シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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原作本

2012-08-07 | 

何本かの映画の原作本を読みましたので、軽く感想を書きます。


「ものすごくうるさくてありえないほど近い」

これは映画はすごく好きだったんですが、原作本はちょっとイマイチでした。なんか、おじいちゃんとおばあちゃんの過去の話とか、おじいちゃんから息子(お父さん)への手紙とか回りくどいことが多くって。おばあちゃんがおじいちゃんとの結婚生活を赤裸々に綴っているんですけど、おじいちゃんとおばあちゃんのセックスがどうとか、そんな話知りたくないわぁって思ってしまって。ちょっと引いてしまいました。それより、鍵探しに重点を置いた映画の方が楽しめました。


「ヘルプ~心がつなぐストーリー」

これは原作本も良かったです。映画とは少し違う部分もありつつそれはそれで本の方が良かったりするところもあったりで。当時の黒人の語り口調そのままのつづりや文法で書かれてあるのでちょっと読みにくい部分はありますが、法則性があるので慣れれば大丈夫です。この原作からものすごくうまく映画にしたなぁというのがよく分かりました。本では最後にスキーターがニューヨークに行って、スキーターがやっていた新聞社の仕事をヴァイオラが引き継ぐことになります。映画ではそこは描かれていませんでしたが、素敵なラストでした。


「オレンジと太陽」(原作題「Empty Cradles」)

これはかなり忠実に映画化されていると思います。イギリスから無理やりオーストラリアなどに移民させられた子供たちの経験が赤裸々につづられていて、読むのがとても辛い場面もありますが、マーガレットハンフリーさんの誠実な性格がよく表れた本だと思います。本を読んでますますこういった悲惨な歴史を忘れてはいけないと感じました。文章は割と簡単なので英語の初心者の方でも読みやすいと思います。

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宮尾登美子自伝的四部作

2011-03-07 | 

「櫂」13歳までの幼少期。
「朱夏」満州に渡り引き揚げるまで。
「春燈」13歳から17歳まで。
「仁淀川」満州から引き揚げてから、農家での生活、執筆を始めるまで。

執筆の順番も時系列ではなく、ワタクシが読んだのは「朱夏」「櫂」「春燈」「仁淀川」とこれまたバラバラで、「春燈」と「仁淀川」の間に、「岩伍覚え書」という彼女の父親の日記をまとめたものを読んだので、さらに時間軸がバラバラだった。

宮尾登美子の書く小説は文体が読みやすく、内容も興味深いものが多いので好きだ。

中でもこの自伝的小説はとても興味深い。彼女が芸妓の紹介をやっている家に生まれついたことや、母親とは実の親子ではなかったこと、彼女自身の性格もあり、波乱に満ちた人生を送っている。ワタクシの場合は初めに続いているものと知らず「朱夏」を読んでしまったが、その後の「櫂」「春燈」と彼女の人生の空白を埋めるように読んでいくことができ、もともと執筆が時系列でないことからか、バラバラに読んでもなんの違和感もない続き物になっている。

そして、さらに「櫂」よりも以前の父親の人生の空白を埋めるのが「岩伍覚え書」で、これは父・岩伍が記した日記をまとめたものだから、彼の生い立ちというものではないが、芸妓の紹介業をやっている上で起こる一般人にとっては非日常の世界が繰り広げられ、岩伍の独特の文章もあり、これまた非常に面白い読み物になっている。

母親にあまりに過保護に育てられてきた彼女は、我の強い子に育ち、わがままな部分も多いに持ち合わせてはいるけれども、現代に生きるワタクシたちにとっては当然のような主張もたくさんあり、手に負えない子でありながら共感できる部分もたくさんあった。戦前に生まれた子にしては周囲に流されず、自分の主張をきちんとできる子であった彼女にはやはり並々ならぬ才能があったということなのかもしれない。

宮尾登美子の半生、それとともに生きた両親や周囲の人の人生を4冊に渡り読んできたことで、登場人物に対する愛着も湧き、「仁淀川」で母親が亡くなるシーンでは電車の中で読んでいたにもかかわらず泣いてしまった。

宮尾登美子の著作の中ではこの他に「篤姫」「鬼龍院花子の生涯」「一弦の琴」など素晴らしい作品が多いが、著作が非常に多い方なので、まだまだ読んでいない作品がたくさんあるのでいろいろと読んでいきたい。


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内部被爆の脅威~原爆から劣化ウラン弾まで

2011-02-24 | 




先日見た「ヒバクシャ」という映画の関連本です。
「ヒバクシャ」の監督の鎌仲ひとみとその中に登場する肥田舜太郎医師が共同で執筆しています。

「ヒバクシャ」を見たときには、とにかくイラクでの劣化ウラン弾の話や、アメリカのハンフォード核施設の話など、次から次へとおそろしい話がどんどん出てくるので、実際に「内部被爆」とはどういうことなのか、いまいち分からないままでした。単に放射線というものが危険なものであり、それを危険なものと認識することをあえてさけている世界中の政府のせいでどんどんヒバクシャが増えているという事実に圧倒されて終わってしまった感がありました。なので、今回それをもう少し理解するために本を読んでみました。

肥田舜太郎先生が、内部被爆について解説してくださっています。少しややこしい話もありますが、全体的には分かりやすい内容になっていると思います。わずか数センチしか届かないα線やβ線がいかに人体に恐ろしい作用をおよぼすかが説明されてあります。

やはり世界中の権威ある団体が、この放射線の危険についての認識を経済的な観点から無視している状況にあるということに戦慄を覚えます。日本でも昔RCサクセションが「COVERS」というアルバムを発売したときに歌詞の中で原子力を非難し、発売中止になったこともありますね。映画「ヒバクシャ」もスポンサーがしり込みするため、メディアではほとんど取り上げられることがない作品です。



この本を読めば、どれだけ内部被爆というものが生き物にとって脅威かということが分かるわけですが、やはりすべて「科学的根拠がない」というお決まりの文句で捨てられてしまう現状にあるようです。
もちろん、この本に書いてあることがすべてではないのでしょうが、それでもやはりここに示される放射線が原因と思われる事象を無視するわけにはいかないと思います。

唯一の原子力爆弾による被爆国の日本人の中でさえ、「核は抑止力」と考える人が多くいる時代。果たして「原子力」というものにそんな力を期待して頼って生きていっていいのか?興味のある方はぜひ読んでみてください。

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リリィ、はちみつ色の秘密(原作本)

2010-11-19 | 

映画を見てから随分と時間が経ってしまったのだけど、先日やっと読むことができた。

この物語を読んでいる間中、このお話に登場するオーガストという女性の優しさに包まれている感じがして、いつまでもその温かさに触れていたいようなそんな気分にさせられた。先に進みたいんだけど、読み終わるのがイヤで先に進みたくないという気持ちになった。

原作を読み終わって感想を書く前に自分の書いた映画の感想をもう一度読み返してみるとそこには、

〉原作をじっくり読んでもう一度この世界に浸りたいなと思わせるような映画だった。

と書かれてあった。
1年以上前に書いた言葉だったので、忘れてしまっていたのだけど、まさにドンピシャなことが書いてあって我ながらビックリした。本当に「まだまだこの世界に浸っていたい」と思いながら読んでいたのだ。

原作を読むと映画はかなり原作に忠実に仕上げられていたということが分かる。そして、キャスティングがやはりドンピシャだったこと。もちろん、ワタクシは先に映画を見ているからキャストが先に頭にいるわけで、その人たちが自分の中で映像となって動くということになるのだけど、たとえ映画を先に見ていてもキャストが合わない場合は、本を読みながら自分で映画のキャストとは違う人物像を動かしているときがあるけど、この物語の場合はそれがまるでない。特にオーガストを演じたクイーンラティファなんて最初から彼女をあてて書かれたのではないかと思うほどだった。



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星守る犬(原作本)

2010-11-15 | 

普段、ワタクシはほとんどの小説の情報を映画から得ているので、たいがい本を読むのは映画を見てからというパターンが多いのだけど、この本はずっと前に読んでいて、この夏に映画化が決定したものだ。

映画の公開は来年になるみたいだから、これから映画を見る可能性のある方には多少のネタバレになるかもしれない。

家族から見捨てられたお父さんと一緒に旅をする犬ハッピー。お父さんは病気で、財布も途中で盗まれてお金もない。そんな中ハッピーも病気になってしまい、お父さんはハッピーの手術代のために残り少ない持ち物も全部リサイクルに出してしまう。何も持たず、あるのは家替わりの車一台。ついにお父さんも病気で死んでしまう。

これはコミックなんだけどページ数も短いし、話自体も1パラグラフで説明できる程度のものだけど、これ映画にするには結構他にいろいろ付け加えないといけないと思うけどなぁ。でも、この話にいろいろ付け加えてしまうと面白くなくなりそう。このシンプルさが良いんだと思うけどな~。ここんとこ、日本映画界ではやたらと“犬もの”が多いけど、本当に良い映画は少ないなぁ。これも原作が好きなだけにちょっと怖い気がする。

この話、多分賛否両論あると思う。このお父さんは自分が病気だと分かっているのだから、犬がもっと生きられることを考えたら、ハッピーのために里親を探してやるべきだったと考える人もいるだろう。そうすればハッピーだってもっと長く生きられただろう。その考え方ももちろんよく分かるし、どちらが正しいかと言われれば、お父さんの行動よりそのほうが正しいのかもしれない。でもね、ワタクシはお父さんのした選択を責められないな。そして、このハッピーの健気さが泣けるんだよなー。犬はどこまでもまっすぐに飼い主を見ている。だからこそ、お父さんと一緒にいられたハッピーは幸せだったんじゃないか。そう決めつけるのは人間のエゴだけれど、残念なことに野生からペットとなった犬は、もはや人間のエゴの元でしか暮らせない。犬の「本当の幸せ」なんて誰にも分からないけど、この本を読む限り、この物語のハッピーは確実に幸せだったと思う。

実はこのお話は2部構成になっていて、車で亡くなったお父さんの遺体を処理するケースワーカーの話が次に描かれている。彼も実は犬に思い出があって、お父さんとハッピーの死に立ち会うことで、自分が飼っていた犬のことを思い出す。

子供のころおじいさんが連れてきた犬の世話をするのが面倒になって、遊びに誘ってくる犬の鼻っ面にわざとボールをぶつけたとき、犬はほんの少しも怒らずに「ごめんなさい。いまのゲームのルールが分からないんです」という瞳で見つめ返してくる。

このエピソードのところは何回読んでも泣けてくる。ここでも、犬はどこまでもまっすぐに飼い主を見ている。彼らにとって飼い主は世界のすべてなのだ。

2話目も決して良い飼い主の話ではないんです。だから、またこれに怒りを覚える読者の方もいるかもしれないな。でもワタクシはやっぱり2話目も好きです。子供のときに犬を飼うって結構そんなもんってとこあるもんな。ダメなんだろうけど、綺麗事だけじゃないところが好き。

ワタクシは3年前から犬を初めて飼い始めた。もし、犬を飼ったことがないままこの話を読んでもあんまり感動はしなかったかもしれない。犬たちが本当に飼い主をまっすぐに見ていて、飼い主がその世界のすべてであるということを身を持って体験したからこそ、何回読んでも涙なくしてはこの物語を読めなくなった。

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告白(原作本)

2010-10-18 | 
映画を見てすぐに原作本を買い、ワタクシにしてはかなり早いペースで読み終わりました。すぐに読破できてしまうほど、読みやすいし、面白いです。

原作は本当に“告白”なんですね。ト書きも場面描写も何もなく、ただただ登場人物が順番に告白していく。これを読むと本当にこれをよく映画化したなぁと感心します。

映画と同じようにまずは「聖職者」という章で森口悠子先生が淡々と生徒の前で話し始める。先に映画を見ているので、松たか子が話す様子がどうしても頭に浮かんでしまうのだけど、本では実際のサカキバラの事件などを例に挙げ、「調子に乗ったあて字を使っている」とか「マスコミは難しい漢字を知っているとでも言いたいのですかねぇとバカにしてやればいい」とかかなり過激なことを言っている。映画ですらゾッとした森口悠子の語りだけど、本のほうがずっとゾッとすることを言っているんですよね。この辺はさすがに映画のセリフには入れられなかったんでしょうね。

そこから「殉教者」美月、「慈愛者」直君の母の日記、「求道者」直君、「信奉者」修哉と続き最後に「伝道者」としてもう一度森口が登場する。
美月は雑誌に投稿した文章、直君の母は日記、修哉はホームページへの遺書、森口は修哉への電話とそれぞれの「告白」の手段が示されているが、直君だけはこれがなんなのか分からない。捕まってからの直君の夢といったところか。

美月は「どうしても先生に聞きたいことがあるのです」と言っていて、それは「少年二人を自分が直接裁いたことを今どう思っていますか?」ということだった。美月は唯一と言っていいすべての「観察者」であったわけだけど、そのすべてを目撃した彼女はやはり先生は後悔してるんじゃないかと思ったのかな?後悔していてほしいと。それは直君へも修哉君へも感じた恋心のせいだったのかもしれないけど。

映画で語られていない部分というのは「慈愛者」の直君の母親の部分と「求道者」の直君の部分が多いかも。
直君の母は彼女なりに、学校に行かなくなった直君を病院に連れて行ったり、いろいろと試行錯誤していて、ただの甘やかすだけの母親じゃないのかもと途中まで思わせる感じはしたのだけど、「ひきこもりというのは家庭に問題があって起きるのだから、直君はひきこもりじゃない」と結論付けているあたりから、んーこの人やっぱなんかズレてるな、と思った。でも、ある程度なら彼女の気持ちも理解できるという母親も多いのかな。息子が殺人を犯したと知ってから警察に行くよりも無理心中を選ぶというのは、倫理的にはダメなんだろうけど、親なら理解できる人も多いのかもしれない。

直君は結局2つの殺人を犯すことになるのだけど、どちらの殺人もキーワードは「失敗」だった。愛美ちゃんを殺したときは修哉に「お前は失敗作」と言われ、母親を殺したときには母親に「子育てに失敗してごめんね」と言われたことがきっかけだった。あまりにも母親に肯定されて生きてきた自分の虚像と実像のギャップを埋められないまま直君は2人を殺してしまった。

修哉の遺書に関しては、あまりにもあまりにも、ある意味では直君よりも甘すぎる。殺人者の頭の中がこんなことでは到底納得がいかない。ただ母親に甘えたいだけの駄々っ子の言い分でしかない。でもなぁ、少年犯罪なんてこんなものなのかもしれないなぁ。だからこそ、やはり親子関係っていうのは重要なのかな。

最後の森口の電話はいよいよ映画のクライマックス。これを読んでスッキリするか、後味が悪いと思うか両極端に分かれるところか。ワタクシはぶっちゃけスッキリしちゃったけどね。それでも森口の心は晴れないし、愛美は帰ってこないけど。ワタクシは「修哉君の本当の意味での更生がここから始まる」というセリフをどう受け取っていいのかいまだによく分からない。でも森口のどす黒い感情をただ醜いとは言えないんだよなー。

本の最後に映画化するにあたって中島哲也監督にインタビューしたものが載っているのですが、ここでまたまた中島哲也監督の天才っぷりを再確認させられました。だって、映画ではこういうことを狙いたいっていう監督の意図が、もう完璧に伝わってたってことが分かったですもん。松たか子に出した指示とか、生徒たちとの話合いとか。それから、登場人物たちがどの程度本当のことを言っていて、どこで嘘を言っているかっていう記述もすごく興味深かった。ワタクシは彼らが嘘を言っているなんて、まったく思わずに映画も本も見ていたんだけど、確かに監督の言うように彼らがすべて本当のことを語っているとは限らないんですよね。あのインタビューを読んでしまうと、また最初から映画も本もチェックしたくなります。
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YES MAN (原作本)

2010-09-07 | 
映画「イエスマン“YES”は人生のパスワード」を見たのが、2009年3月で、原作本を買ったのはそれからほどなくしてからだと思うのですが、いろいろと読みたい本があって、読む速度も遅いほうなので、やっとこさこないだ読み終わりました。

著者ダニエルウォレス自身が経験したことをまとめた本ですが、映画とはまったく違うものでした。映画と原作の共通点というのは「何事にもイエスと言う」というスピリットのみと言ってもいいかも。

ダニエルがバスの中で出会った男に「Say yes more.」と言われたことから始まります。何事にも後ろ向きだったダニエルはこの日を境に年末までの7か月間、何事にもイエスと言おうと誓う。

映画の中の主人公と同じように、素敵なこともたくさんある中、当然詐欺の被害に遭いそうにもなる。そういうときに元恋人や、親友が助けてくれたりもします。

もちろん、「すべてにイエスと言う」という決意の中で生きていても様々な葛藤があり、「もうやーめた」となるところもあるのですが、催眠術師に相談したり、新しい恋人に出会ったり、スペインに住む同じようなモットーで生きている人に会ったりして、この態度で生きることを肯定的に受け止めようとします。

なんかねー、「すべてにイエスと言う」というのは、ポジティブに生きるという意味では良いと思うのですが、それってともすれば不誠実になってしまうこともあるなぁと思います。自分では行きたくないのに、誘いに「イエス」と言うこととか、無条件に「イエス」と言うことって、ワタクシなら「なんか別に相手が私じゃなくてもいいんだなぁ」と思っちゃう。気乗りしないパーティでも行ってみたら良いことがあるよっていうのも分かるんですけどね。ワタクシなら来たくないなら来てほしくない。

この本を読んで感じたのは「すべてにイエスと言う」ということよりも「自分自身にイエスと言う」っていうことが大切かなぁと。何をやっても自分自身を否定して生きていたら楽しくないし、たとえ、誰かに対するネガティブな感情も「そんなふうに思うことだってあるよ」とネガティブな感情を持ってしまう自分を肯定してやることって落ち込んでるときには必要かなと。「人に対してこんな感情を持つ自分ってサイテー」とか思ってると余計落ち込むと思うんですよね。

ちょっと本の内容からはズレました。文章としては同じ表現が何回も出てきて、ちょっとクドいかなぁと感じました。それを排除すればもう少しシンプルな本になったかも。あと、最後にダニエルが恋人を追ってオーストラリアに行くことに「No」と言ってしまったとき、親友が「イエスの誓いを破った罰として、俺の言うことに何でもイエスと言うこと」と言って「オーストラリアに行け」という封筒をくれるところは、一番感動するシーンだったと思うんだけど、なんかさらっと描かれていて、もうちょっと彼に感謝してもいいんじゃないの?と思った。あくまでも「自分の経験の物語」なので、焦点は自分にだけ当たっていたような感じでした。

最後に映画化にあたってのエピソードが書かれていて、それは結構楽しかったです。
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「レボリューショナリーロード」(原作本)

2009-07-14 | 
映画を見て、ちょっとハテナだったし、ディカプリオが「エイプリルの子供時代のことが原作には書いてあって、映画ではそれが省かれているからちょっと分かりにくくなって残念だった」と語っていたので、原作本を読んでみることにしました。

ディカプリオが言うとおり、原作ではエイプリルとフランクの子供時代のことが語られていました。エイプリルがちょっと精神的にエキセントリックな印象がありましたが、子供時代の経験からそういった結果になったのだなということが映画よりは分かりました。ここを省いたために映画は原作よりもサバーバンものな印象が強くなっていると思います。

原作を読んで、やはり時代の違いというものを強く感じました。エイプリルとフランクの会話にも出てきますが、彼女が現代のように比較的簡単にカウンセラーとか心理学者などの力を借りることができたら、この物語の結末も変わっていたかもしれません。それでも残念ながら、エイプリルの最後の決断の気持ちには寄り添えませんでしたが。

役者としては、演じたいと思わせるような本なのだろうなぁと思いました。二人のケンカのシーンは読むだけでも体力を消耗してしまいそうな感じだったんで、これを演じたときはしんどかっただろうなと改めて思いました。
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「20世紀少年」(原作本)

2008-10-07 | 
激しくネタバレしますので、注意してください

映画「20世紀少年」の記事のところで書きましたが、佐々木蔵之介の漢字を調べようとして、ウィキの「20世紀少年」の項目を見てしまい、“ともだち”が誰なのかを見てしまったため、“ともだち”に“絶交”されそうに…ってあーちがうちがう。“ともだち”が誰なのか見てしまったので、もう映画の次回作まで待つこともないやと原作を借りて読みました。

読み始めてまずビックリしたのが、映画がほとんど原作と同じってこと。同じっていうのがね、セリフまでほとんどまったく同じなんですよね。ところどころシーンを削ったりシチュエーションを変えたりしてあるけど、同じシーンのところではちゃんと同じセリフしゃべってる。映画ではこの先ちょっと違うストーリーになるっていうんですけどね、どーなるんやろー?

「20世紀少年」が全22巻で、「21世紀少年」が上下巻。もう先が気になって気になって一気に読んでしまいますよ。特に前半から中盤にかけてが最高におもしろいですね。後半はちょっとだらけた感あるかなー。ともだち暦になってからもちとだれ気味で、ケンヂが復活してくるあたりからはもうあんましおもしろい展開は少ないかなぁ。なんか、どーやってケンヂが生き延びたかも全然明かされないまま終わっちゃうし、ケンヂも若いときのほうがいいヤツやったような。復活してきてからのケンヂってなんか汚いオッサンで、自分だけで思ったことやっちゃって周りに気配りしてた若いときのケンヂとは大違いだったなー。カンナが超能力で接触とかしちゃうところもね…超能力パワーで解決しちゃうっておもしろくないなと。2代目の“ともだち”もね、ワタクシは気に入らないと思った。だってさ、カツマタくんってずーーーっと死んだことになってやん?子供たちがカツマタくんは死んだって言ってるけど、誰もなんで死んだか知らないし、葬式やった記憶もないってことから本当は死んでないっていうことになるんかなぁ。でもなんかね読み終わって日を追うごとに、ここまでよくできたストーリーなんだから、それに納得がいかないのは自分が何かを読み落としてるからなんじゃないかっていう気がしてきたわけですよ。2代目“ともだち”が誰かってことを把握した上でもう一回読めば何かもう少し分かるんじゃないかって。でも、もう返しちゃったんだよなー。あーくやしー。

カツマタくんとフクベエ双子説っていうのも出てるみたいですけど、小学校のときって(しかもケンヂたちの時代って)双子ってすごく珍しくて違うクラスでも興味津々で見に行ったりしません?フクベエは存在感の薄い子供っていう設定だったけど、双子っていう時点で存在感が薄いって変やと思うんですよ。片一方がお面をかぶってたから分からなかったとかもね…小学校なんてみんな近所だし、同じ家に帰ってて分からない?親が離婚してて別々に住んでるから?んーなんか無理がありすぎ。作者はこれは推理小説じゃないからなんて言ってるみたいですけど、それってなんか都合のいい言い訳じゃない?最後に犯人は双子でしたなんて一番やっちゃいけないことでしょう。(って双子説は作者が言ってるわけではないけど)

まーまーこんなに文句ばっかり言っちゃいましたけど、めちゃくちゃおもしろかったことには違いないです。本当に楽しませてくれた原作だったので、映画がますます楽しみになってきました。ただ第1作ではかなりナイスキャストと思っていたんですけどね、血のおおみそか以降に復活してくるメンバーはどうでしょうね。唐沢寿明のケンヂ、トヨエツのオッチョ、常磐貴子のユキジ、宇梶剛士のモンちゃんあたりは心配ないんですけどねー。石塚英彦のマルオ、香川照之のヨシツネはどうかなぁ?マルオって春波夫のマネージャーとして出てきてからは超カッコいいでしょ?無精ヒゲでポニーテールで。第1作目では石塚英彦は超マルオだったけど、あんなカッコいいタイプのデブを演じられるのかちょっと心配です。香川照之に関してはとってもうまい役者さんなので、ヨシツネを演じるのはまったく問題ないと思うのですが、ワタクシが個人的にそんなに好きな役者さんじゃないので、ヨシツネがあんなに活躍するなら他の人が良かったなぁなんて。こんなこと言うと怒られそうですね。
カンナ役は平愛梨っていう女の子が演じるそうですが、ワタクシは彼女の演技をまったく見たことがないので演技が上手なことを祈っています。
早く続きが見たいなぁ

オマケあの「ひみつのメモ」が出てきたときには一瞬心臓が止まりそうになりましたあれ、心臓の弱い人だったらヤバいよねー。いやー最高の演出でした。
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「アイアムレジェンド」(原作本)と「流血鬼」

2008-09-05 | 

映画「アイアムレジェンド」のコメント欄で、原作本と藤子不二雄の「流血鬼」についてのコメントがあり、ワタクシも興味を持ちましたので読んでみました。他の本を読んでいたので随分時間があいてしまいましたが。

さて、まず「アイアムレジェンド」の原作本ですが、ワタクシは映画のほうが好きでした。映画のほうが動きが激しかったし、ロバートネヴィルが医師という設定になっていて、彼の研究が進んでいたので、その部分の面白さがあったと思います。犬と行動をともにしているという点と、最後に登場する女性の部分は原作にインスパイアされてはいるものの、方向性はまったく逆と言ってもいいくらいに変更されていますね。「犬」と「女性」のエピソードは原作のほうが良かったかなと思いますが、それも原作での“動き”がほとんどその2つのエピソードにしかないからそう思うのかなとも思います。「地球最後の男」が原作に忠実なのかどうか知らないんですが、もし忠実だったとしたら、前半で寝てしまったという人がいるのもうなずけます。(原作が面白くないという意味ではなく動きが少ないので)今回の「アイアムレジェンド」のほうは原作本を完全に現代のハリウッド映画に変更したということかと思います。その分原作のもつ雰囲気は壊れてしまったのかなと。心理サスペンスをアクション映画に変えた感じですね。原作のファンの人にとっては悲しい変更だったのかもしれません。ラストも全然違いますしね。ラストに関しては特にどちらが好きというのはありません。原作のラストにはどう考えてもハッピーな気はしませんが、もしかしたら、そこから新しい人類が始まり、ロバートネヴィルのような旧人類が悲観する必要のない世界が生まれるのかもしれません。

「流血鬼」ですが、これもコメント欄で書かれていますが、ワタクシはカルト的なものの怖さを感じました。あれを“ハッピーエンド”と称する方もいらっしゃるのかもしれませんが、ワタクシには“ゾッとするエンディング”でしかありませんでした。コメント欄で通りすがりの藤子ファンさんが書かれているように能力が進化した新人類の仲間に入れた主人公のハッピーエンドというふうに捉えることはできませんでした。もちろん、色んな解釈があってしかるべきですし、作者の意図からすればワタクシの解釈は間違っているのかもしれませんが、やはり、カルトに入らされて、洗脳されると“この集団は素晴らしい”となってしまうというように受け取りました。

どちらも興味深い作品ではありました。今度は映画「地球最後の男」を見てみないといけないですね。

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「ライラの冒険」(原作本)

2008-08-29 | 
映画「ライラの冒険」を見て、結構気に入ったので、原作を読んでみることにしました。

この小説は3部構成になっていて、映画「ライラの冒険」はその1作目の途中まで、映画化したものです。普通なら1作目すべてを映画化すると思うんですが、最後の部分がまだ映画になっていないんですよね。最後に行き着くまでも結構話の順番を変えて合ったりするところもあって、3部作で映画化するにあたって、話の変更を大幅にするつもりなのかもしれません。

3部作すべて読んでみての感想ですが、ワタクシはかなり気に入りました。1作目まではまだ、ライラが“いいもん”でコールター夫人が“わるもん”で、みたいな勧善懲悪系の話っぽいんですけど、実は実はそんな単純なものではなく、2作目に入ってからは善悪入り乱れての、というか、単純な“善”や“悪”といったものが明確に存在するという感じではないし、それぞれがやっていることはそれぞれの信念に基づいていて、それが善悪で簡単に割り切れるようなことではないところへと向かっていきます。

なんせ、主人公のライラの名前の由来が「ライアー(うそつき)」から来てるというのですからね。単純に“いいもん”なワケがありません。そして、2作目からの主役と言ってもいい「ウィル」これはやっぱり英語の「WILL(意志)」から来てるのかなぁと思います。英語圏で「ウィル」なんてどこにでもある名前だし、いちいち「意志って意味だね」なんて思わないけど、やはり物語の主人公の名前を決めるにあたって、意識したんじゃないかなぁと勝手に想像しております。

登場人物が人間、精霊(ダイモン)、天使、妖怪(のようなもの)、魔女、妖精(のようなもの)、巨大グマ、この世とはまったく違う進化を遂げた生物、神、と様々な種族に渡り、その数も非常に多いのですが、それぞれの背景や行動、その考え方などにきちんとスポットを当てて描かれてあり、ライラやウィルだけでなく、脇役の個々にかなり肉付けがしてあるところに、とても読み応えを感じました。

そして、お話は宗教学的なところから、哲学的なところへと進んで行き、これはもう「児童文学」と呼ぶには濃すぎる内容になっていきます。3作目を読んでいるときに、なぜかふとジェームズレッドフィールドの「聖なる予言」という本を読んでいたときの感覚に似ているなぁと感じた瞬間が何度もあったのです。本の内容が似ているとかじゃないんですけどね、読んでいる側の「“Whole New World”が開きそうな予感がする」というゾクゾク感が似ていました。(「聖なる予言」を読んだことがない人にはなんのこっちゃ分からんと思いますが)キリスト教的世界観を否定しているところも似ていたのでしょうね。

このキリスト教的世界観を否定するということが、現在の21世紀でどれくらい衝撃的なことなのかっていうのは、ちょっと分からないんですけどね。もしかしたらキリスト教圏で、特に熱心でもない人が読むと逆にいまさらって古臭い感じがするのかもしれません。

これから、2作目、3作目と映画化されていくわけですが、先にも書いたように、さまざまな種族の強烈な個性が入り乱れ、さまざまな世界を行ったり来たりするという複雑な内容をどうやって映画にするのかとても興味深いところです。

オマケご存知の方も多いと思いますが、「ライラの冒険」の公式サイトであなたのダイモンを教えてくれるコーナーがあります。ちなみにワタクシのダイモンはミサゴという鷹でした。物語の中のジョンパリーと同じだったので、うれしかったです。
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「ブレイブ・ストーリー」(原作本)

2007-08-09 | 
にゃおが会社の先輩に借りてきた「ブレイブ・ストーリー」が面白いからと薦められ、ワタクシも借りて読むことにした。宮部みゆきの本は前に一度読んだことがあって、それはあまり面白くなかったし、文体もあまり好きではなかったから今回も「どうなんかなぁ」と半信半疑ではあったものの、とても面白いと言われて読んでみることにした。

物語の前半部分は少し長すぎるかなと思わなくもないけど、読み終えてみると前半での亘(ワタル)の背景があったからこそ、後半のワタルの気づきにつながっていくと思った。ミツルがワタルよりももっと過酷な運命を背負っているというのもそんなに飛躍した設定ではなかったし、その運命を考えるとミツルがあんなふうになってしまったことも納得がいく。

幻界(ヴィジョン)が現世(うつしよ)にいる人間の想像の産物だと解釈すれば、幻界(ヴィジョン)で起こることにも合点がいくようになっているし、ファンタジーだから突っ込むところはあるにせよ、大きな無理はなくすんなりストーリーにのめりこむことができる。そこにある差別や憎しみといったものが現世(うつしよ)と重なり、それをワタルがどのように受け止めたり、戦ったりしていくかという部分にも非常に共感できるようになっている。

幻界(ヴィジョン)でワタルと関わるキ・キーマ、ミーナ、カッツ、ロンメル隊長、バクサン博士、ジョゾなどのキャラクターもとても素晴らしく、ワタルとの友情に涙せずにはいられない。キ・キーマが長い舌でべろりと頭の上を舐めるところや、ミーナのしっぽの動き、カッツの潔い生き方、ロンメル隊長の優しさ、バクサン博士のコミカルなところや、ジョゾのドラゴンなのに人懐っこいところなど、数え切れないほどにどのキャラクターも魅力満載なのだ

ただの子供向けのファンタジーとは違い、結構凄惨な描写があるところもあるし、人種差別やカルト宗教など、大人が十分に考えさせられる内容だったし、ワクワクドキドキ&ほろりとさせられるという意味では純粋なファンタジーとしても楽しめた。結構長いお話ではあるけど、特に幻界(ヴィジョン)に旅立ってからはまったく飽きることのない物語でした

にゃおを追いかけるようにワタクシも読み終わったので、二人で映画「ブレイブ・ストーリー」と見ようということになり、DVDを借りて見た。小説を貸してくれた人は映画はつまらなかったと言っていたけど、本当のところはどうか確かめたかったのだ。

結果は、、、やはり、、、映画のほうはまるでダメだったあんな長い話を子供も見るようにまとめられるとは思っていなかったけど、予想よりもはるかにデキの悪い作品で、途中のワタルたちの旅がばっさり切られているし、(ないものとしているならまだしも、中途半端に出てきて背景がまったく分からない)そのために仲間たちとの友情も希薄だし、そのために最後の場面のワタルの気づきが何の根拠も持たないものになってしまっている。キャラクターもロンメル隊長などは出てこないし、ジョゾは喋りもしないし原作ではワタルたちを乗せるのに、映画ではワタルの肩に乗るほど小さいドラゴンということになってしまっているし、まあ、ワタルの分身が父親を殺すシーンはさすがにカットやろうなぁとは思っていたけど、あそこまで原作の良さをまるでナッシングにしてしまった映画も珍しいんじゃないとさえ思えるデキであった。無念。ワタルの声を演じた松たか子はすごく上手だったし、他の声のキャストも魅力的だっただけに残念だったなぁ(女神のキャストを知らなかったワタクシたちは声を聞いてにゃおが藤原紀香、ワタクシが木村佳乃という予想だったけど、実際は今井美樹で意外だった)

というわけで、この作品は映画の記事としては取り上げず、原作が面白い本だったという記事にしてみました。
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読んだどー ハリーポッター最新刊

2007-08-06 | 
ネタバレはしていませんが、一切何も知りたくないという方は読まれないほうがいいと思います。

はぁ、やっと読み終わった「ハリーポッター最新刊
届くと同時に読みたかったんですが、そのときちょうど借りている本がありまして、しかも、股借り(元の持ち主様には承諾を得てました)したものだったので、早く返さなくてはと思い中断することもできず、上・中・下巻のある本を読んでいたもので、すぐに読み始められませんでした。
そんなこんなで、まぁちょっと読み始めが遅くなっちゃったんですが、、、やっと読み終わりましたよー。途中、何度もうちの犬に邪魔されながら。(1ページ噛み千切られながら)いやいやいやー、1巻目を読み始めて6年くらいかなー。待ちに待った最終巻でしたなんか、発売日にネタバレの書評がでただとか、ネタバレTシャツが売り出されただとか、読み終わる前に結末が耳に入るんじゃないかとヒヤヒヤもんでしたよー結局は自分で読み終わるまで耳に入らなかったので良かったですけど

ネタバレはしないでおきますが、感想はと言いますと、まぁこんなもんかなぁってな感じですかねー。物語的にはまぁこれでヨシとするかって感じかなー。主役の3人のキャラクターが好きなワタクシとしては最後には満足ですかね。1巻から7巻までを好きな順に並べるとどうなるかなーと考えると、

1位 「アズガバンの囚人」「不死鳥の騎士団」
2位 「炎のゴブレット」
3位 「謎のプリンス」「Deathly Hallows」
4位 「賢者の石」「秘密の扉」

になるかなー。どれも僅差ですけどね。
それに「賢者の石」と「秘密の扉」は物語がどーーーっと盛り上がる前の序章みたいなもんなので4位という結果になったけど、もちろん大好きではありますロンとハーマイオニーの恋の行方だけで言うなら断然「謎のプリンス」が1位ですね

早く結末が知りたかったこのシリーズも本当に終わっちゃったのかと思うと寂しい限りですねー。あとは残りの2作の映画を楽しみに待っていましょう
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冷血 原作本

2007-06-14 | 
もうしばらく前の話なんだけど、「カポーティ」を見た後に、「冷血」の原作本を読んでみた。「カポーティ」の記事にも書いたが、彼の作品は読んだことがなかったんだけど、映画の「ティファニーで朝食を」は全然好きじゃないし、「冷血」はちょっと難しそうだなーと勝手に決め付けていて、なんとなく乗り気じゃない部分がありながらもやはり読んでおくべきだと思ったので、手をつけてみた。

するとどうだろう。始めのワタクシの予想は見事に裏切られた。これは日本語で読んだので、訳者の方が女性ということも手伝っているのかもしれないが、文章がものすごく流れるようになめらかで、この事件を起こした犯人、被害者、そしてその町の人々の様子が克明に記録されていて、すぐに引きこまれた。

これを読むと本当にカポーティが細部にわたって取材をしたことが分かる。ただの「記録」と呼ぶにはもったいなすぎるし、「ノンフィクション小説」と呼ぶには文学的すぎると感じた。難しいことは分からないけど、この「冷血」がとても優れた作品であることは間違いないと感じた。

カポーティはその後作品を発表することがなかったという。そこまで、ある意味大きなダメージを受ける作品だったのだろう。それを受けてまで発表したこの作品にはそれだけの価値があると思うけど、あれほどの文章を書く人がこれ以降作品を発表しなかったことはとても残念に思う。

この本の中で、とくにこの話や主人公やカポーティに直接かかわるシーンではないのだけど、この町のとあるバーの女主人のセリフがあまりにもカッコよくて印象的だったので、書いておこうと思う。(記憶で書いているので一字一句、正確ではないですが)
「永遠なんてものは、1羽の鳥がこちら側にある砂粒を一粒ずつ向こう岸に運んで、それを全部運び終わったときに初めて始まるようなもんなんだよ」
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エラゴン 原作を読んで

2007-01-26 | 
初め、「エラゴン」の原作本を読むかどうかワタクシはちょっと迷っていたんですが、にゃおがガゼン興味を示していたので、一緒に買うことに。

読み終わっての感想はまず、「映画ははしょりすぎ」

映画を見たときの感想は「まぁ悪くはないか」って感じだったけど、原作を読むと登場人物はずっと多いし、話の筋はもっと濃い。これじゃ、原作のファンはがっかりじゃないの?って感じだ。ワタクシは映画を最初に見てるから、原作が面白くても映画への補完って感じで楽しめるけど、原作のファンにとってあの映画って一体なんなんだろう?

もちろん、原作があるものを映画化するときに、登場人物を減らすために2人の人を1人にしたり、まるまる登場させなかったり、人物像を変えたり、話を短くするためにエピソードをくっつけたり削除したり変更したりっていうのって絶対にあるし、原作に忠実にすることが映画的には変だったりすることもあるから、原作を変更することに反対しているわけではないんです。ただ、ちょっとこの作品の場合、省略が多すぎるな~と。

映画だけしか知らなかったら十分楽しめたわけだから、今さら映画にケチつけるのはどうかと思うんですが、これって続編があるはずのものでしょ?だから、ここで削除したエピソードとかが続編の伏線になってたらどうするんやろう?って心配になったのと、結構重要と思われるような登場人物が削られていて、彼らが言うセリフとかも意味深なのが結構あったんやけどなぁ。。。続編、大丈夫?
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