シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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ビリン・闘いの村~パレスチナの非暴力抵抗

2009-06-30 | シネマ は行
先日「沈黙を破る」という作品の記事を書いたが、この作品もパレスチナ、イスラエル問題を語るドキュメンタリー。パレスチナ暫定自治区、ヨルダン川西岸のビリン村では、イスラエル政府が勝手に建設した分離フェンスに対して毎週一回村人たちが集まってデモを行う。このデモは非暴力をモットーとし、パレスチナ人だけではなく、イスラエル人活動家やその他の国の活動家も参加している。

もし、パレスチナ人だけで行われているデモで、そこにテレビカメラなどがなければ、イスラエル軍は彼らを簡単に武力で制圧してしまうだろう。でも、そこにはイスラエル人がいて、ヨーロッパ人がいて、外国のメディアがいる。そうなって初めて、イスラエル軍が簡単に手出しはしないということになるのだ。

このデモに参加していてイスラエル軍に撃たれたノルウェー人の青年は「誰かが石を投げたんだ。それでイスラエル軍が発砲してきた。石を投げるのが良いことか悪いことが議論しても仕方ない。ただ、我々はイスラエル軍に武器を使用する言い訳を与えてはいけないんだ」たったひとつの小石でも、イスラエル軍は銃を発砲してくることができる。どんな些細な攻撃もあちらの強大な軍に大義名分を与えることになる。だから、パレスチナ人たちはじっと非暴力で耐えるしかない。

イスラエルはどんどんパレスチナ人の領土を奪い、職を奪い、水を奪い、生活のすべてを奪う。自分たちの領土に勝手に入って来たイスラエル人たちがどんどん新しい高層マンションを建設し、入植していく。それを指をくわえて見ているしかないパレスチナ人たち。

イスラエルにはアメリカという強力なバックがついている。国連もアメリカの反対があればイスラエルを批難できない。だって、アラブはみんなテロリストだもん。少々、民間人が死んだってしょうがないよ。必要悪だよ。ってか???(オバマさんが大統領になって少しは変わるかと思ったけど、やっぱり彼もユダヤ人にはベタベタって感じですかね…)

あ、ちょっと作品そのものからズレました。

この映画佐藤レオ監督のデビュー作ということですが、ちょっと“映画”としては、残念ながらそんなに出来は良くないと言わざるを得ませんでした。ドキュメンタリーなので、事実を淡々と見せればそれで良いのかもしれませんが、作りがどうしても単調になりがちで、そうなると大切な事実が頭に入りにくくなってしまいます。パレスチナの領土が侵され、数々の検問所のせいで住民の生活がこの上なく不便と恐怖にさらされていることを、せっかく地図を使って説明しようとしたのだから、もう少し時間をかけて分かりやすく解説するべきだったなと思いました。61分と短い作品だったので、寝てしまう心配はないですが、もう少し長かったらヤバかったかも…
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アライブ~生還者

2009-06-26 | シネマ あ行

1972年10月にウルグアイのラグビーチームの乗った飛行機がアンデス山中で遭難する。事故の衝撃で亡くなった者、その後ケガなどが原因で衰弱死した者、そして、生還した者たちがいた。

この事故についてはワタクシは見ていないが「アンデスの聖餐」という映画やこのブログにもレビューを書いている「生きてこそ」という映画になっている。今回の「アライブ~生還者」はこの事故から生還した方たちへのインタビューで当時を振り返るドキュメンタリー映画である。

この事故のことは知っている人も多いと思うが、やはり彼らが生き残るために亡くなった人たちの肉を食べたということにどうしても注目は行ってしまうだろう。生き残った彼ら自身ももちろんそのことを知っているし、それを正当化しようとはしない。彼らは、あの過酷な状況で、自分がもし亡くなったら残った仲間のために自分の肉を食べてほしいと考え、そして、自分たちもそれを実行した。それが、タブーであることは重々承知の上だが、彼らはそれをキリストの肉と考えることで乗り越えた。

あの状況のことを振り返って語る彼らには、とても痛々しいものを感じたが、彼ら自身ももしかしたら自らそれを語ることで、亡くなった人たちへの弔いになると感じているのかもしれない。彼らが救出されたとき、自分たちが口にした一人一人の遺骸について、「あれは誰で、これは誰で」と一生懸命救助隊に説明し、事情を知らない救助隊に「そんなことは今はいいから」と言われたことがとても印象的だった。彼らは、絶対に亡くなった仲間をないがしろなどにせず、丁重に扱ってきたことがよく分かるエピソードだった。だからこそ、こうして生還者と遺族たちが手を取り合って生きていくことができているのだろう。

少しこの作品の主旨から外れるかもしれないが、彼らの一人が語っていたが、彼らが同じ学校のラグビー部員で、だいたい家庭環境、経済状態も似通っており、全体的に似たようなバックグラウンド、価値観を持った人間の集まりだったことは、この状況の中で生き抜く上でとても大きな役割を果たしたということだった。これに関してワタクシはとても大きくうなづいた。語弊があるかもしれないが、こういう極限の状態のときに人間の質というのは非常に重要なファクターであると思う。彼らの人間の質が上質なものであったということ、それはこの事故を語る上で外せない要素であったように感じた。

とにかく、彼ら一人一人の生きようとする気持ち。国で待っている家族への思い。死んでしまった仲間への思い。それらすべてがずしりと心に響くドキュメンタリーであった。

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真夏のオリオン

2009-06-25 | シネマ ま行
試写会が当たったので、行ってきました。もう結構前になっちゃいました。

ワタクシ、もう「亡国のイージス」だか「ローレライ」だか、どれがどれか分からなくなってきています。すんません。ちょっと違うけど、付け加えると「男たちの大和」も「出口のない海」もいっしょくたになりそうです。

こういう戦争アクションってどうなんですかね。なんか素直にアクションがすごいとか手に汗握るとか、あんな上司カッコイイとか思っていいんかなーって。特に実際にあった第二次大戦を舞台にして、日本軍をあんなにカッコよく描くことってなんかワタクシは抵抗があるんですよね。いや、もちろん戦争にまつわるすべてのことに関して悲惨に描くっていうのはちょっと無理があるとは思うんです。人間って、やっぱり戦闘とかそういうものをカッコイイと思う気持ちっていうのはあると思うんですよ。ワタクシも、この作品に登場する倉本艦長玉木宏とか有沢艦長堂珍嘉邦とか桑田機関長吉田栄作とかやっぱカッコイイって思っちゃうもんなぁ。だから、第二次大戦をカッコよく描くことってどうやねん?っていう気持ちを完全に抜きにしてしまえば楽しめるのかもしれません。

実際、人間魚雷である回天を使うことを「もったいない」と言ったり、素直に部下たちに「ありがとう」と言える倉本艦長の人柄は、時代を超えて素晴らしいものだと言えるし、戦争という舞台ではなくても彼はとても素晴らしい上司になれる人だったろう。若い部下たちにとっては、戦争をきっかけにしたものだったとは言え、そういう人柄の人と触れ合えたことは、その後の人生に大きな影響を与えたかもしれない。

ただ、この作品のタイトルにもなっている「真夏のオリオン」うんぬんのエピソードについては、ちょっといただけないというか、なんか臭過ぎる~って気がしましたね。イタリア語で書かれた歌詞をなんで日本人もアメリカ人も理解できるねん???って感じだし、なんかそこがいかにも「ほら、泣くとこですよ」っていう感じになっていて抵抗を覚えました。倉本艦長に玉木宏を起用しているあたり、女性客も狙っているということは分かるんですが、こういうエピソードで女性客のハートを掴もうとしているのかな?それよりも、もっとハードな作品に仕上げたほうがいい作品になったとは思うんですが、興行を考えるとそうもいかないというところですかね。
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愛を読むひと

2009-06-16 | シネマ あ行

これは以前にも記事にしましたが、ケイトウィンスレットがアカデミー賞主演女優賞を獲った作品。この作品の演技で他にも賞を受賞しています。彼女の演技はいつもどの作品でも素晴らしいので、いままでもたくさんノミネートはされてきましたが、ここまで賞を獲得したのは初めてですね。この映画のケイトに関しては、同じく高く評価された「レボリューショナリロード」の演技とは正反対と言っていいほど、感情を高ぶらせるシーンが非常に少なく、ただ朴とつにハンナという女性を演じきっていた。こういう演技のほうが実は難しいのだろう。

15歳の少年マイケルデヴィッドクロスは、家に帰る途中気分が悪くなり、ハンナ(ケイト)という女性に助けてもらう。数ヶ月の静養後、マイケルはお礼を言いにもう一度ハンナを訪ねる。ここから、二人の恋愛が始まる。マイケルにとっては初めての恋愛。ハンナは20歳以上も年上の女性だ。もちろん、そんな女性を相手にするのだから、“恋愛”と言うよりも“性愛”といった感じがした。15歳の少年がこんな性愛に溺れないわけはない。学校で同年代の友人たちと遊んでも、必ず帰りにハンナのところによるマイケル。そして、二人は毎日のように愛し合う。いつしか、彼らの逢瀬はセックスだけではなく、マイケルがハンナに学校で習っている小説を読んであげるという時間にもなっていく。ハンナは小説を読んでもらうのが好きで、とても感受性の強い彼女は小説の中に入り込み、熱心に聞き入り、時には号泣したりもする。そして、二人はその後にセックスをするという日々を続け、15歳のマイケルは生意気にもハンナとの小旅行まで企画し、二人で出かけたりする。そんな幸せなひと夏の経験であったが、ある日ハンナは忽然とマイケルの前から姿を消した。

10年後、大学の法科に進んだマイケルは思いがけないところでハンナと再会することになる。

二人が愛し合う前半と再会してからの後半で、随分と話の展開が変わっていくが、きちんと前半部分の伏線が後半で生かされている。マイケルにしても、あの前半のハンナとの日々のせいで人生をがらりと変えられてしまったのだ。彼にとってはまさに運命の人だったと言えるのだろう。

そんな運命の人の人生を救いたいという気持ちと、彼女のプライドを守りたいという気持ちでまたしても心をかき乱されるマイケル。マイケルさえ彼女の“秘密”を暴露すれば、彼女が問われているナチス時代の罪から救ってやれるのに。ここでのマイケルの心情とか、葛藤などはあまり深く語られず意外にさらっと進んでしまうので、なんで?と思っていると、こっからがまた物語のクライマックスがあるのだった。

自分自身の秘密を守り通したがために、長期に服役することになったハンナ。彼女に大人になったマイケルレイフファインズからの朗読テープが届くようになる。この一連のシーンで、ワタクシはもう号泣してしまった。マイケルはテープをひたすら送り続ける。そして、それがかたくなだったハンナの気持ちを揺り動かし、彼女の人生にとってはすごく大きかったであろう行動にでる。壁を挟んだこの二人の切ないやりとりに涙が止まらなかった。マイケルはあの恋によって、他人と上手に関係を結べない大人になってしまった。そのことへの苦い思いというものを持ちながらもハンナへの愛は失くせない。そして、不当に長期に服役することになったとは言え、実際に彼女の犯した罪のこともある。そんな相反する気持ちから、ハンナへは一度も手紙を書いてやれなかったのだろうか。

ハンナはとても感受性が強くシンプルで、ただまっすぐに生きてきた女性のように思えた。そして、自分自身に対するプライドも高い。それが、彼女の最後の決断を引き出したように思えたが、あの面会の日、もう少しマイケルがハンナに優しくできていたら、彼女はあんな選択はしなかっただろうか。それでも、マイケルにもっとうまく態度に出してやれよ、ひどいよ、と思うことはワタクシにはできなかった。マイケルの切ない気持ちが分かったからだ。少年時代の良いほうにも悪いほうにも強烈な経験をさせられたハンナに、そして、いまはすっかり年老いてしまったハンナに戸惑いを見せるなというほうが酷というものではなかっただろうか。そこにはナチスの罪という重みもハンナと同じようにマイケルの肩にもかかってしまっている。簡単に愛だけでは割り切れない気持ちのマイケルを誰が責めることができようか。

そんなマイケルも、最後に疎遠気味だった自分の娘にハンナとの出来事を話すことで、自分の中の何かを昇華することができたのではないかと思えた。甘い思い出だけでは終わることができなかった自分の人生を左右するほどの出会い。その苦さもともに、マイケルがハンナの分も生きていくことだろう。

物語の中で一応“秘密”とされていることがあるので、(見ているとすぐに分かりますが)肝心なところに触れずに書いているので、ちょっと分かりづらいレビューになっているかもしれません。内容的にはかなりワタクシ好みの作品でした。めっちゃ泣きました。二人の恋愛話とナチスの話をうまく絡めて非常によくできた物語だと思います。

オマケ1裁判のシーンでレナオリンがわざわざ老けメイクをして登場したので、レナオリンほどの人がなんで?と思っているとちゃんと最後にその老けメイクの人の娘という役で登場しました。そりゃそうよね。若い頃のような獲って食われそうなエロさはなくなったものの、相変わらずセクシーな方でした。

オマケ2ワタクシが大好きな大好きなアンソニーミンゲラシドニーポラック両氏に捧ぐと最後にテロップが出ます。両氏ともこの映画に関わり、その後亡くなってしまいました。どちらも亡くなるにはまだまだ若すぎました。とてもとても貴重な存在だった二人を映画界は失くしてしまいましたね。

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消されたヘッドライン

2009-06-05 | シネマ か行

やたらとテレビCMやってたんで、ちょっと怪しいかなぁとも思いつつ、それでもちょっと面白そうだと思い見に行くことにしました。ラッセルクロウベンアフレックというデブとアゴのむさくるしいコンビはそんなに気になるキャストではなかったんですが、ヘレンミレンレイチェルマクアダムズという女性陣が楽しみな感じだったのもあって、行ってきました。

そんなに大きな期待を寄せて行ったわけではなかったからなのか、結構面白かったです。前夜に起きた殺人事件を追う記者カルマカフルー(クロウ)の大学時代の親友で現在国会議員のスティーヴンコリンズ(アフレック)のスタッフマリアセイヤーの女性が何者かに押されて朝の通勤電車に轢かれて死亡するという事件が起きる。その女性はコリンズ議員と不倫関係にあったようだ。カルと新聞社のネット担当スタッフデラフライ(マクアダムズ)がそれぞれの事件を追ううちにその2つの事件の共通点が浮かび上がってくる。

カルとデラの取材を通して、この2つの事件がさらに大きな陰謀へとつながっていく。

展開としては、特にめずらしいことはないと思うんです。大きな陰謀っていうのも映画の世界ではかなりありがちだし、それ自体にビックリすることはない。なのに、演出がうまいのかBBCのテレビドラマを基にしているおかげなのか、随所に盛り上がりがあって飽きさせない。

新聞社のボスとの攻防、新聞社と警察、巨大企業と民間人、どの対立の図もなにもめずらしいことはないけど、ラッセルクロウのうまさなのか、主人公にうまく感情移入して、いかにも白人っぽい大きな体を揺らして突き進むカルを思わず応援したくなる気持ちになる。カルは私生活は冴えないが、ジャーナリストとしては一流の腕を持った男。親友との友情を大切にしつつ、事件を追い黒幕を追い詰めていく。デブな上にむさくるしい長髪のラッセルクロウがカッコよく見えるシーンはひとつもないが、一作品の主役として堂々たる存在感を見せている。

カルとデラの関係もよくある仕事場の先輩と後輩の関係でありながら、うまく描かれていたし、レイチェルマクアダムズはショートカットよりロングのほうが可愛いけど、小さい体がラッセルクロウの隣にいるとさらに小さく見えて、それがまた可愛らしかった。

ただちょっとラッセルクロウとベンアフレックが大学の同級生というのがちょっと違和感があったなぁ。この二人8歳違うんだよねー。まぁ大学の同級生だから必ずしも同い年という必要はないんだけどさ。日本とは大学の事情も違うし。んー、でもそれにしてもなぁ。この二人でロビンライトペンを取り合うっていう図がなんか不自然で。どう見てもベンアフレック一人だけ小僧だもの。一人だけ若々しくすることで”青年議員”っていう感じを出したかったのかもしれませんけどね。その分ラッセルクロウ演じる新聞記者は修羅場くぐってまっせみたいな演出ですかね。

最後のどんでん返しはそれこそこういう映画には超ありがちなものなので、まぁオマケ程度に考えればいいかなぁと思います。最後のオチよりも途中の展開を楽しむほうがいいかなと思います。

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