シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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美女と野獣

2017-04-24 | シネマ は行

どこで第一報を知ったのか忘れましたが、エマワトソンがベルを演じると知ってから、もう待ち遠しくて待ち遠しくて。何か月この公開を待っていたことか。というわけで公開初日に行ってきました。

まぁとにかくエマですよ。エマのベルが素晴らしい。顔は美しいけど、ちょっと田舎っぽさも残していて、頭が良くて読書が好きで自由な考えの持ち主。もうエマ以外のベルなんて考えられない。その上、ミュージカルにふさわしくちゃんと歌も上手っていうんですから非の打ちどころがない。エマワトソンはハーマイオニーを演じるために生まれてきて、ベルを演じるために美しく成長したのだと思います。

ベルと野獣ダンスティーブンスを取り巻く脇役たちがまた完璧で。
ロウソク立てのルミエールユアンマクレガー、ミセスポットエマトンプソン、古時計コグスワースイアンマッケラン、ピアノのカデンツァスタンリートゥッチ、ガストンルークエヴァンス、ベルの父ケヴィンクライン。みんな歌が上手くて本当に夢の世界です。そしてチップネイサンマックはやはりとても可愛いし、もちろん犬のフルフルも健在。この犬は原作にも登場するのかなぁ?アニメ版を見たときにアメリカ人てこういうところに絶対犬を登場させるよねって思いました。

“ディズニーアニメの「美女と野獣」の実写版”というただのこの作品の説明が実はこの作品のすべてを表していると言っても過言ではありません。変な表現ですが、本当にアニメの実写版なのです。それだけで説明が事足りてしまうくらい、本当に素晴らしい実写版です。

そして、それプラス、少し上映時間に余裕がある分物語にさらに深みを加えています。王子(野獣)がどうしてこんなイヤな奴になってしまったかという理由が語られたり、ベルの母親の死について語られたり、ベルと野獣の恋心が深まっていく様子もアニメより詳しく語られていて説得力があるし、オリジナルキャストやオリジナルソングも増えてより深く物語を楽しめるようになっています。

ルミエールが歌う「Be Our Guest」のシーンでは本当に現代のテクノロジーの素晴らしさを感じることができます。少し前ならアニメでしか表現できなかったことが、実写版でここまでできてしまうんですよねぇ。もちろん、テクノロジーだけではなくてそのCGに命を吹き込む役者たちの演技が素晴らしいからこそリアルに感じることができるのだと思います。

ベルが黄色のドレスを着て野獣と踊るシーンの再現性が素晴らしくて、いつまでも見ていたいような気になりました。全体的にベルが主役だけど、そこまで出ずっぱりという役周りではないので、もっとエマを出してーーーー!!!という気になってしまいました。もちろん、エマの出番を増やせばそれでいいっていうもんじゃないということは分かっているのですが、本当に永遠にエマがベルを演じる姿を見ていたい気持ちになりました。

アニメ版では正直、野獣が王子様に戻った時「あれ?野獣時代のほうがカッコ良かった?」ってなったんですが、正直今回もちょっとそれありました。でもなんか、それはそれでいいのかな、と。もちろんダンスティーブンスが野獣のメイクをしているからなんでしょうけど、王子様に戻っても野獣っぽく見えてそこが良かったです。最後にベルが「ヒゲを生やさないの?」って聞くところがお茶目で大好きだったなぁ。野獣の時の姿もなかなか好きだったんだなって分かるのが可愛らしかった。

アニメ版で何度も見ているからストーリーは完全に知っているのに、ガストンに真剣に腹が立ったり、召使たちが最期を覚悟して別れを告げあうシーンでうるっときたりと、十分この実写版にはまって見ることが出来ました。それもやはりそれほどに出来が良いという証拠なのだと思います。

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ムーンライト

2017-04-20 | シネマ ま行

珍しく説明調の副題がついていません。アカデミー賞作品賞受賞で十分な知名度を得たからでしょうか。作品賞受賞した上にあの騒動があったので、映画に興味ない人まで作品名が行き渡りましたね。

シャロンという1人の少年を「少年期」「思春期」「青年期」に分けて見せる作品。麻薬中毒の母親ポーラナオミハリスに育児放棄され、小学校でいじめられているシャロンアレックスヒバートはある日地域で麻薬の売買を取り仕切っているフアンマハーシャラアリにいじめっ子から逃げているところを助けられる。その妻テレサジェネールモネイにもよくしてもらい、心を閉ざしていたシャロンは少しずつこの2人に心を開くようになっていく。

高校生になったシャロンアシュトンサンダースは相変わらずいじめられていた。母親に男が来るからと家を追い出されることがあり、テレサの家に世話になっていた。ここで何の説明もないのだけど、シャロンが高校生になるまでにフアンが死んでいることが分かる。麻薬のディーラーをやっていた人だから何かあって早くに死んでいてもおかしくはない。高校でいじめっ子に報復したシャロンは少年院に送られる。

出所して大人になったシャロントレヴァンテローズはアトランタに引っ越し、自らが麻薬の売人となっていた。タフな男になって外見も見違えるようになっている。母親は心入れ替えてリハビリ施設にいて、今は子供の時のシャロンを虐待していたことを悔いている。そんなシャロンのところに幼馴染のケヴィンアンドレホランドから1本の電話がかかる。

小学校の時シャロンは「faggot」といじめられており、その意味をフアンに聞くシーンがある。(ここでのフアンの説明が素晴らしい。フアンは「ホモのことだよ」とか「オカマのことだよ」なんて言わずに「ゲイの人をイヤな気持ちにさせる呼び方だよ。ゲイでも"faggot"なんて言わせちゃいけない」と言う)母親もシャロンのことをナヨナヨしていると言い、観客はそれでシャロンがゲイなのだなということを知る。高校時代には幼馴染で女遊びばかりしているケヴィンジャハールジェロームと肉体関係になるシーンがあり、ケヴィンも実はシャロンのことが好きだったのだと分かるのだけど、ケヴィンはいじめっ子に加担してシャロンを殴ってしまう。マイアミのスラムのタフな黒人社会を生きていくにはゲイであることは絶対に隠さなくてはいけなかっただろうし、高校生のケヴィンがいじめっ子の命令を逃れることはできなかっただろう。シャロンもそれを理解していたから、自分を殴ったケヴィンを責めることはなかった。

同性愛者の黒人青年の話と言えばそうなのだけど、この物語はそれを全面に押し出してはいない。どのアングルから彼の人生を切り取るのかによって物語の印象はかなり変わってくると思うのだけど、、この作品はどのアングルも押し出している感はない。ただそこにいるシャロンという少年の人生があり、それがたまたまスラムの麻薬中毒の母親に虐待された同性愛者の黒人の男の子だったという印象だ。それはなんとなくいわゆるアメリカ映画的ではなく、どこかフランス映画のような雰囲気を湛えていると思う。物語というより詩集を読むような感覚かもしれない。

こういう作品はえてして悲劇的なエンディングを迎えがちだけど、この作品はそうではなかった。シャロンを照らした月明かりは一見冷たそうで実は温かだった。

オマケぱっと見、全然分からなかったのですが、小学生、高校生、青年のシャロンの顔が合わさったポスターがとても美しいです。

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ジャッキー~ファーストレディ 最後の使命

2017-04-18 | シネマ さ行

またしても副題が妙に説明的ですが、「ジャッキー」というのはジャクリーンケネディのことです。

夫であり米国大統領であったジョンF.ケネディが暗殺されてから葬儀に至るまでをジャッキーナタリーポートマンが雑誌の記者ビリークラダップに語る様子を映画化したもの。

ナタリーポートマンがこれでもかというほど特徴のある喋り方をしていたので、あぁご本人はこういう喋り方をしていたんだなぁと思いました。本人がどんな喋り方をしていたのか知らないので似ているのかどうかは分かりませんが、おそらくあんなふうに喋る人だったんでしょう。

ファーストレディとしてものすごく気丈に振る舞う部分と、夫を目の前で射殺された妻としての脆さを見せる部分が非常にうまく描かれていると感じました。ケネディ家のお母さんとか義弟のロバートケネディピーターサースガードとどのような会話がなされたのかをもっと見たかった気もしますが、これはもう誰も知るところではないのかもしれませんね。この“ボビー”を演じたピーターサースガードが致命的に似ていなくて、苦しかったです。ナタリーもジャッキーに似てはいないんだけど、ボビーのほうがなんか見ていてつらかった。ピーターサースガードがうまい人なだけに残念でした。

気丈なジャッキーを象徴するシーンとして、記者が「と、彼女はたばこを吸いながら言った」とメモを取ったところで「私はたばこは吸いません」とまさにたばこを吸いながら言い放つシーンが印象的でした。パブリックフィギュアとしての自分と本当の自分とを切り離して、パブリックフィギュアのほうを完全にセルフプロデュースしていた彼女の姿が映し出されていました。

必ずしも夫婦仲がうまくはいっていなかったケネディ夫妻の夫婦としての再出発的な意味もあったテキサス遊説でまさかの事態が起こった。夫婦として再出発は叶わず、夫はいなくなり、“ファーストレディ”ではなくなり、小さな子供2人を抱えてホワイトハウスから追い出される。極限の精神状態の中で夫を米国大統領として伝説にすべく葬儀の方法を考えたジャッキーはまさしくファーストレディにふさわしい人だったのかもしれません。

映画としては、ナタリーの熱演とはうらはらに演出が単調で眠くなってしまう人もいるんじゃないかなぁ。不協和音のような不気味な音楽が時折流れますが、それすらももしかしたら子守唄になってしまっていたかも?

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LION/ライオン~25年目のただいま

2017-04-13 | シネマ ら行

5歳のサルーサニーパワールはお兄ちゃんのグドゥアビシェークバラトが大好き。どこへ行くにもお兄ちゃんの後をついてお兄ちゃんのお手伝いをしたい。貧しい家庭でお母さんの役に立っているお兄ちゃん。僕だってお兄ちゃんと同じようにお母さんの役に立てるんだ。そう思って引き留めるお兄ちゃんを無理やり説得して夜の仕事に連れて来てもらった。仕事をもらいに行くからここで待ってろと言ってどこかへ消えていったお兄ちゃん。ベンチで待ってろと言われたのに動き出す電車に乗り込んでサルーは眠ってしまう。サルーが乗り込んだ電車は運の悪いことに回送列車。しかも、遠い遠い街まで行ってしまう。サルーが着いた場所ではベンガル語が話されていてヒンドゥー語が通じない。インドの街の人はホームレスの子どもなんて見飽きていて、子どこが独りで歩いているからって「どうしたの?」なんて聞いてくれない。

仕方なく、街のストリートキッズらと一緒に眠るサルーだが、そこにも大人たちがやってきて子どもたちをさらって行った。懸命に逃げるサルー。

とにかく、迷子になったサルーは走る。小さい体で走る走る。その姿が可愛くて健気過ぎてたまらない。

一方サルーを見失ったお兄ちゃんグドゥも懸命にサルーを探すが、サルーは忽然と姿を消してしまっていた。

一度親切そうな女の人に着いて行ったら、変なおじさんがやってきてサルーは売り飛ばされそうになった。(はっきりと言及はありませんが、多分そういうこと)サルーはなんとなく変な気配に気づいてここでも走って走って難を逃れる。その後施設に収容されたサルーはタスマニアの夫婦ジョンデヴィッドウェンハムとスーニコールキッドマンの養子になることが決まり引き取られる。

それから25年。サルーデヴパテルは大学生になっていたが、ふと友人たちに自分はインドで迷子になったままここに来たと漏らすと、いまグーグルアースというものがあるからそれで故郷を探してみては?と言われる。

それ以来サルーは取り憑かれたようにグーグルアースで故郷を探す。恋人のルーシールーニーマーラをほったらかしにしてしまうほどに。

タスマニアで何不自由なく育ってきたサルーの喪失感が辛い。養父母は間違いなく自分を愛してくれているし、自分も彼らを愛している。サルーの翌年に同じく養子としてやって来たマントッシュディヴィアンラドワは少し障害があるようで養父母もサルーも苦労したし、迷惑もかけられたが、それでもサルーはこの家族を愛してきた。感謝もしている。本当の家族を探していることを養父母に知られるのは避けたい。それがゆえに冷たく接してしまったりもした。

それでも、お母さんもお兄ちゃんもきっとずっと自分を探している。鮮明に蘇る近所の帰り道の記憶。「ガネストレイ」という街の名前。でも、そんな街は存在していない。小さい彼の記憶違いか。お母さんの名前も「お母さん」としか分からない。電車の進んだ距離と駅にあった給水塔。それを手掛かりにグーグルアースで探し続けるサルー。

養母スーがどうしてサルーたちを引き取ったのか。その想いが語られる部分から、サルーが故郷を探し当てそこへ向かう後半ずっと涙が止まらなかった。医学的に子どもを持てなかったわけじゃなかった養父母。新しく子どもを産み落とすことで世界が良くなるわけじゃない。それなら貧しい子たちを引き取ろうと。そして、それはスーが子どもの時にすでに受けた啓示だった。まるで運命が引き寄せたかのようなスーとサルーの人生。スーはサルーが生まれ故郷を探していることも当然のように受け入れてくれた。

サルーは判明した生まれ故郷へ旅立つ。待っていたお母さん。お兄ちゃんグドゥは、サルーが迷子になったその日に電車に轢かれて死んでしまったそうだ。きっとサルーを探して。

お母さん、そして幼かった妹との再会。こんな数奇な運命が本当にあるんですね。現代のテクノロジーに感謝。本当のお母さんに出会えても養父母への愛は変わらない。それを伝えるサルーにもまた泣けました。

なぜ題名が「ライオン」なのか。劇中ずっと疑問でした。最後の最後にその疑問が解けてすっきり。たった5歳だったんだもんね。仕方ないよ、サルー。

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モアナと伝説の海

2017-04-11 | シネマ ま行

字幕版がなかなか時間が合わずに諦めかけていたのですが、ちょうど先週合う時間にやっていたので見に行きました。

ちょっと最近のディズニーの中ではいまいちだったかなぁ。

海に選ばれたモアナアウリイクラヴァーリョが半神マウイドウェインジョンソンと共に、命をつかさどる女神テ・フィティに昔マウイが盗んだ「心」を返しに行くというお話。

モアナのおばあちゃんタラレイチェルハウスが半神マウイのお話を聞かせてくれるのだけど、ここんとこからどうもすんなり入ってこなかった。どうしてテ・フィティの「心」をみんなが狙っていたのかもよく分からんし、マウイがそれを盗ったのは、人間が喜んでくれると思ったからと言っていたんだけど、それもなんでそう思ったのかよく分からんかった。これはワタクシの理解力がないだけで作品の中では説明はされていたと思うんですが、なんだかよく分からないままでした。

モアナは海に選ばれたらしいんだけど、この「海」の扱いがちょっとやっかいで。なんだか都合良くモアナを助けてくれたり、あっさり無視したり。「それが海ってやつさ」なんてマウイに言わせてるけど、そこんとこもワタクシは納得できなかったかな。

ココナッツの海賊カカモラは、ユーモラスで良かった。「なんか可愛いんだけど…?」ってモアナに言われて怖い顔を描くところが面白かったですね。

ヘイヘイは意思疎通が出来なさ過ぎて物足りなかった。やっぱりベタでもいいから可愛いブタのプアと一緒に旅に出て欲しかったなー。

お父さんが娘心配のあまり過保護で~ってのもなんかよくあるパターンですね。

モアナのキャラは冒険心があって好きでした。彼女の仕草や喋り方はいかにもアメリカのティーンって感じがして、モアナの育った南の島の人とはちょっと違う気はするけど、それはアメリカのアニメだから仕方ないか。モアナは可愛いですけどね。

「アナと雪の女王」「ズートピア」と来てちょっと期待し過ぎたかもという気持ちがあるのですが、周囲の評判を聞いていると高い評価を受けているようなので、ワタクシがおかしいだけかもしれません。

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