女性二人の逃亡劇。女性二人が主演を張る映画というのはそんなに多くない。よく、「ハリウッドは男社会。女優にいい役はなかなか回ってこない」とこぼしている女優さんがいるが、まんざら嘘ではなさそうだ。最近でこそ、女優が一人で主役という映画も増えてはきているけど。
このテルマ&ルイーズ(ジーナデイビスとスーザンサランドン)テルマをレイプしようとした男をルイーズが射殺してしまい、逃亡するハメになる。自分からすすんでというわけではなく、受動的に逃亡犯になってしまう。いわば彼女たちも被害者。こういう被害者的犯罪者というのは、実社会でも男性より女性のほうが多いのかもしれない。
物語の核はやはりこの二人の友情だろう。(「女の友情」とか「男の友情」とかいう言葉があるけど、ワタクシはその二つに違いなどないと思っているのであえて「女二人の友情」とは書かないでおきたい)この性格がまったく違う二人はなぜかそれでも仲がいい。そして、その性格の違いが二人の恋愛感覚の違いともうまく関連していて、テルマの恋愛感覚が一夜限りの男ブラッドピット(まだ初々しい)を登場させることになり、その結果二人をさらなる悲劇に陥れることにもなるのです。
こういう作品には、人情刑事か鬼刑事がつきものですが、この場合は人情刑事です。ハーベイカイテルがいい味出してますよね。この頃の彼は一番良かったような…
初めてこの作品を見たとき、テルマとルイーズの友達関係に何か違和感を感じたんです。それは、「あれ、この二人アメリカ人同士なのにほとんどハグとかしないなぁ」というものでした。物語の途中、二人のフィジカルコンタクトが非常に少ないのです。それは、最後のシーンで納得となりました。あの最後のガシッを強調するための演出だったんだなぁと。リドリースコット監督、うまいですね。
平凡な日常がひょんなことからガタガタと崩れていき、最後には悲劇に至る。とてもドラマになりやすい題材です。ジーナデイビスとスーザンサランドンという実力のある二人の女優に演じさせたところにこの作品の成功はあるように思えます。この二人だとなんか説得力ありますもんね。
最後に好きなシーンを。ルイーズが彼マイケルマドセンに「君の瞳が好きだよ」と言われすかさず目を閉じ、「私の瞳は何色?」と聞くシーン。彼女は大人の女性だから、彼が答えられないタイプの人だと分かってたろうし、答えられなくても怒ったりしないけど、本心では答えてほしかったろうな。せつないな。日本人にはできないラブシーンですね。
このテルマ&ルイーズ(ジーナデイビスとスーザンサランドン)テルマをレイプしようとした男をルイーズが射殺してしまい、逃亡するハメになる。自分からすすんでというわけではなく、受動的に逃亡犯になってしまう。いわば彼女たちも被害者。こういう被害者的犯罪者というのは、実社会でも男性より女性のほうが多いのかもしれない。
物語の核はやはりこの二人の友情だろう。(「女の友情」とか「男の友情」とかいう言葉があるけど、ワタクシはその二つに違いなどないと思っているのであえて「女二人の友情」とは書かないでおきたい)この性格がまったく違う二人はなぜかそれでも仲がいい。そして、その性格の違いが二人の恋愛感覚の違いともうまく関連していて、テルマの恋愛感覚が一夜限りの男ブラッドピット(まだ初々しい)を登場させることになり、その結果二人をさらなる悲劇に陥れることにもなるのです。
こういう作品には、人情刑事か鬼刑事がつきものですが、この場合は人情刑事です。ハーベイカイテルがいい味出してますよね。この頃の彼は一番良かったような…
初めてこの作品を見たとき、テルマとルイーズの友達関係に何か違和感を感じたんです。それは、「あれ、この二人アメリカ人同士なのにほとんどハグとかしないなぁ」というものでした。物語の途中、二人のフィジカルコンタクトが非常に少ないのです。それは、最後のシーンで納得となりました。あの最後のガシッを強調するための演出だったんだなぁと。リドリースコット監督、うまいですね。
平凡な日常がひょんなことからガタガタと崩れていき、最後には悲劇に至る。とてもドラマになりやすい題材です。ジーナデイビスとスーザンサランドンという実力のある二人の女優に演じさせたところにこの作品の成功はあるように思えます。この二人だとなんか説得力ありますもんね。
最後に好きなシーンを。ルイーズが彼マイケルマドセンに「君の瞳が好きだよ」と言われすかさず目を閉じ、「私の瞳は何色?」と聞くシーン。彼女は大人の女性だから、彼が答えられないタイプの人だと分かってたろうし、答えられなくても怒ったりしないけど、本心では答えてほしかったろうな。せつないな。日本人にはできないラブシーンですね。