われるヨハンだったが、ユダヤ人検事総長フリッツバウワーゲルトフォスの後押しを得てアウシュヴィッツで何が起こったのかを追及することになる。

ナチスの犯罪はニュルンベルク裁判ですでに裁きは終了していて、ドイツはあの戦争やナチスのことは忘れて前を向いて歩いて行こうとしていた。しかし、それはうわべだけの解決でユダヤ人収容所で実際に何が行われていたかについてはドイツ国民初め全世界はまだ知らなかったのだった。

ヨハンがユダヤ人生存者協会に連絡をして、アウシュヴィッツで何が行われたかの証言を初めて聞くシーンが印象的だった。生存者の証言そのものがシーンとしてあるわけではなく、それを聞く側のヨハンの表情や記録係の女性の嗚咽でそれがどのような聞くに堪えないほどのものであったかを表現していた。

ヨハンたちはたくさんの生存者の証言の聞き取りをする一方、何食わぬ顔で普通に生活している元親衛隊たちの行方を探すという途方もない調査も開始する。

そんな作業に忙殺される中、元々この調査を始めるきっかけになったシモンは頑なに自分の経験を話そうとはしなかった。しかし、度重なるトーマスとヨハンの説得によりついにシモンがその重い口を開き、驚くべき真実が語られる。シモンには妻も娘もいた。妻は収容所で亡くなり、双子の娘たちは収容所で紳士的な医師に連れて行かれた。娘たちが優しそうな医師に連れて行かれたので安心していたシモンは後に娘たちが人体実験の道具にされたという事実を聞かされる。あの悪名高い“死の天使”ヨゼフメンゲレの双子実験で様々な病原菌を打たれ生きたまま解剖され、あげく背中合わせに縫い付けられたというのだ。

ここからヨハンのメンゲレ捜索が始まるが、権力側はメンゲレの居場所を把握していても知らんぷりを決め込んでいた。そんな組織の中でも秘密裡に協力してくれる人もいて、最終的にはモサドの力も借り、メンゲレを始めとする元親衛隊員が南米に潜んでいることを掴む。

この辺りはナチハンターなどのドキュメンタリーなどを見たことのある方なら分かると思いますが、多くの親衛隊員は戦後、新たな第三帝国の建設を夢見る南米勢力の協力を得てアルゼンチンなどに逃亡していたのです。(最終的にモサドはアイヒマンは捕らえましたが、メンゲレは最後まで逃げのびて1979年に海水浴中に心臓発作で死亡しました)歴史がそうである以上、もう何も変わらないのですがメンゲレを捕らえることができていたら、と思わずにいられませんでした。

途中、トーマスとヨハンが近くに住む元親衛隊員でいまはパン屋をやっている男の元を訪れるシーンも印象的でした。自分を抑えきれずその男と対峙するトーマスでしたが、小さな子供に優しく接し、ごく普通のパン屋の顔をした男の前でナチスの罪の糾弾に燃えているトーマスでさえ何も言えなかった。それほどにごく普通の人たちも元親衛隊員の中にはたくさんいたというのを示すシーンでした。

後半、ヨハンが実はトーマスもドイツ兵としてアウシュヴィッツで見張り役をしていた事実を知ったり、父親もナチ党員であったということを知り自暴自棄になっていまいますが、やはり最後にはきちんとこの裁判をやり抜くことを選びます。ヨハンが「ドイツ国民は永遠に黒を着るべきだ」と言っていたのが胸に刺さりました。もちろんそれは自暴自棄になったヨハンが投げやりに言った言葉ではあるのですが、それくらいの罪を犯してしまった自国民を自分の国で裁かなければ前に進めないということだったのだと思う。

もしこの裁判がなければ今現在のドイツはなかっただろう。自国の罪に真摯に向き合う姿勢。もちろんドイツ国内でもこの裁判に反対した勢力や妨害した勢力もあった中でそれでも実現した裁判。戦後70年経ってドイツと日本の立ち位置の違いを見れば、その結果は明らかだと言えると思う。


進撃の巨人~ATTACK ON TITAN エンドオブザワールド

2015-10-16 | シネマ さ行

ぶっちゃけ前半を見てから特に後半を楽しみにしていたわけでもなかったのですが、前半を映画館で見てしまったので、後半もまぁ一応見に行こうかと思い行ってきました。

なんか、さらにチープになってた。。。

シキシマ長谷川博己の気持ち悪さは前半で慣れてしまったのか、今回ちょっとだけ大丈夫になってました。それよりもエレン三浦春馬のキモさ倍増。三浦春馬の演技のせいなのか、演出のせいなのか、、、なんかシキシマに詰め寄るところとかの動作もキモいし、いきなり「うわわわわわあああああ」とか奇声を上げるのもはぁ?って感じで。

前半でハンジ石原さとみは良かったって書きましたけど、これも演出が一本調子なせいか、ハンジ、ただの変な人。ハンジは確かに変態ですが、それだけではなくてもっとハンジの持ってる知識とかを生かす演出にしてほしかった。

アルミン本郷奏多とミカサ水原希子も準主役のはずが、影うっすー。ミカサなんてほとんどセリフないし。それでいて、サシャ桜庭みなみと2人で「あ」とか「ん」とかよく分からん音を発してコミュニケーションを取っていて意味不明。

シキシマが明かした巨人の真相ってのは、よくある設定ですけど、まぁいいとして。それでシキシマが蜂起を企てているのに、それに反対して必死になって壁を塞ぐエレンたち。意味不明。もうあそこまで巨人にやられているんですから、「死んでいい人間なんていないんだぁ」とか甘いこと言ってないで、体制をひっくり返すほうが良くないかい?でもシキシマが言うように昔々人間が兵器として巨人を作り出して、その後なぜか突如として巨人になる人々が出てきたって言ってたけど、それならなぜ壁の中の人々は誰も突如として巨人になる人がいないのかってのがよく分かりませんでした。

ソウダピエール瀧が死んだとき、エレンの兄がどうのこうのって意味ありげなこと言ってましたけど、結局何も分からないままでしたね。エレンの兄ってシキシマ?

シキシマが巨人になってエレンの巨人と戦いになったとき、え?これウルトラマン?って思いました。あのまま巨人同士で決着がついてしまったらどうしようかと思いましたが、それはちゃんとあとから巨人対人間になって良かったです。シキシマが最後「お前はお前の道をゆけ!」とか言って急にエレンの味方をしたのも意味不明でした。

シキシマが巨人にってさらっと書きましたけど、そのことも「知ってたのか?」と聞かれたミカサが「うん」と言っていてびっくりしました。は?うんって。うんってー。知っとったんかーい。なんじゃそりゃ。

ま、とにかく意味不明って何回も書いちゃう感じの作品です。

上映時間たった87分しかないんですよね。だからまだ見られたってのもあるかもしれませんが、もうちょっと頑張って作り込めよって思いました。


パパが遺した物語

2015-10-07 | シネマ は行

1989年ニューヨーク。交通事故で妻を亡くし自分自身も脳に障害を負った小説家ジェイクデイヴィスラッセルクロウはシングルファーザーとして懸命に娘ケイティカイリーロジャースを育てていた。

25年後ケイティアマンダサイフリッドは大学で心理学を学ぶ優秀な学生である一方、自己破壊的な側面を持ち行きずりの男性と一夜限りの関係を次々と続けていた。

あの可愛らしかったケイティに一体何があったのか…

1989年と25年後の様子がほとんど交互に描かれます。脳に障害を負いながらも小説を書き、愛する娘との時間も大切にしようとしているジェイクの姿が胸にぐっときます。しかし、障害のせいで入院していた7か月の間ケイティを預かってくれていた妻の姉エリザベスダイアンクルーガーとその夫ブルースグリーンウッドにケイティを養女にしたいと言われ怒りと動揺を隠せません。しかも、エリザベスたちはジェイクの障害や金銭的なことを理由に裁判まで起こし、ジェイクからケイティを取り上げようとします。

25年後のケイティ。次々と好きでもない男性と関係を持ってしまう自分のことを、このままで良いと思ってはおらずカウンセラーに相談もしているものの、やはりやめられない。カウンセラーにはこのままでは本当に好きな人と出会ったときに後悔することになると言われ、それも当然だと分かってはいる。そんなある日、父ジェイクの小説のファンだと言うキャメロンアーロンポールという男性に出会い恋に落ちる。

このケイティの行動を見て、ただの尻軽女じゃないか、と思う人は多分この物語には共感できないと思います。ワタクシはアマンダサイフリッドが好きでひいき目に見ているせいもあるのかもしれませんが、子供時代に適切な愛情を得ることができなかった女性でケイティのような状態に陥ってしまう人がいるということを理解できるので共感できました。

ケイティを懸命に育てるジェイクの物語にも感動できるし、25年後のケイティの話にも感動できるんですが、この2点を結ぶ出来事というのが少し弱いかなぁという気はしました。突然母を亡くし、その後また突然父を亡くしてしまったケイティが人を愛することに非常に憶病になっているというのは分かるのですが、もう少し衝撃的な出来事がケイティの身に起こるのかと思ってドキドキしていましたが、そうでもなかったのが映画的には残念でした。もちろん、事故で母親を亡くしたあとに、病気の痙攣のせいで洗面所で頭を打って死んでしまった父親をおそらく朝になってまだ幼いケイティが発見したことを思うと彼女の人生の中では十分衝撃的な出来事だと言えるとは思うのですが。夜中の物音に気付いたケイティが起きずにそのまま寝てしまったことを後悔しているというセリフがあったほうが良かった気がするな。

心理学科のケイティがカウンセラーとして両親を亡くし、言葉を話さなくなってしまった少女ルーシークヮヴェンジェネウォレスとコミュニケーションを取ろうとする姿がジェイクがケイティを育てていた姿と重なって涙が出ました。ケイティ自身もお父さんとの思い出をルーシーと追体験することで癒される部分があったでしょう。ルーシーがケイティのおかげで話ができるようになり、里親の先が見つかってもう会えないとなったとき、ケイティはきちんとルーシーに「愛してるわ。さようなら」と告げます。「また会えるわ」という繕った言葉ではなくケイティは「さようなら」と言います。きちんとさよならをすることの重要性をケイティは知っているのだと思いました。

愛し愛されるという関係に慣れていないケイティは不安から一度は恋人のキャメロンを裏切ってしまいますが、キャメロンはそんなケイティを最後には許してくれます。アーロンポールは「ブレイキングバッド」でヤク中のジェシーという役を演じていてあまりにもハマっていたので、なかなかお金持ちで頭の良いキャメロンというふうに見られなかったのですが、優しい瞳をした役者さんなので、「ブレイキングバッド」を見ていない人にとっては全然違和感はなかったと思います。

ラッセルクロウ、アマンダサイフリッド、アーロンポール、ダイアンクルーガー、ジェーンフォンダ(ジェイクのエージェント)と好きな役者さんばかりが出演していたのでかなりひいき目になっていたかもしれないのですが、ワタクシは途中からかなり泣き通しでした。

しかし、この好きな役者陣の中で、一番目を引いたのがケイティの子ども時代を演じたカイリーロジャースちゃんでした。もうダコタちゃんもアビゲイルちゃんも目じゃない。カイリーちゃんの可愛さは今まで見た子役の中でダントツです。これからの活躍が楽しみです。